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恋の風邪騒ぎ

 

「う〜ん、志保ちゃん一生の不覚」

 志保はいつもの元気はどこへやら、少し枯れたような声でそう言うと、力尽きてベットに倒れ こんだ。

「やっぱだめか〜」

 そう言いながら、だるい身体を動かし、布団の中にもぐりこむ。

 頭はズキズキと痛むし、まるで自分の身体でないように言うことを聞かない身体は、暑いのか寒い のかよく分からない状態だ。べっとりとひっつく汗が、よけいに不快感を増す。

 私、このままここで死ぬのかなあ。

 おおげさなことを志保は考えていたが、単に風邪をひいただけだ。

 だが、それなら安静に寝ておいけば良いものを、志保は何度もベットから立ちあがって学校に 行こうとしたのだ。

 おかげで、もう昼になるが、まったく熱は下がらず、むしろ朝から比べても酷くなったのでは ないかと思えるほどだ。実際、志保はそろそろ耳鳴りさえ聞こえて出していた。

 自分でも無茶だって分かってるんだけど……

 結局、部屋から出ることさえ出来なかった志保は、そうあきらめるしかなかった。

 でも、学校行きたかったなあ。

 まるで遠足の日に風邪をひいてしまった子供のように、志保は学校に行けないのが残念でなら なかった。

 志保は、学校の授業が面白くて仕方がない、というような変わった人間ではない。だいたい、 それなら補習にひっかかったりしないし、普通の高校生にそんな奇特な生徒がいるわけがない。 志保は当然授業、というより、勉強自体が好きではない。

 だが、学校には行きたかったのだ。

 何の行事があるわけでもないし、特別な用事があるわけでもないが、志保は学校に行きたくて しょうがなかった。

 正確に言うと、学校に行って、一人の悪友に会いたくてしょうがなかった。

 ……百歩譲って、恋人でもいい……よね?

 学校に行くのは、ほとんど、いや、全部その悪友、百歩譲って恋人の浩之に会うためなのだ。

 ガラじゃないと言われれば返す言葉もないが、志保にとって、それほど浩之と話せることは うれしくてしょうがないのだ。

 昨日も、お風呂あがりに服も着ずに、バスタオルのまま2時間ほど電話をしていたので、おそらく そのせいで風邪をひいたのだろう。

 でも、話もりあがっちゃったし……

 一度切ってから、またかけなおせばいいのだが、そのときの志保には、そんなことを考える頭は のこってないのだ。ただただ、浩之との会話が楽しくてしょうがないのだ。

 あ〜あ、今日は1日ヒロには会えないのかあ。だいたい、この風邪が悪いのよ、せっかく昨日の ネタでまた色々話すこと考えてたのに……

 ピンポ〜ン

 ぶつくさと心の中で風邪に対する理不尽な文句を考えていると、チャイムの鳴る音がした。

 お母さんは、今日は仕事が休みのはずだから、出なくてもいいよね?

 というより、どうがんばっても玄関までたどり着けないのだから、出ようにも出ることなど できないのだが。

 パタパタと母親が玄関に向かう音がかすかに聞こえた。

 何で今に限ってあんなにスリッパの音というのはよく響くのだろう。いつもは聞こえないのに。 音楽をかけていないせいからかな?

 志保の部屋は二階の階段をあがったすぐの場所にあるので、玄関の音が響いてきてもおかしくは ないが、すくなくとも会話は聞こえないはずだ。、

 だが、志保には、会話の内容までは聞こえなかったが、その声ははっきりと聞こえた。

 ……だめだな、いくら何でも、幻聴が聞こえるようになるなんて……

 まだお昼の休憩も終っていないような時間。土曜日でもないのに、何故こんなところでヒロの 声が聞こえるのかな。

 しかし、そのかすかに聞こえる声は、いくら聞きなおしても浩之の声だった。

 そうしているうちに、今度はバタバタと母親が階段を上がってくる音がした。

「志保〜、入るわよ〜」

 そう言って、母親は返事も聞かずに部屋に入ってくる。いつもなら文句の一つでも言ってやる ところだが、今の志保にはそんなことをする気力はない。

「志保、起きてるかい?」

「うん……」

 志保は、かすれた声で答えた。

「藤田君っていう男の子がお見舞いに来てくれたよ。部屋に通すわよ」

 志保はそれを聞いて、布団の中で驚いて、次に顔をほころばせて、その後に風邪のせいではなく 真っ赤になった。

「だめっ!」

 まだかすれた声ではあったが、志保は自分でも驚くような声でそう言っていた。

「だめって、せっかくお見舞いに来てくれたんだよ?」

「だめなものはだめなのっ!」

「そんなこと言って、見た目もかっこいい好青年じゃないか。母さん、ああいう男の子なら 志保が付き合うのも許すよ」

「なっ……!」

 何バカなこと言ってるのよこのオバンは、と言いたかったのだが、そこまで志保の体力は持って くれなかったようだった。声もそれ以上は出せなかった。

 それをどう受け取ったのか、志保の母親は、部屋から出てそのまま一階に降りていく。

 そして、今度は明らかに母親のではない足音が聞こえてきた。

 コンコン

「志保、入るぜ」

 よく聞きなれた声に、志保は最後の力をこめて言った。

「だめっ」

「却下だ」

 浩之は、一言で志保の言葉を却下すると、ガチャッと部屋の扉を開けた。

「……何布団の中に隠れてんだ、志保?」

「……」

「人がせっかく見舞いに来たんだぜ。少しはお礼の一つでも言ったらどうだ?」

「……」

「お〜い、志保〜?」

「……」

「志保ちゃ〜ん、起きてよ〜。学校遅刻するよ〜」

「……バカ」

 志保は、ボフッと布団の中から頭半分だけを出して浩之を睨んだ。

 そこには、見たくて仕方なかったヤツがいた。いつも通り、やる気のない顔をして。

「よう、志保、元気か?」

 風邪をひいて学校を休んだ相手に対してひどい言いぐさだが、それもある意味浩之の気のきかせ 方なのかもしれない。

「……何で、こんな時間にいるのよ?」

 志保は、しかしすぐには素直になれなかった。来てくれてありがとう、そう言えれば、どれだけ よかっただろうか。

 その言葉は、志保には言えないのだ。

「……まだ学校あるんじゃないの?」

「あ、学校か? さぼった」

「さぼったって……」

 浩之も真面目な生徒とは言い難いが、少なくとも学校をズル休みするような性格でないのは 確かだ。

「何でそんなこと……」

「きまってるだろ、お前のことが心配だったんだよ」

「え……」

 浩之は、そうぶっきらぼうに言った。それが、浩之のてれたときの態度なのは、志保も重々 承知していた。

「……ま、バカは風邪ひかないって思ってたからな。お前がまさか風邪なんかひくなんてな。 新しいギャグかと思ったぜ」

「悪かったわね、バカで」

 志保は、ぷいとそっぽを向いた。気のきいたセリフでも返してやりたいのだが、今の体力では これが精一杯なのだ。

「ああ、ほんとにバカが」

 浩之は、そっぽを向いて寝ている志保に近づいて、そっとほほにふれた。

「バカが……俺に、心配させるなよな」

 よくあかりから聞く「しょうがない」という顔を、浩之は最近志保にも見せるようになった。 そして、それが志保にはどうもくすぐったい。しかし、まだ慣れないがそれは心地よいものだ。

「……う、うん」

 ほほから髪にかけてやさしくなでられて、志保は一瞬憎まれ口も忘れて、素直に頷いた。それは 風邪のせいで心が弱っていたせいかもしれない。

「それで、調子の方はどうなんだ?」

「……正直言うと、つらい……」

「志保が素直にそう言うんだから、そうなんだろうな。で、病院には行ったのか?」

「朝に行ってきたわよ。注射はうたなかったけど」

「何でだ?」

「……注射、嫌いなのよ」

 浩之は、ぷっと吹き出した。

「……何よ、悪い?」

 憎まれ口にも、力が入らない。しかし、今回は病気でどうこうというより、浩之にからかわれる ことが何故かうれしかったのだ。

「いや、今の年齢が注射が嫌いってのも聞いたことなかったからな」

「痛いのが嫌なのは当然でしょ」

 浩之は、志保のいいわけでまた笑った。今度はちゃんと志保は頭にきた。

「でも、注射うってもらった方が治りは早いぜ」

「うん……今はそう思ってる。学校行けないのは嫌だから……」

 そこで、志保はいらないことまで自分が言ったことに気付いた。

「へえ〜、勉強嫌いの志保がねえ。学校行きたいなんて、どういう風のふきまわしだ?」

「……」

「お〜い、志保、聞こえてるか?」

「聞こえてるわよ」

 志保は、できるだけぶっきらぼうに言った。しかし、浩之にはその言葉で志保がてれている ことに気付いた。何はともあれ、よく似た二人だ。

「はは〜ん、さては、俺に会えなくてさびしかったんだな?」

 浩之は、冗談半分という口調で言った。だが、それは的確に答えを当てていた。それ以上に 志保が学校に行きたいと思うことがあるだろうか?

「……悪い?」

 志保は、できるだけ憎たらしくそう言うのがやっとだった。ごまかすにしても、志保は最後まで ごまかせる自信もなかったし、浩之にもそれを知って欲しかったのだ。

 私が学校に行くのは、ヒロに会いたいから。

 でも、それを本当に口に出すまでの勇気がなくて、憎たらしい口調で同意するという、中途半端 な態度になってしまったのだ。

 しかし、それを聞いても、浩之は少しも驚かなかった。むしろ、その表情を、よりいっそう 強め、志保は嬉しくて、そして恥ずかしくて浩之の顔を直視などできなかった。

「知ってるぜ、それぐらい」

「だったら……」

「だから、学校さぼってまで来たんだろ? そういうお前は、そうまでして来た俺を追い返そう とするしな」

「だって……」

 志保は、ゴニョゴニョと何か文句を言った。

「ちゃんと言え、志保」

「……だって、今お化粧もしてないし、服だってパジャマだし、髪もボサボサだし、身体は汗くさい し、声は枯れてるし……熱で、顔もすごいことになってるだろうし……」

 浩之は、それを聞いて、ぱっと志保の顔の半分を隠すかけ布団をめくった。

「ちょっ、何するのよ!」

「志保、お前が化粧してるから、俺が好きになったと思ってるのか?」

 そう言って、浩之はじっと志保の瞳を見つめた。

「……う、ううん」

「服が気にいって好きになったと思うか?」

「……違うと思う」

「髪型が気にいったと思うか? 汗の匂いがしないから好きになったと思うのか? 声が綺麗 だから好きになったって思うのか?」

「……全部、好きになった理由じゃない」

「顔が好きになったと思ったのか?」

「それはあると思うけど」

 志保はそれについてはまったく躊躇せずに答えた。よほど自信があるのかバカなのか……

「ま、それは当然だけどな。とにかくだ、俺は、志保のことが好きなんだよ。風邪で寝こんでれば 心配になって見に来るし、それで苦しんでるお前を見れば、心配になるのは当たり前だろ」

 浩之は、何故か今回はまったくてれることなく言った。

「それに……風邪で寝こんで、汗をかいて髪を乱してる志保の顔も、これはこれでそそるものが……」

「……ヘンタ……」

 チュッ

 浩之は、軽く志保の唇に自分の唇をふれた。

「……」

「ほんとは、もうちょっとしたいんだが、お前も風邪ひいてるし、俺にうつったりしたらそれこそ シャレにならないからな。ただでさえ点数のヤバイ志保が授業さぼって俺を見まいになんて来たら、 志保が1年後輩になっちまうしな」

 そう言った後に、浩之は言葉とは裏腹に少しだけ長いキスをした。

「だから、これで勘弁してくれよ」

「……ヘンタイ」

 志保は、しまりのない顔でそう言った。どう隠そうとしても、顔がほころんでしまうのだ。 そのはらいせとばかりに、志保は浩之のほほを力まかせに、今は軽くにしかならないが、つねった。

「痛えなあ、何すんだ」

 もちろん、力など入らないので浩之は痛くもなかったが、志保は腕力以外の方法を使ってきた。

「女の子の寝こみを襲った罰よ。性犯罪者には……懲役6時まで」

「何が6時だ?」

「私の手をにぎってくれる時間に決まってるじゃない」

「……おーけー、わかったよ。藤田浩之、罪に服します」

 浩之は、そう言うと、自分のほほをつねる手をやさしくにぎった。

「キスはダメだからね、下にはお母さんいるんだし」

「……というか、この状況で十分やばいと思うけどな」

「いいのいいの、じゃあ、私もう寝るから、6時まではいてよね……」

 そう言うと、志保は目をつむった。もう、十分に無理はしてきたのだ。

 ヒロがそこにいるし、少しも、心配なことは……

「……」

「……」

「……」

「……おーい、志保?」

「……」

「……ほんとに寝ちゃったのか?」

「……」

「……3秒で寝れるなんて、お前、の○太君かよ」

「……」

「……志保……」

「……」

「……好きだぜ」

 ……私も……

 

 さて、次の日。

「いや〜、色々髪とか、汗臭いとか気にする志保も、あれはあれで新鮮でかわいかったんだけど なあ〜」

「それは言わないでよ〜」

 顔を真っ赤にして恥ずかしがる志保を、浩之はニヤニヤして見ていた。

 恥ずかしがる志保は、やっぱりかわいいなと思いながら。

 

終り