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年越し○○○

 

年末が近づいていた。学校も今日で終わり、明日からは冬休みだ。
 
祐一は自然と高揚する気持ちを抑えようともせず、今年最後の通学路を全速力で 走っていた。
しかし、隣で祐一と変わらぬ速さで走っている名雪は、そんな高揚とは無縁の 表情だった。
ここ最近はずっとそんな感じだったのを、祐一はふと思い出していた。そして、 思い出している内にそれが変わらないどころか次第に増してきていると気付く。
 
そういえば、とさらに思い出す。
十二月に入ってから、妙に寝起きが良いかもしれない。しかし、その表情は朝の 爽やかさからはほど遠く、前述したとおりに沈んでいる。だた沈んでいるだけで はなく、どこか怯えているような気がしないでもない。走るその一歩一歩もどこ か重そうだ。
 
「なぁ、名雪。どうかしたのか?」
 
「何が?」
 
走りながら話すのも大分慣れてきて、全く息を切らすこともなく続ける。
 
「最近、表情が優れないぞ? 何か悩みでもあるのか?」
 
そう聞くと、突然名雪は首をぶんぶん振り回し否定した。
 
「ううん! 何でもない! 悩みなんてこれっぽっちもないよ!?」

「あからさまに何かありそうだが……?」

「うう〜」

あまりにも拙い嘘に、祐一がほとんど呆れ気味に言うと名雪もそれを自覚してか、顔を赤くして俯く。

祐一も多少心配ではあるが、言いたくない物を無理に聞き出そうとするほど自分 がそれに対して絶対に何か出来ると自惚れているわけではない。走りながらも器 用に肩を竦めてみせると白い息を吐き出した。

「まっ、別に言いたくないなら良いけどな」

「言いたくないというか……、言えない理由があるというか……」

名雪はぶつぶつと独り言のように言っていたが、祐一はそれをちゃんと聞き直す ことはしなかった。

やがて、前方に校舎と見知った後ろ姿を二つ発見した。その隣まで追いつくと、 ここまで来ればもう走る必要もないだろうと思い、祐一は走るのを止めた。 名雪は見ていなかったのか、祐一が止まったことに気付いて少し過ぎた辺りで同 じように止まった。

「よう。今日も仲の良いことで何よりだ」

「おはよう、相沢君」

「おはようございます」

と、香里と栞は同様に名雪にも挨拶をする。挨拶が終わると名雪も香里の隣に並 んで歩き始めた。

真ん中にいた香里の隣にわざわざ並んだことに祐一は疑問に思ったが、名雪が 香里の顔をちらちらと見ていることに気付き、祐一は少し回り込んで栞の隣に 移った。
その意図に気付いたのか、二人が口を開くのは同時だった。

「かお……」

「相沢君、昨今の政治についてどう思う?」

明らかに名雪のセリフを遮っての言葉だったが、祐一は返事をしないのもどうか と思い、口を開く。

「どうって言われても……。っていうか、それにどういった答えを期待したん だ?」

「別に……」

それっきり前を向いたまま口を閉ざす。
祐一と栞は顔を見合わせてお互いに首を捻った。名雪は機を失ったためか口を 半開きにしたまま歩いている。
もう少しで下駄箱まで辿り着いてしまうが、それまでに名雪にもう一度だけ話 をする機会を作ってやるべきかと祐一は思案した。

「なぁ、香里。名雪が何か言いたそうなんだが……」

「何もないわよねッ!?」

渋々と祐一が切り出してやると、香里はバッと名雪を振り返って怒鳴るように 言う。その勢いで誤魔化そうとしているのだろうが、今度は名雪も引き下がら なかった。

「わかってるでしょ? 初詣に行こうっていう話だよ!」

「行かないッ!」

どこか二人とも切羽詰まった調子で言い合いを始めたが、端で見ていると何で 言い合いに発展したのかがさっぱりわからなかった。
再び祐一と栞は顔を見合わせた。

「一体何の話……」

「今年からは相沢君もいるんだし、私が行かなくても大丈夫でしょ!?」

「確率は少しでも減らしたいんだよっ!」

「家族の年末行事に他人を巻き込まないでよ!」

確率。年末行事。そして、二人が相当嫌がっているという事実から導き出される 事柄は、とりあえず祐一と栞にはなかった。

「お姉ちゃん、何の話をしてるんですか?」

「栞、聞いちゃだめよ! 聞いたら逃げられなくなったりするんだから!」

「逃げるって、何から逃げるんだよ?」

「……?」

祐一が聞くと、香里は一瞬怪訝そうな顔をして次いで名雪を見る。

「もしかして……相沢君に言ってないの?」

「だって、言ったら逃げるかもしれないから」

「だから何から?」

疑問を浮かべる祐一を余所に、名雪と香里は激しくアイコンタクトで会話を続け ていたようだが、短い間に何があったのか、名雪は浅く溜め息をついた。

「結局逃げれるわけないんだから言っても良いかな」

「そうしなさい。相沢君も知らないで参加させられたら可哀想よ」

「何か、聞きたいような聞きたくないような……」

「ううん。ここまで疑問に持ったからにはちゃんと聞かないとだめだよ」

声は明るく、可愛く言っているつもりなのだろうが、名雪の浮かべるそれは凄惨 な笑顔だった。香里も同じような表情でいる。
それを見てしまったら、今すぐにこの場から走り去りたい気持ちもあったが、 二人がそれを許してくれるとも思えず、ただ頷いた。

「うちでは毎年やる――というか、食べる物があるんだよ」

「食べる?」

横で聞いていた栞が聞き返すが、祐一は何となくあとに続く言葉がわかったよう な気がした。
自分でも震えるような錯覚を覚える声色で訊ねる。

「つまり?」

「年越しジャム……だよ」

絶望とは何か。その問いに明確な一線を引いてくれるような声だった。
ただ一人、この言葉の意味を理解できない栞だけが三人の顔を見回していた。

祐一自身はそれの恐怖こそ知っているものの、実際に食べたことがないために その緊張感は他の二人よりはマシだ。しかし、それでもこの二人の反応からど れだけのものか想像するなという方が無理な話だ。

「確率って言うのは?」

「お餅にジャムを入れて焼くんだけど、その中身が全部違うんだよ。でも、必ず あれはどれか一つに入ってるの」

「なるほど。二人でやれば確率50%ってことか」

だから名雪は香里を連れていって人数を増やそうとしたってわけだ。
祐一は主旨を理解して頷く。ただし、ジャム入り餅の時点でひたすらまずそうだ ということは口に出さないで置いた。

「だったら、さっき言ってたみたいに名雪が香里の家に行けばいいだろうに」

ふるふると力無く名雪は首を振った。そして、名雪の代わりに香里が答える。

「逃げられた試しはないらしいわよ」

「ああ……」

二人は深く同情した目を名雪に向ける。
それと同時に祐一は重大なことに気が付いた。

「ってことは、俺も逃げられないんじゃないか!?」

「当然だよ。まぁ、今年は真琴もいるから多少確率は低いけど」

香里に聞こえないように小さな声で呟く名雪。

確かにその通りだったが、それでも四分の一だ。他にもいれば……。
と考えて、ふと祐一は話しに入っていけずに何度も時計を確認していた栞のこと を思い出した。

「なぁ、栞。一緒に初詣に行かないか?」

「えっ? 祐一さんと一緒にですか?」

「ああ」

「えっと、……行きたいです」

「よし、決まりだ!」

話の流れがわかっていないため、あっさりと栞は頬を赤く染めながらも承諾した。 それを見て明らかに焦ったのは香里だった。鬼のような形相を祐一に向けるが、 祐一としてもここで退くわけにはいかない。

「ってことだ。まさかシスコンの香里が栞を見捨てるわけはないよな?」

「誰がシスコンよッ!? それに……私には妹なんかいないわ!」

「お、お姉ちゃん……?」

半端じゃないショックを受けている栞を置いて、祐一と名雪はまさに「言いやが ったよ、こいつ」とでも言わんばかりの表情をしていた。この際、姉妹愛が崩れ るのは知ったことではないが、どうあっても自分の保身のためには人数が減るの は困った。

時間的にも押している現在、この機会を逃せば確実に香里は二人との接触を何が 何でも避けようとするだろう。つまり、今がラストチャンスだ。

とは言え、最終手段とも言える栞を出しに使っての脅迫――もとい、説得も通じ ないとすると……。
そこで祐一は最も重要な見落としに気付いた。名雪に目配せをしてから香里に近づ いていく。

「何があっても行かないわよ、私は」

「まぁまぁ。ちょっと聞いてくれよ」

そう言いながら、祐一は香里の耳元に口を寄せて何事かを話す。それに対して、 香里も最初は頑なな態度を取っていたが、次第に頷く回数が増えていくのが見 て取れた。
一分ほどそうしてから、祐一が香里から離れる。

「で、どうする?」

「仕方がないから行ってあげるわよ。行かないのが一番だけど、栞が行くんじゃ しょうがないわ」

「ありがとう、香里」

そこまでの流れを作った祐一としては、明らかに香里の目が名雪のためではない と語っていたと思うのだが、ここで友情をむざむざ壊すほど香里は浅はかではな いようだ。栞を伴って校舎へと消えていくのを敢えて見送ってから、名雪は祐一 に聞いた。

「どうやって説得したの?」

「別に……。ただ、この行事の見落としに気付いただけだ」

「見落とし?」

「そう、必ずしも当たる確率が人数分の一だといけないってわけじゃないってこ とだ。つまり、少ない人数でもそいつに当たる確率が上がればいいだろ?」

「それって……」

「香里に授けた最強の技は、笑顔で押しつけろだ!」

嬉しそうに語る祐一の横で、名雪は頼もしくも思いながらも、押し付け役になる であろう男子生徒――北川潤に黙祷を捧げた。

「あと何人か誘えば多分回避できるだろ」

「祐一、そんな事してると友達なくすよ?」

「おまえに言われたくない。それに、ここまで焚き付けたのはおまえだというこ とを忘れないでもらおう」

「うーっ、全部私のせいにしようとしてる」

お互いに話している内容とは裏腹に、希望が出てきたような表情で、チャイムの 鳴り始めた校舎を見上げた。


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大晦日当日、水瀬家は大人数の来客でリビングが埋まるほどに賑わっていた。
来客は美坂姉妹、北川、あゆ、天野の合計五人。
しかし、その賑わいの中に緊張を残したものが三人。

「結局、最終的な確率は九分の一か。真琴の誘いがなかったら天野が来なくてち ょっとやばかったかもしれないな」

「相沢君の結構親しそうな知り合いに卒業した先輩がいなかったかしら?」

その顔ぶれを見回したあとに呟いた香里の一言は、確実に一瞬祐一を硬直させた。 その事を見逃さなかった名雪は眉をひそめる。

「祐一、何か打算があってのことじゃないよね?」

「もちろんだ。佐由理さんは仮にも財閥の令嬢だから大晦日に出かけることが 出来なかっただけで、舞とは連絡が取れなかっただけだぞ」

「そうよね。まさか、将来の有力なコネクションをなくしたくがないために、 な〜んてことはないわよねぇ?」

「メッソウモゴザイマセンヨ。オジョウサマガタ」

ひとしきり、三人の間で乾いた笑いが起こる。祐一の体中から汗が引き始めた 頃に、二人の笑いはぴたりと止み、同時に拳が飛んだ。

「裏切り者ッ!!」

どかっ ばき ゴスッ

そんな調子で大晦日のある意味命運のかかったパーティは始まり、やがて夕食 も終わった。

「それじゃ、食後にお餅を焼いてきますね」

食後に餅? と誰の顔にも書いてあったが、秋子さんの柔らかな微笑みの前に、 誰もその事に触れることはなかった。これはどういった主旨か理解している三 人も例外ではない。ただ、自分に当たらないように祈ることだけしか出来なか った。

ほどなく、それぞれの前に見た目だけはおいしそうに焼けた餅が一つずつ置かれ ていく。
ぱっと見で、祐一の前に置かれたものの中身はオレンジっぽくないのでセーフだ とわかった。ひとまずは一安心している祐一の隣では、名雪が蒼白な顔をして いた。

「どうした、名雪?」

小声で訊ねると――と言っても、その答えは容易に予想できたが――、

「私、もう笑えないよ……」

その答えのあと、名雪の前に置かれた餅を見ると、微かにオレンジがかって見え る。
ご愁傷様という言葉を何とか飲み込んで、他の連中の前に置かれたものを見る と、他にもオレンジっぽいものがいくつか見えた。

同様に周りを確認していたらしい香里と目があったので、視線で訊ねる。

(一つじゃないのかよ!?)

(しらないわよ!)

顔面を蒼白にしているのはお互い様だろう。もはや名雪を笑っている場合ではな い。ただ、やはり自分には当たらない安心からか、祐一にはどこか余裕が残って いた。

「お餅にはそれぞれ違うジャムが入ってるんですよ。イチゴ、杏子、マーマレー ド、ブルーベリー、レモンピル、リンゴ、金柑、あんこ、それと特別なジャムで す。どうぞ食べてください」

秋子さんの説明が入ったあと、香里と祐一は一瞬だけ目配せをしあって周りの様 子を見始めた。当然、みんなの顔には先程以上に疑問が浮かんでいるのが見て取 れた。
すなわち、何で餅の中にジャムが? という疑問と、あんこってジャムか? とい う疑問である。ただし、最後の内容を少しでも知っている三人の着眼点は違った。

他のみんなは、その疑問はとりあえず置いておいて、それぞれ自分の中身が何か 調べ始めているようだ。
まず、祐一が見たのは隣にある名雪のオレンジ餅だ。

「祐一、セーフ」

「ほんとか?」

「うん、マーマレードだよ。これ」

そう言って一口食べる。本当に大丈夫なようだった。他のオレンジ餅を食べてい るのは、あゆと天野だが……。

「あゆ、おまえは何だった?」

「うぐぅ、杏子だよっ」

天野に視線を向けるとおいしそうに食べている。その隣に座っている香里も首を 振って、それがあのジャムでないことを伝えてきた。

見た目がオレンジなのはそれだけで、他のものはとりあえず見た目が違うと思う 。
実際、秋子さんはあんこ、真琴はレモンピル、天野が金柑、北川はブルーベリー、 香里はイチゴ、栞はリンゴ、あゆが杏子、名雪がマーマレード……。

「あれ?」

確認しているうちにみんなが食べ終わってしまったが、誰も不快感を訴えるもの はいない。というか、確認した時点であのジャムに該当している者がいない。

「祐一さん、食べないんですか?」

「冷めないうちに食べた方が良いぜ、相沢。俺のはブルーベリーだったけど、 意外と合うのな。餅と」

「みんな食べ終わっちゃったよ、祐一」

自分の餅に全く手を付けていない祐一を見て何人かが何か言ってくるが、祐一に その言葉は聞こえていなかった。

今食べ終わってしまった者に該当者がいないということは、食べていない者がそ の該当者ということだが、残っているのは祐一の餅だけ。
そんな馬鹿な、と思って自分の餅を見てみるが、程良く付いた焦げ目の下から見 えるのはオレンジではなく、緑……。

(緑?)

秋子さんがあげた中身には、どうやっても緑になるようなものは含まれていない。 を除いては。

顔を上げると、十字を切った香里が見え、隣を覗けば決して祐一を見ようとしな い名雪の頭が見えた。

「祐一さんは甘いものが苦手と言っていたので、ちゃんと甘くないのを入れてお きましたから安心して食べてください。それは新しく作ったんですけど、自信 作なんですよ?」

「え、つまり……」

祐一は改めて自分の前に置かれた物体を見た。最初はおいしそうに焼けた餅に見え たものが、今は未知の物質にしか見えなかった。
香里に授けた技、笑顔で押し付ける。もしくは誰かと交換するといった技は既に 使えなくなっている。もう誰の皿にも餅が残っていないからだ。

覚悟を無理矢理決めさせられた祐一は想像していたよりも凶悪な味に悶え、食べ たあともしばらくは放心状態でみんなが騒いでいるのを見つめていた。

その喧噪の中、いまなお呆然としている祐一に天野が近づいてきて全てを知って いるかのようにこう言った。

「相沢さん。自業自得っていう言葉、知っていますか?」

(知ってるよ、コンチクショウ!)

保身のために友人を連れてきた無意味さを感じ、自分の過去の軽率な発言を呪い ながら、祐一は除夜の鐘を聞いていた。


<おわり>