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年の終わりに始まりに

 

ご〜んご〜ん

除夜の鐘が鳴っている。もう今年も終わりだ。

今年も色々あったなぁ、などと感慨に耽るためにあるような時間だろう。

「なのに………、なのに何で俺はこんな事をしてるんだ?」

今、俺―――折原浩平は勉強の真っ最中。ただ、目の前にある問題集はほとんどが白かった。

もともと成績が良いと思ってはいないが、大晦日に徹夜して勉強しなくてはいけないほどだとも思っていない。

それもこれも、今目の前にいる人物のせい、もといおかげだ。

浩平。そんな事言ってないで、さっさと次の問題解いてよ」

「なぁ、瑞佳。何で徹夜してまで勉強せないけないんだ?」

「浩平が普段勉強しないのがいけないんだもん。そんなんじゃ一緒の大学行けないよ?」

「まだ早いって。冬休みが明けてからやっても遅くないだろう?」

「遅いよっ!」

一瞬怯むくらいの剣幕で言ってくる瑞佳。

しかし、ここで妥協するわけにもいかない。今日はあそこから戻ってきてから初めての大晦日なのだから。

問題なのが、瑞佳の性格から考えると、そういう行事を勉強で潰すことはまず無いはずだった。それを、このようにやっているからにはそれなりの覚悟があるのだろう。その覚悟をどうやって揺らがせるかが、今の俺の課題だ。

「だけどな、今日はもう止めようぜ?大晦日なんだから。……って、もう正月か」

「関係ないもん。大晦日もお正月も毎年あるでしょ?浩平の受験は今年限りだもん」

「来年もやろうと思えばできるぞ」

「ダメだよっ!今年も留年したんじゃ、そのうち繭と同じ学年になっちゃうよ!?」

流石に俺でも、今のは聞きとがめた。

受験と言っていたはずなのに、なぜか留年と言ったのは無意識だろうか?しかも、来年まで留年するって言いやがるし。

「瑞佳、何で留年なんだよ?卒業はできるぞ」

顔が引きつるのを多少我慢しながら瑞佳に聞く。

それに気付いているのか、いないのか、瑞佳はあっさり言い返してきた。

「卒業できても大学に行かなくちゃ一緒でしょ?」

やっぱりわざと言っていた。

そうまで言うならやってやろうじゃないかと言いかけて、ふと思いとどまった。

(それを言ったら瑞佳の思い通りじゃないか?)

そう考えると、自分がうまく乗せられたと思い至る。俺の性格を使った瑞佳の完全な計画だ。

しかし、甘かった。今日の俺はその計画に気付いてしまったのだ。

乗せられそうになったと思うと、なんだか不愉快になってくる。

どうにかして瑞佳を困らせてみよう。瑞佳が俺の性格を知っているのと同じで、俺も瑞佳の性格を良く知っている。どうしたらいいかなんて、簡単だ。

「あ〜あ、だったらわざわざレベルの高い大学行かなくてもいいや。俺のレベルに見合った大学に行こうっと」

「ええっ!?浩平に見合った大学なんて日本にないよ?」

「何でだっ!?」

「そんな事言っても騙されないよ〜。さっ、勉強続けよう」

俺の計画も一瞬にしてばれていた。

だが、脆くも崩れたからといって、諦めるような俺ではない。

「そーか、長森は冗談でも俺に学力がないって言うんだな」

わざと、呼び方を瑞佳から長森に戻して言う。

「そっ、そんな事はない……と思うよ?」

案の定、慌てて言い返してくるが、いまいち自信なさげなところが気にかかる。

が、今はそんな事はどうでもいい。あと少しで瑞佳を落とすことができるだろう。

「ハァァッ、折角の正月だから瑞佳と一緒に初詣に行きたかったのになぁ……」

言ってからちらりと横目で瑞佳を見やる。

思った通り、瑞佳は迷っている様子だ。あと一押しっていう感じだ。

わざとらしくもう一度大きく溜め息をつく。

「行きたかったなぁ〜」

そして、もう一度瑞佳を横目で見る。但し、今度は多少分かりやすく。

「はぁ…、分かったよ」

(よっしゃー!!)

俺は心の中でガッツポーズを取った。

結局、瑞佳を落とすには正攻法の泣き落としが一番だということだ。今までもそれで失敗した例はない。

「その代わり、明日からはもっとまじめにやるんだよ?」

「やるやる」

「まったく、現金なんだから……」

瑞佳が溜め息をついているのが聞こえたが、まぁいつもの事だ。

そして、瑞佳は立ち上がって、

「それじゃ、今からちょっと着替えてくるから」

「そのままでも良いだろ?」

「行くんだったら着物着たいもん」

言われて、着物を着た瑞佳を想像してみる。

悪くない。着物姿は見たこともないし、ぜひ見てみたい。

そして、俺は快く瑞佳を送り出したのだった。

 

 

「お待たせ」

「ほんとだ。いつまで待たせるつもりだったんだ」

瑞佳が着替えに行ってから、30分近く俺は外で待たされていた。

外は当然の事ながら、めちゃくちゃ寒い。普段着の上にコートを羽織っただけの俺がこの寒さの中にいるのはかなり辛かった。

「別に外で待ってなくても良かったのに」

「時間がかかり過ぎなんだよ」

瑞佳が着てきたのは赤を基調とした、意外とシンプルな着物だった。ただ、そのシンプルさが瑞佳ととても良く似合っていた。

「そんな事ないもん。普通これぐらいかかるもん」

そうなのか、俺は着物を着るのにどれぐらいの時間がかかるのかは知らなかった。が、いくら何でも30分はかからないだろうと思う。

まぁ、これ以上この話を続ける意味もないだろう。そろそろ本気で寒くなってきたし。

「ほら、もんもん言ってないで、そろそろ行くぞ」

「もんもんなんて言ってないもん」

言ってるじゃないか、というセリフを苦労して飲み込み、近くの神社に向かって歩き始める。

数歩歩いてから、瑞佳がこっちを見ていることに気が付いた。

「何だよ?」

「何か言うことはない?」

聞かれてから、少し沈黙。

別に考えていたわけではなく、向こうから言われると言い難かっただけだ。

意を決して、小さな声で呟くように言う。

「似合ってるよ……」

「ありがとっ」

聞こえるかどうか、というぐらいの声で言ったのだが、瑞佳にはしっかり聞こえていたようだった。

瑞佳はこの上なく嬉しそうな顔で、ぴったりと俺に寄り添ってきた。

俺はというと、自分が言ったことに対しても、今の状況に対してもいつになく恥ずかしい気持ちで、ただ歩いていた。

 

 

それから20分ほど歩いて、目的の神社に辿り着いた。

ここには何度か初詣に来たことがあったが、夜に来るのは初めてだ。そこには予想していたより遙かに多い人が来ていた。比較的広いと思われる神社が全て人で埋め尽くされている。

「さて、帰ろうか」

「今来たばっかりだよ」

瑞佳が溜め息をつく。

理由は違うにしろ、俺も溜め息をつきたい状況だった。

「こんなに人が多いなんて聞いてないぞ」

実際、俺は夜に初詣に来るやつは俺達ぐらいかと思っていたほどだ。

ともかく、中に入らなければ始まらない。

俺が人混みの中に足を踏み入れようとしたその時、ふと左―――瑞佳のいる方とは逆に目を向ける。その方向にいた人物も偶然こちらの方を向いたようだった。

その目があった時、意識せずに口から声が漏れた。

『あ』

その声が重なる。

相手の驚いた顔が見えるが、それは俺も同じ事だ。

「あれ、七瀬さん?」

隣から瑞佳が顔を出し、その人物に声をかける。

それを合図にしたかのように、俺と七瀬は硬直から抜け出した。

「何で七瀬がこんな所にいるんだ?」

「何でって、初詣に決まってるでしょ?」

よくよく見ると、七瀬は瑞佳と同じく着物を着ている。そんな格好ですることと言えば、初詣しかない。まぁ、ここにいる時点でそれ以外に考えられることはないが。

「初詣ならおまえの家の近くの神社に行けばいいだろう」

「七瀬さんの家から一番近くの神社がここなんだよ。去年は私と一緒に来たんだよね?」

俺の至極当然の疑問に、七瀬ではなく、瑞佳が答えた。

聞いて、俺は頭の中に地図を思い浮かべる。

七瀬の家がどこにあるのかは知らないが、いつもぶつかっていた角から方向を割り出すと、駅から来ているわけではなさそうだ。つまり、その方向に家があるはずだ。そして、その方向には確かに神社はない。

なるほど、ここに七瀬がいてもおかしくはない。

「なるほど。しかし……」

「なによ」

一度区切ると、七瀬は不審なものを見るような目でこちらを見返してくる。

俺はそれに対して、きっぱりと思っていたことを言ってやる。

「一人で初詣って悲しくないか?」

「ほっといてよっ!それに一人じゃなくて、待ち合わせ中なの!」

「そうなんだ。誰と待ち合わせしてるの?」

俺が何か言うよりも先に、瑞佳がフォロー(のつもりなのだろう)として、柔らかく聞いた。

幾分か落ち着いた様子の七瀬が口を開いたが、それより先に答えが横から返ってきた。

「私よ」

その方向を見ると、そこには広瀬が立っていた。広瀬も着物を着ている。

初詣に着物を着ていく者は少ないと思っていたが、どうやら夜組は着物を着るのが普通らしい。

「真希遅―い!」

こちらから最初に声をかけたのは七瀬だった。

「遅くないでしょうが。約束は1時、ジャストじゃない」

「私は待ってたのっ」

「そんなの知らないわよ」

その様子を見ていて、瑞佳から二人が和解したという話は聞いていたが、どうやら本当らしいということが分かった。

一通り七瀬との話が終わってから、広瀬はこちらに向き直った。

「長森さんと折原君か。仲が良くてうらやましいわねぇ」

何を言うかと思えば、いきなり広瀬はからかってきた。

瑞佳はそれに戸惑ったが、俺は言葉を返せた。

「七瀬達も仲が良くなったみたいだな」

「ま、ね」

その質問に対して、七瀬が軽く答えてきたということは、もう何も思っていないということだろう。

「そうそう、言い忘れてたわね」

「何を?」

広瀬が言ったことに対して、俺は聞き返した。瑞佳と七瀬も何のことか分からないようだ。

が、それには答えず、広瀬は軽く頭を下げてきた。

「明けましておめでとう」

言われてから初めてその事に気が付いた。

瑞佳と七瀬も同じだったらしく、三人揃って慌ててお辞儀しながら言った。

「『明けましておめでとう』ございます」

最後まで言ったのは、言うまでもなく瑞佳だ。

毎年恒例の挨拶を終えてから、七瀬はなぜか溜め息をついた。

「どうしたのよ、留美?」

「うん、新年始まってすぐに折原になんか会ったりして、今年はあんまり良い年になりそうにないな、って思ってたとこ」

広瀬に聞かれて七瀬が答える。

もちろんそれは俺の耳にも入っていた。何か言い返そうとして、七瀬の後ろの方からこちらに向かってくるものを見つけた。瑞佳も気付いたようだったが、手で制して七瀬に教えようとするのを止めさせた。

俺はほくそ笑んでから、口を開いた。

「随分とひどい言われ様だな。だがな、七瀬。人生は苦楽ありと言って、嫌なことの次には必ず楽しいことがあるもんだ」

「はあ?何言って……」

俺が何のことをを言っているのかいまいち分かっていないようだったが、すぐにその事は分かったはずだった。七瀬の後ろの方から聞こえてくる声によって。

「みゅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜♪」

七瀬が振り向いたり、回避行動に移るよりも早く、それは七瀬の髪を捉えていた。

がしぃっ

「ぎゃぁぁぁぁぁぁ!!」

七瀬は、テレビで見る、悪役の断末魔の声のような叫び声をあげた。

初詣に来ている他の客達は何事かとこちらを見ているが、本人はそれどころではないようだった。

「以心伝心!ナイスだ、椎名!」

「浩平、そんな事言ってる場合じゃないでしょ!?」

「みゅー、みゅー!」

「ほら、繭、七瀬さんの髪はブランコじゃないんだから」

七瀬の髪にぶら下がって遊んでいる椎名を瑞佳が引き剥がす。

広瀬はその様子を笑いながら見ていた。まぁ、俺も同じ事をしていたが。

ようやく椎名を引き剥がすことに成功した瑞佳は椎名と目線が合うくらいまでしゃがんだ。

そして、

「繭、明けましておめでとうございます」

「明けましておめでとうございます」

挨拶する瑞佳に、椎名も同じく挨拶を返す。

「正にほのぼのする光景だった」

「ほのぼのするかあっ!」

俺のナレーションに七瀬は文句を言ってきた。

見ると七瀬は頭、というか髪を手で押さえている。目も、どことなく涙目だ。

「七瀬、俺のナレーションのどこが不満だと言うんだ」

「どこって言うか、今のコメント全部よっ!それでもって、瑞佳も挨拶してないでその子を注意してよ!」

いきなり話を振られて、瑞佳は一瞬困ったように首を傾げたが、すぐに何か言うべき言葉を見つけたように口を開いた。

「でも七瀬さん、もう慣れたでしょ?」

「慣れるかあぁぁぁぁっ!」

七瀬の怒声が響きわたるが、現親友である広瀬はそれに対して何もしようとはしない。

まぁ、あれに対して何かできるやつがいると思ってはいないが。

「しかし、瑞佳もやるようになったな。七瀬も新年早々元気だし、いい年になりそうだなぁ」

「そうね」

誰に言ったわけでもなく、独り言のつもりで言ったのだが、たまたま聞いていたらしい広瀬が返事を返してきた。

ここに来てから十分ほど経っているのだが、一行として人が減っていく気配がない。それどころか、俺達が入ろうとする気配すらなかった。

七瀬が暴れ出してから数分が過ぎると、椎名と一緒に来た椎名母が初詣を済ませてきたが、椎名を預けてさっさと帰ってしまった。椎名の要望だったが。

そうしているうちに七瀬も大分落ち着いてきたようだ。それを何もせずにただ見ていただけの俺達も俺達だったと思うが、時間がないわけでもないので良いだろう。

ふと、さっきから服を後ろから引っ張られているような気がしている。

振り向くと、そこには泣きそうな顔で澪が立っていた。

「澪」

『酷いの』

振り向くとすぐさまスケッチブックに書き込んできた。

「いつからそこにいたんだ?」

「大体5分前ぐらいからです」

答えたのは澪ではなく、その隣にいた茜だ。

「茜も一緒だったのか」

「はい。詩子が澪も一緒に、と言うものですから」

「一緒の方が楽しいもんね〜」

何か余計な名前とどこからか声も聞こえてきて、あまつさえ何かの物体が澪に話しかけているようにも見えたが、疲れているせいだろう。

「だったら、茜が教えてくれれば良かっただろ?」

「澪の努力を無駄にしたくはありませんでした」

「もういいからほっといて行こう、って言ったんだけどねー」

何か幻聴のようなものが聞こえたが、それは爽やかに無視した。

「それはともかく、明けましておめでとうございます」

『明けましておめでとうございますなの』

「おめでとー」

「ああ、おめでとう」

一人多かったのは、多分気のせいだ。気のせいだということにしておこう。

そう自分に言い聞かせてはいるのだが、現実は変わりそうにない。それでもひたすらに気のせいだと言い聞かせるしかない自分が少し悲しかった。

さっきから心の中では無視しているのに、相手が文句を一つも言ってこないのは、俺のセリフが全員に当てられているものばかりだったからか、頓着していないかのどちらかだろう。恐らくは後者だと思われるが。

「それで、長森さん達は何をしているんですか?」

「あれか?あれは恐獣を捕縛しようとしているところだ」

「誰が恐獣よっ!」

少し離れたところから、律儀に突っ込みを入れてくれる恐獣、もとい七瀬。

瑞佳も茜達に気付いたようだ。

「あ、里村さん達も来てたんだ」

「はい」

『明けましておめでとうございますなの』

澪が瑞佳に、さっき俺に見せたページを見せている。

その後に、瑞佳達が挨拶をしあっている。

何度も同じ挨拶しているのを見ると何か滑稽なようにも見えるが、それが普通なのだろう。

「去年はこの行事、やんなかったからな」

意識して、小さな声で呟く。そうしないと堪えられなかったのかもしれない。

一年はやっぱり長すぎたのだろうか。

「浩平、そろそろ人が減ってきたみたいだよ」

「早く行きましょう」

感慨に耽っているうちに瑞佳達はすでに神社の中に入っていた。

(まぁ、入り口で何十分も止まっている奴らが珍しいからな)

考えるのはそこで止めて、俺も苦笑しながらゆっくりした足取りで、神社の中へと入っていった。

 

少しだけ待って、ようやく最前列へと出て、お参りをする。

俺が願う内容は、

(ずっと、この生活が続きますように)

そう願ってから思った。

俺の願いは永遠とどのぐらい違うというのだろうか?

ずっとなんて事はあり得ない。そう納得したからこそ、今ここにいられることができるはずなんだ。

だからと言って、今の言葉に偽りはない。あれは確かに俺の願いだ。

瑞佳もきっと同じ事を願っているだろう。

それに、俺達だけじゃない。誰しもがこれと同じ考えや願いをもっているはずだ。

ずっと閉じていた目を開けて、周りを見渡す。

生きているうちに、たまたま出会った人達のうちの何人かがそこにいる。みんなは何を願っているのだろうか。

俺の関与することではないことは分かっている。

だけど……、

「浩平」

「あ?」

突然瑞佳に呼ばれて、俺は自分でも間が抜けていると思うような声を上げた。

「あ、じゃないよ。ほら、お参りが終わったら列から抜けないと周りの人の迷惑だよ」

確かに、周りにみんなの姿はもうどこにも見あたらなかった。

ついさっき見たばかりだと思っていたが、随分と長い時間考え込んでいたようだ。

「あ、ああ」

俺は瑞佳に引っ張られるようにして、そこから抜け出した。

抜け出て、再び神社の入り口近くまで歩いていくと、もう帰ったと思っていたが、みんなそこにいた。

そのうちの一人が俺に近寄ってくる。

「ねぇ、折原君、今から折原君の家に行って宴会でもしようって事になったんだけど」

「幻聴が聞こえるな。まぁ、それはともかく、もう夜も遅いし解散しようぜ」

「幻聴じゃないよ?」

「もうとっくに夜の1時半を過ぎてるしな」

なおも言ってくる幻聴を俺はあっさり無視した。

「うう〜、瑞佳さ〜ん。折原君があたしを無視するよ〜」

そう来るか。しかし、相手にする気はさらさらない。瑞佳だってそんなものは相手にしないだろうし……。

「浩平、柚木さんが可哀想だよ」

俺の期待はあっさり裏切られた。

誰に対してでもないが、あからさまな溜め息をついてみせ、そして一度大きく息を吸って、さっきからの幻聴――つまりは柚木に向かって言う。

「だ・か・らっ、何で新年早々夜中に俺んちで宴会なんて開かにゃならねぇんだ!」

「パーティはみんなでやった方が楽しいでしょ」

「答えになってねぇ!誰がパーティを開くと言った!?」

「私」

「があぁぁぁぁ!!」

あっさりと自分を指さしながら言ってくる柚木に、俺は頭を抱えて絶叫するしかなかった。

そんな俺の前で、横から柚木の方にポンと手を置かれたのが目に入った。その手の先を辿って見ると、それは茜だった。

「詩子、そんなにわがままを言っては浩平が可哀想です」

「茜!分かってくれるか、俺の苦悩を!」

「はい」

やっぱり頼りになるのは茜だった。柚木の暴挙を止められるのは彼女しかいないだろう。

「でも、茜も最初は乗り気だったじゃない。みんなだって楽しみにしてたのに〜」

「浩平がこんなに嫌がるには理由は一つしかありません」

さっきと同じ調子で柚木を説き伏せる茜を、俺は救いの女神を見るような気持ちで見守っていた。

「理由?」

「はい。つまり、浩平は長森さんと二人っきりで新年を過ごしたいんでしょう」

ぴしっ

確かに俺はその音を聞いた。そして、それきり自分の身体が思うように動かなくなるのを自覚した。

たまたま目の前にいた七瀬の顔が目に映る。その顔は俺がいつも七瀬をからかうのと同じ表情をしている気がする。他の面々も同じだろう。

瑞佳も見なくても分かる。恐らく、今頃は顔を真っ赤にして俯くか何かしているのだろう。

茜の声を最後にして、数秒の時間が流れ、だんだんと周りの声が聞こえてくるようになった。

「そうか〜、やっぱ新年の始めは恋人と二人っきりがいいよね〜」

「でしょうね。折原でもそれぐらいは考えてるわよねー」

「みゅー♪」

救いの女神は一転して地獄からの使者に成り代わった。

柚木の声を皮切りに、七瀬が言い、訳が分かっているのかいないのか、椎名が返事をする。そして、それはどんどんエスカレートしていく。

「やっぱり恋人同士は違うよね〜」

「一夜を二人っきり、すごいわね」

『すごいの』

味方はもはやいなかった。澪ですらスケッチブックに次から次へと文字をつづっている。

「ちょっ、ちょっと待った!」

ようやく硬直から抜け出した俺はそれだけを言った。

すると、今まで飛び交っていた声がぴたりと止み、全部で6対の女の目がこちらを見据えてくる。

正直言って、怖い。

その中を代表して茜が口を開いた。

「何ですか?」

いつもと同じ、いやそれ以上に冷たい声で尋ねられて、それ以上言葉を紡げなくなった俺は、

「いや、もう俺の家で宴会しても良いです。て言うか、ぜひさせて下さい……」

泣く泣くそう言うしかなかった。

「宴会?楽しそうね」

泣き崩れている俺の後ろから不意に声がかかった。

振り向くと、(もう分かってはいたが)そこにはみさき先輩と深山さんがいた。

「浩平君、食べ物いっぱいある?」

ない、と言おうとしたが、それは声にならなかった。

その代わり、柚木が俺の上で会話しているのが聞こえてくる。

「折原君の知り合いの方ですか?よろしかったらぜひ来て下さい」

『来て下さいなの』

澪のスケッチブックはここからでは見えなかったが、恐らくそのようなことが書かれているのだろうと思う。

「折原君ももちろん良いよね〜?」

聞かれて、何か答える前に頭を掴まれ、無理矢理縦に振らされた。

その時点で、もう俺は何もかもどうでも良くなっていた。

 

 

少しして、俺がようやく立ち直ったときには食料やらなにやらが全て揃っていた。

「それじゃあ、折原君ちに行きましょう〜」

なぜか柚木が先導して、俺のうちに向かっていた。

もう時間は2時を過ぎていた。

「はぁ……」

「嫌なら無理にでも断れば良かったのに」

さりげなくついたつもりの溜め息が隣を歩いていた瑞佳に聞こえていたようで、そんな事を言ってきた。

「別に嫌なわけじゃない。それなりに楽しいだろうしな」

「だったら、もっと楽しそうな顔しようよ」

「ああ………」

そう、別に宴会を大人数でやるのは嫌いじゃない。むしろ好きだと言っても良いだろう。

ただ、それが終わった後の空虚さが嫌いなんだ。

言葉にすることはなく、ただ思うだけにとどめて黙々と歩いていると、不意に瑞佳が立ち止まった。

「どうした?」

俺は、立ち止まって俯き加減でいる瑞佳の顔を覗き込むようにして尋ねた。

その直後に、瑞佳が動いたと思う間もなく、唇に何か柔らかいものが当たった感触があり、瑞佳のはにかんだ顔がすぐ目の前にあった。

「宴会するんだから、浩平がテンションあげなきゃ。ねっ」

そう言ってから、瑞佳は再び歩き出した。ただ、俺は動揺してすぐに動くことはできなかったが。

「おーりはーらくーん!みーずかさーん!早く来ないと置いてっちゃうよー!」

夜中にも関わらず、近所迷惑な大声で叫ぶ柚木の声が聞こえてきて、ようやく俺は本日何度目かの硬直から解かれた。

振り返ると、呼ばれた瑞佳は小走りでみんなの方へと走っていくのが見える。

俺は唇を指で一度撫でると、ゆっくりと同じ方向へと歩き始めた。

 

<了>