作品選択に戻る

最強格闘王女伝説綾香

 

三章・試合(79)

 

 寺町は一歩大きく踏み込み。

 その問題があるようにさえ見える、上に構えた右の拳が、相手に向かって、何の無駄もなく一直線に振り下ろされた。

 何のひねりもない、ただ一直線の突き。だが、その打撃は、並ではなかった。

 ビュンッ!

 重いその打ち下ろしの正拳が、空を切る。

 後藤勇一は、打ち下ろしの正拳をよけた。それが来るだろうことを読んでいたのだ。ダメージを受け、自分の流れが悪いならば、得意技にすがる、それを間違いなく読んでいたのだ。

 だが、それは読んだだけ、避けただけであった。

 例え読んでいたとしても、踏み込むことなどできなかったのだ。むしろ、読んでいなければ、避けることさえ不可能だったろう。

 目の色、いや、顔の色が明らかに違う。

 寺町の打ち下ろしの正拳突きの本気を初めて目の前で見て、そしてそれを避けて、思ったのだろう。

 これを捉まえることなどできないと。

 隙は大きい。確かに寺町の打ち下ろしの正拳はコンビネーションに入れるのは難しいし、打った後の隙が大きい。

 打撃戦では、打撃を打った後の隙というのは致命的ではあるが、寺町の打ち下ろしの正拳突きは、その隙が大きくともほとんど問題にならない。

 その恐ろしい打撃の中に手を突っ込む勇気のある者は、そうはいないのだ。

 寺町の打ち下ろしの正拳を目の前にすると、つい後ろに逃げてしまう。格闘の基本は前に出ることだ。そうしなければ、相手を捉まえることなど不可能なのだから。

 それがわかっていても、避けやすい、さらに言えば、その脅威から逃れやすい後ろに逃げてしまうのだ。そうなれば、踏み込むことなどできない。それがしたいのなら、少なくとも一回は寺町のその打ち下ろしの正拳突きをかいくぐらなくてはならないのだ。

 実際、浩之はぞっとした。寺町に勝つためには、浩之はそれをかいくぐってタックルに行くしかなく、寺町を応援しながらもそのタイミングを計っていたのだ。

 無理だ、絶対俺には無理だ。

 チャンスを作るための、ただ一回のリスク。それだけを搾り出すことが、あの打ち下ろしの正拳突きの前には至難の技だ。

 坂下は寺町に勝ったというが、あの中に手や足を突っ込む坂下の神経の方がどうにかなっているとしか言い様がない。

 それが証拠に、浩之の見る限り、浩之と実力的に大して変わらないのではと思える後藤勇一は、相手が打ち下ろしの正拳を出すタイミングがわかっていてさえ、後ろに逃げるしかなかったのだ。

 しかも、さっきまで散々攻めて疲れさせたはずの相手に、だ。

 やはり、寺町の実力は飛びぬけている。今まで見てきた試合の中でも、寺町を越えれそうなのは、修治と北条桃矢ぐらいのものだ。

 だが、勝てないとわかっていても、今の自分のスペックをやりくりしてどうにかしなければいけないのだ。それは、後藤勇一も同じこと。

 後藤勇一のスペック……やはり、反則か?

 たった一度、されど一度の反則技で、あそこまで寺町を追い詰めたのだ。はまればどんな強い相手であっても倒せるスペックを後藤勇一は持っている。

 例え、それが褒めれない内容であっても、勝った者が正義なのは、どこの世界でも同じだ。

 しかし、それだって、今の寺町に通用するかどうか……

 完全に怒り心頭しているのだろうか、寺町の目は驚くほど鋭い。しかし、その中に笑みが見えるのは、浩之の気のせいだろうか?

 ぶるっと横にいる綾香が震える。

「……綾香?」

「何?」

 声も少しうわずっているだろうか。その姿は、妖艶にさえ思える。そして、浩之はこういう綾香が何を思っているのか、よく知っていた。

「面白そう。我慢、できないわ」

「……お願いだから、乱入だけはやめてくれよ」

 堂に入った寺町の右のミドルキックが、空を切る。が、これには隙がない。攻め込もうにも、すでに右拳は上に構えられている。

 後藤勇一はよく避けている。それに、要所要所で攻めに転じ、何とかチャンスを作ろうとしている。

 だが、相手が悪い。寺町は、それをまったく気にすることもなく、ただ攻めていた。それはがむしゃらにも見えるが、洗練された動き。

 理にかなっている上に、鋭い。

「楽しそうなやつじゃない、思ってた以上に」

 綾香は自分の腕を押さえて震えを押さえている。まるで禁断症状を我慢する中毒患者だ。

 いや、むしろそれはそのままなのかもしれない。綾香は、重度の中毒患者なのだから。

 格闘中毒の、哀れな美少女は、ぞっとするような笑みで、その試合を観ていた。いつ我慢の限界が来るかわからない、危うい時間。

 それだけ、寺町が強いのだ。綾香の禁断症状を出させてしまうほどに。

「ふんっ!」

 寺町の前蹴りを、後藤勇一は両腕でガードする。今のは入り込もうとしたのだが、不発に終わったようだった。そうでなければ、ガードせずに後ろに逃げているだろう。

 次に待つ寺町の打ち下ろしの正拳を、やはり読んでいたのだろう。一歩後ろに後退する。

 が、その一瞬、空白の時間ができた。

 フェイントッ!

 動いたのは、寺町の拳ではなく、足だった。そこから、一歩大きく踏み込む。後ろに逃げた、いや、逃げると予想していた後藤勇一を追いかけたのだ。

 ズバンッ!

 後藤勇一の両腕のガードの上を、思い切り寺町の打ち下ろしの正拳突きが捉えた。

 なす術もなく、後藤勇一の身体が後ろに吹き飛ぶ。

「やったか?」

「いえ、まだ終わってないわ」

 後藤勇一は、とっさのこととは言え、完全にガードしたようだ。手だけとは言わず、両腕でがっちりガードしたのだ。ダメージは殺し切れてはいないのだろうが、マットに片手をつきながらも素早く立ち上がって距離を取る。

「あのスピードとパワーの打撃に、フェイントを組み合わせて、相手の動きを読んで打つ。卑怯なほどのできね」

 一番卑怯な彼女が言うのだから、間違いないだろう。

 ダメージは殺しきれはしなかったのだろうが、それでも後藤勇一はすぐに果敢にも攻める。

 下へのタックルのフェイント、は読まれて寺町は手を出してこなかったが、もう一歩内へ踏み込んだのに反応して左ジャブを放つ。

 が、これもフェイントで、後藤勇一は一歩下がって、何とか潜り抜ける。

 しかし、この攻撃はそれまでだ、と浩之は思った。距離が遠すぎるし、踏み込むにも、寺町の打ち下ろしの正拳突きは健在だ。

 もともと、リーチは寺町の方が長い。踏み込めない以上、寺町に攻撃を当てることは不可能なのだ。

 だが、後藤勇一は拳を振るっていた。肩から、腕をまるでムチのようにしならせて、フックと言うよりは、振り切るような拳。

 当たらない、浩之はそう思った。寺町も、そう思ったのだろう、攻撃に転じようとしていた。

 バシュッ!

 寺町のテンプルから、血がはじけた。

 

続く

 

前のページに戻る

次のページに進む