「きまった〜〜〜!!!! 綺麗なハイキックが頭を揺らした〜〜〜〜!!!!!!」
アナウンサーが絶叫する。それにもまさる観客達の歓声。
綾香は、確信した。この一撃をくらって、立ちあがれる者などいないと。
それでも、綾香は構えをとかなかった。
「どうなのか、立てるのか、立てるのか!!」
しかし、対戦者は立てれなかった。むしろ、動けなかったというのが正しいか。
「レフェリーが止めた、止めました!!!!!」
ワッと歓声がいちだんと大きくなる。
「ここに、エクストリーム最強の女王が誕生しました!!!!!」
綾香は、右腕を高だかと突き上げた。
「勝者が腕を高だかと突き上げました。その姿はまるでこの世に降臨した女神です!!!!!」
アナウンサーのその声はやはり歓声にかき消されそうだった。
しかし、何人の者が気付いただろうか?
勝ちを確信したときも、腕を突き上げたときも、綾香の重心は次の戦闘のために構えのままだったことに。
「おめでとうございます、綾香お嬢様」
セバスチャンは綾香に向かって深々と頭を下げた。
「ありがと、セバスチャン」
綾香は額に流れる汗をタオルでふき取った。
「で、どう? けっこうがんばったつもりだけど」
「そうでございますな・・・」
セバスチャンは腕を組んで考えこんだ。
「あなたに言われた通り、私なりに気をつけたんだけど」
「・・・格闘技術についてはこの老いぼれが忠告できることなどございません。ただ、やはり、まだ残心ができていないかと」
「えー、ちゃんと気を抜かなかったわよ」
残心、古来剣術家などが人を切った後もその剣気を残し、次の相手のために気を抜かなかった。それを残心という。
実戦においていついかなるときも油断をしない、とくに相手を倒したときにおきる油断を消すのが残心である。
「確かに、型はそうでございました。いつでも攻撃に移れる重心を保ったままでいられるのは、さすがでございます」
「だったら・・・」
「しかし、心が残っておりませぬ」
「心?」
「はい、心でございます。それこそが、残心における最重要でございます。しかし、綾香お嬢様には心が残っておりませなんだ」
綾香は首をかしげた。
「一応、ずっと警戒してたつもりなんだけどなあ」
「警戒するのではございません。いくら屈強な男も、いついかなるときも警戒していては心身が磨り減ってしまいます」
「だったら、どうするの?」
「平常心で、心を残すのです」
「よくわかんないけど・・・」
セバスチャンはガッハッハと豪快に笑った。
「お気にせずともよいでしょう、綾香お嬢様。今の世の中、格闘など日常で使うものではござません。綾香お嬢様が残心ができないのも、実戦経験をしていらっしゃらないからです。それだけ世の中が平和だということです。無理にそのようなものを覚える必要もございませんでしょう」
「何かくやしいなあ・・・」
綾香の負けず嫌いを知っているセバスチャンは、苦笑した。
「綾香お嬢様。このわたくしめの格闘術は、戦後の世の中を生きていくために必然として手に入れたものです。必要のない時代になってみれば、単なるお荷物なのですよ」
「でも、それって結局私はセバスチャンには勝てないじゃない」
「・・・それでいいのでございますよ」
「私は嫌よ」
「いいえ、それでいいのでございます」
セバスチャンは、自虐的に笑った。
「この力が、一体何の役にたつというのでございましょうか」
「・・・」
そんな表情をされたら、綾香はだまるしかなかった。
そしてどうでもいいことのように、綾香はエクストリームチャンピオンとなった。
実戦・・・かあ。
綾香はセリオと街を歩きながら考えていた。
綾香がエクストリームチャンピオンになってはや半年。綾香の名前は格闘界に鳴り響いていた。
かわいくて、強い、最強の格闘家少女。
もちろん、テレビの取材も何度も来たが、綾香はそれを断ってきた。
綾香にとってはエクストリームは強い相手と戦う場所であって、それ以上でもそれ以下でもなかった。
それで自分が有名になることは、格闘界においては重要なことかも知れないが、綾香にとってはどうでもよかった。
人気のあるスポーツは技術が向上していく。
その単純な原理は知っていたが、そのために自分がメディアに出ることもないだろうと思っていた。
雑誌の取材ぐらいは答えてやっているのだ、十分だろう。
「セリオ、セバスチャンはまけた?」
「はい、まけました。綾香お嬢様」
「その、綾香お嬢様ってのはやめない、セリオ。綾香さんでいいっていってるじゃない」
「いえ、綾香お嬢様のことは綾香お嬢様と呼ぶようにプログラムされておりますので」
まったく、頭の硬い子(?)ねえ。
綾香が苦笑したので、セリオは首をかしげた。
こういう首をかしげるところなんて、まるで人間だ。どう見てもロボットには見えない。
なにより、付き合ってみて、セリオがロボットでも何でも自分の大切な友人になっていることを綾香は知っていた。もっとも、セリオがどう思っているのかまでは分からなかったが。
「さて、じゃあ浩之の所にいきますか」
「はい、綾香お嬢様」
私はいつもの場所に向かって歩きだした。
「しっかし、面白い拾いものよね、浩之って」
「浩之さんはものではありませんが」
「やーねー、比喩よ、比喩」
「はい、わかっております」
それはセリオの冗談だったのかどうか、綾香ははかりかねた。
「あいつ、一日でみるみる強くなっていくわ。すごいと思わない?」
「はい、あの方は特別なのでしょう」
特別・・・か。
綾香も薄々ではあるが気がついていた。いつのまにか、浩之が自分にとって特別な存在になっていることに。
「このままなら、もしかしたら私がカケに負けるかもね」
「いえ、綾香お嬢様が本気を出されれば、浩之さんでも一週間ではどうにもなりません」
「あら、私が手加減してるの知ってたんだ」
「はい、サテライトサービスにより一流レフェリーのデータをダウンロードしていますので」
一流レフェリーのデータをダウンロードしたからといってそこまで分かるのか綾香には少し疑問ではあった。
「そのデータによれば、浩之さんの技術の向上は驚異的です」
「そう、そこよ」
綾香の言葉に、セリオは首をかしげた。
「何で浩之のことは『さん』なの」
「それは・・・浩之さんがそうお呼びするようにと・・・」
少し口篭もるようにセリオが言ったので、綾香はさすがに驚いてしまった。まさか、セリオが口篭もるとは思わなかったからだ。
「何、何かあったの?」
「いえ、これといって何も」
「そんな風にはみえないけど、まあいいわ。いそいで浩之の所にいきましょ」
「はい、綾香お嬢様」
私とセリオはいつもの決闘の場所に向かった。
「おまたせ〜」
浩之の姿を見て、綾香はそう第一声をかけた。
「まさか、浩之が葵とも知り合いだったとわね」
「世間はせまいもんだろ」
「そうね」
綾香と浩之は笑いあった。
浩之の話によると、綾香から格闘技をならったことで、浩之も格闘に興味を持ったらしい。
そして、エクストリームの話をしていた少女のことを思い出した。それが葵だったのだ。
葵は、綾香の後を追って空手からエクストリームに転向し、自分一人で格闘同好会をつくりがんばっていたのだ。
そこに、綾香から格闘技の手ほどきをうけた浩之が顔を出した。
基本のしっかりした、しかもやさしい先輩を持ち、葵は空手ではかなり強い部類に入る同じ学校の坂下をみごとに倒した。
「けど、浩之って手が早いのねえ。葵にまで手を出してるなんて・・・」
「おいおい、人聞きの悪いこというなよ。いつ俺が葵ちゃんに手を出した」
「だって、浩之がそう言ったって、葵の態度に出てたわよ」
「あのなあ・・・もしかして、妬いてるのか?」
綾香はほんの一瞬あせったようにも見えたが、平気な顔で返した。
「そこまで自信過剰だと、女の子に嫌われるわよ」
「これが地でね。それにこう見えても謙虚なんだぜ」
「どこが」
綾香は浩之と話をしている間、楽しかった。
このごろ、自分の一番心をゆらしていた格闘技に敵がおらずすこしあきていることもある。
しかたないなあ、このままだと、男子と戦うしかないのかなあ。
綾香はそう思ったが、たとえ男子であろうと自分が負けるとはこれっぽっちも思えなかった。
綾香は、浩之よりはずっと自信過剰だったし、その自覚もあった。
「さて、今日は何するの?」
「いや、今日も葵ちゃんのところに行って練習しようかと思ってたんだが」
「このごろ格闘技にはまってるのね」
「まあな」
浩之は今は本当に格闘技が楽しいのだろう、笑った。
「ふーん、いいわ。私も付き合ってあげる」
「恩にきるよ、綾香」
綾香と浩之は神社に向かって歩き出した。
のちに、格闘家の中で伝説となる最強格闘王女綾香の生活は、こんなものであった。
続く