オッス、おら河野貴明。高校二年生だ。
世界中の強いヤツに会いに行くぞ!
……はっ、やばいやばい。今一瞬思考が変な方向に動いてしまった。
寒さで震えながら、俺は毛布をかき抱いた。
寒いと、思考もおかしくなっていくんだなあ、と他人事のように考えるが、もしかして、これってけっこう危ない状況なのだろうか?
う〜、それにしても、本気で冷えるな。ここは本当に日本か?
俺は、何もない自分の部屋で毛布にくるまって縮こまっていた。何もない、というか、そもそも、ここはもう俺の部屋ですらない。
俺の部屋のものは、半分は「アレ」の家に、俺の許可なく持って行かれた。
後半分はと言えば。
「こんなものいらないわ」
と、「アレ」にあっさりと捨てられてしまった。俺の文句など、黙殺するところか、実力で黙らせてだ。
そして始まった、牢獄の中のような生活。
いや、牢獄と言うには色々とムニャムニャ……じゃなくて、牢獄には、外に自由な世界があるだけましだ。あそこには、外すらない。
俺は何とか「アレ」の隙をついて、ここまで逃げて来たのだ。
しかし、親はこの大晦日にも帰ってはおらず、俺が「アレ」の家に強制連行されたものだから、今この家は電気もガスも今は止めてある。
もっとも、俺としても、それを使う訳にはいかない。そんなことをすれば、せっかく逃げて来た「アレ」に、あっさりと見つかってしまうだろう。
家の外の街灯の光だけが、唯一の明かり。親の部屋から引っ張り出して来た毛布だけが、唯一の暖房器具だ。
さらに今年は記録的に寒さの厳しい冬。文明の利器も使えず、毛布にくるまっただけでは、手足の方から寒さというよりも、冷たさがにじむように身体に伝わって来る。
マ、マヂで死ぬかも……。
となりに行けば、このみの家がある。「アレ」に連行されることを知って「タカくんには裏切られた!」とか訳のわからないことをおばさんなどには言われたが、それでも頼れば、おそらくはかくまってくれるだろう。
しかし、「アレ」の追撃がある可能性は非常に高い。おじさんおばさんはともかく、このみはすぐにボロを出すはずだ。
この家だって、もちろん狙われてはいるだろうが、ガスも電気も使えないというのはこの寒さの中では辛い。むしろ自殺行為だ。だからこそ、盲点にもなる。
俺は、用意しておいた魔法瓶から、最後のお茶をカップに注ぐ。
家にあった魔法瓶を、一ヶ月前ほどに取って来ておいたのだ。なるべく沢山入るやつを選んでおいた。それもこの日の為にだ。
どうせ、明日には見つかる。がんばったところで、俺はほぼ無一文だから、生活が出来る訳ではない。
しかし、今年最後を、一人で過ごすことぐらいさせて欲しいと思う。言わば、これは俺のできる最後の抵抗だ。
大晦日から新年にかけての、俺の「お披露目会」を、何とか逃亡する。それが俺に与えられた任務だ。
それは、不満は沢山あるけれど、俺だって覚悟はしている。
何より、「アレ」、タマ姉のことは好きだ。その気持ちに嘘はない。
だけど、俺の気持ちも少しは考えて欲しいのだ。
朝から晩までタマ姉の監視つきの生活は、俺の精神をかなりすり減らした。
唯一安息の地である授業中も、授業そっちのけで勉強をがんばらなければ、結局後で辛くなるのは俺。
遊ぶ暇どころか、息をつく暇さえない。朝から晩までノンストップで全力疾走させられているようなものだ。
地獄絵図、ですか?
そんなもの、アレを経験していないから言える言葉です。アレはもう人間の想像できるものじゃありません。鬼です、悪魔です。恐怖の大王がノーベル平和賞を取れる世界です。
九条院へ俺の学力で入学するためには、致し方のないことなのかもしれないが、それを理解したからと言って、辛くない訳がない。
そりゃ、天才のタマ姉はいいだろうさ。でも、俺はあくまで一般人。そうそう簡単に東大レベルの学力など身に付くはずがない。
それを無理矢理やらせるものだから、俺はもうボロボロ。
だから、この無意味な逃亡は、タマ姉に対する、せめてもの抗議なのだ。
……小学生の家出のようとか言わないで欲しい。立場的には、小学生よりも俺の方がよほど立場が弱いんだし。
最後の暖かいお茶を飲んでしまい、等々、俺は毛布一つでこの寒さを乗り切らなければならなくなった。
くそ、もっと布団を取ってくるべきだったか?
しかし、今くるまった毛布から出れば、身体の熱がかなり逃げることになる。
もしそうなったら、今度はもう一度暖まるまで、身体が持つ自信がない。家で凍死という、冗談にもならない言葉さえ頭をよぎる。
そうこうしている間に、手足からは徐々に熱が逃げ、冷たさがじわじわと伝わって来る。
それにともなって意識の方も、段々と薄らいでくる。
いや、単に眠いだけだな。寝るともしものときに逃げられなくなるので、なるべく寝ないようにしたいんだが、しかし、この眠気は……。
まあ、死ぬ訳じゃないから、いいよな?
こういうことを考えているあたり、かなりヤバイんじゃないかと自覚はあるのだが、それよりも睡魔の方が強い。
寒さもあまり感じなくなって来た。むしろ、じんわりとした暖かささえ感じる。
ああ、俺、本気で死ぬのかなあ。
ゲンジ丸、俺もう疲れたよ……。
……このみ、俺が死んだら、夕日の見える崖から灰を海に捨ててくれ。俺が二度と捕まらないように。
「そうなったら、魚になってその灰全部飲み込んであげるんだから」
そんな優しくて、背筋も凍るような幻聴が、遠のく意識に聞こえてきた。
ゴ〜〜〜ン
うとうとしていた耳に、除夜の鐘の音が聞こえてきた。
一年が終わり、新しい一年が始まったということだ。
とりあえず、死んではいない。そりゃそうだ。ここは日本、凍死するには暖かすぎる。
というか、むしろ今は暖かいと言うよりか……何か熱いぐらいだ。それも、身体の奥から身を焦がすような、それでいて心地よい熱さ。
「あけましておめでとう、タカ坊」
「あけましておめでとう、タマ……」
ビキッ
その幻聴に、凍り付いたのは、寒さの所為じゃない。
幻聴だ、絶対に幻聴だ。だから、振り返る必要なんてない。
「よかった、タカ坊が逃げてくれたおかげで、二人きりで新年を迎えられたわ。親類に紹介するより、よっぽどロマンチックよね。さすがタカ坊、私の好みがわかってる」
耳元で、その幻聴は流ちょうな日本語をしゃべる。というか、あまりにも耳元過ぎる気がする。ついでに言うと、幻聴の聞こえる方向に、熱が集中している気がする。
「もう、絶対逃がさないんだから」
熱が、俺の身体に強くすりつけられる。
「……あ、あの、幻聴さん」
「な――に?」
さん付けでも不服だったのか、多少すねたような幻聴。様づけした方がいいだろうか?
「つかぬことをお伺いしたいんですが……もしかして、裸?」
お互いの肌と肌が重なり合って、それはもうえもいわれぬ心地よさを。
「もう、タカ坊だってそうじゃない」
「あの、俺脱いだ記憶まったくないんですけど」
この寒い中、いくら毛布にくるまっていたとしても、裸のまま寝るバカはいない。自分がバカじゃないと信じたい。
「私が脱がしたのよ、ちょっと興奮ね」
「いまいち、どうしてこうなってるのか理解できないんですが?」
何をそんな簡単なことを、と幻聴様は答えてくださいました。
「冷え切った男の子を温めるのは、やっぱり裸で抱き合うしかないでしょ? うん、暖かい。湯たんぽなんていらないわね」
今のご時世、湯たんぽを使う高校生なぞおりません。
幻聴様は俺の胸にほほをすりつけてくる。
街灯のわずかな明かりで照らされる部屋には、脱ぎ散らかされた、俺の服と振り袖が。
「って、タマ姉。振り袖脱いじゃまずくないか?」
「いいわよ、着付けぐらい一人で出来るから」
まあ、聞くまでもないか。
俺は逃避を止めて、現実を見据える。
「……あーあ、結局逃げ切れなかったか」
裸にされている以上、ここから走って逃げることなどできないし、そもそも、この格好は命を握られていると一緒だ。
「いい線行ってたわよ。まさか、こんな寒いところに一人でいるとは思ってなかったもの。二つぐらい無駄回されたわ」
やはり簡単だったようだ。選択肢はなかったと言うものの、やはり浅はかだったかもしれない。
「……ねえ、タカ坊?」
「ん?」
「私といるの……そんなに嫌?」
不安そうな声は、むしろ顔で笑って心で怒られるよりもよほど堪える。
って、そんなに柔らかな二つのそれとか押しつけないでいただきたい。いや、嬉しいんだけどさ。
「うぐっ……い、いや、嫌じゃないんだけど、やっぱりちょっとは自由が欲しいかな〜〜なんて」
「私のこと、嫌い?」
「い、いや、もちろん、好きだけど……」
「愛してる?」
「う……あ、愛してる」
「じゃあ、いいじゃない」
……いいのか?
何か物凄く言わされた感のある言葉で、混乱の内に納得させられそうになる。
「まあ、安心していいわよ。着付けはできるから」
「いや、その話はさっき終わった」
「何言ってるのよ。せっかくの晴れ着なんだから、やっぱり楽しみたいでしょ?」
「楽しむって、ナニヲデスカ?」
いや、タマ姉の言いたいことはわかるのだけど、納得しちゃいけないというか、もう俺の方も臨戦態勢というか。
タマ姉は、にんまりと笑って、俺の首に下を這わせた。
「晴れ着で姫初め」
俺はゴクリ、とつばを飲み込み、タマ姉は、ちゃんと着付けをするために、一度肌を、放した。
もう、逃げられる心配はないと言うように。
ワレ、ホカクニセイコウセリ
〜ある追跡者の物語〜
合掌、じゃなかった謹賀新年。