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天才の盲点

 

 あきていた。

 とても、あきていた。

 もちろん、私は人生を楽しんでいたし、不満もこれといってなかった。

 ただ、あきていたにすぎない。

 

「おはよ、浩之」

「お、綾香、こんな休日の朝からなんだ?」

 私はアポも取らずに浩之の家に遊びにきた。

「ん、暇だったから。今日何か予定でもあるの?」

「いや、ないぜ。前話してたように俺って休日は暇してんだよ」

「ならちょうどよかったじゃない。こんなかわいい子に遊びにきてもらえるんだから」

「へいへい、感謝してますよ」

 私と浩之はお互いに笑った。

 

 きっかけなんて、偶然にすぎなかった。しかもそのときは別段親しく話したわけじゃない。

 二度目に会ったときも、ただ、暇がつぶせれば、ここでは本当に暇だったのだが、よかった。

 姉さんのことを知っていると聞いたときは、さすがに世界は小さいと思った。

 まさか、葵とも面識があるとも思っていなかった。

 そんな偶然の中、私は浩之を知った。

 

「で、俺の家に来るのはいいが、別に何もすることなんてないぜ」

「そう? じゃあ、町でもぶらつく?」

「俺は別にかまわないぜ。ただし、ヤックぐらいはおごってくれよ?」

「何いってんのよ、女の子におごらせる気?」

「ちぇ、都合がいいときだけ女の子って言葉使いやがって」

 浩之はそういいながら、準備をすると言って上にあがっていった。

 

 私は、才能の塊だった。自分で言えるほどの天才だった。

 何だって器用にこなせたし、本気を出せば、負けることなんてなかった。

 家も才能も容姿も、私に勝てる人なんていない。そう言い切ってもいいぐらい私は全てに恵まれていた。

 私もその自覚があったし、それでもおごらない分別もあった。

 だから、あきていた。

 人生を楽しむ方法を知ってなを、あきてしまっていた。

 もちろん、全部が楽しくないわけじゃない。むしろ、私はいつも楽しんでいる。

 格闘技も、友達との会話も、勉強だって、私は楽しんでる。

 でも、それは真夏の暑い夜の寝苦しさを何倍も薄めたように、私をじっとりと蝕んでいた。

 

「おそいわよ、浩之」

「ものの4、5分じゃねえか。これだからお嬢様はわがままで困るぜ」

「言ったわね、5連敗中の負け犬のくせに」

「綾香相手に5連敗ですんでるだけでも俺は自分がすごいと思うがな」

「自慢になってないじゃない」

 私達はまた笑う。

 

 浩之は、同じように天才だったのだろうか?

 ただ、唯一と言ってもいいと思う。私を、本気にさせる人。

 私の教えたことを、全部すぐに理解してしまう。まるで、私のように。

 浩之は、私を写す鏡のよう。

 そして私をあきさせない人。

 

「それじゃあ、今日はどうしましょうか、お嬢様」

 浩之のおどけた声に、私は少しだけ復讐をする。

 私は、浩之の腕にしっかりと抱きついた。

「お、おい、綾香……」

 狼狽する浩之。いつもは憎ったらしいぐらいに飄々とした顔も、すぐに崩れる。まるで子供だ。

「今日一日、こうしたままで町を歩くってのはどう?」

「あ……いや、すごくうれしいが……て、そうじゃなくてだな……」

「私としてはこうやって町を歩いて浩之が何人の女の子に刺されるか見てみたい気がするわ」

「人聞きの悪いこと言わないでくれ」

 といいながらも浩之は少し動揺している。もしかしたら、本当に刺される心あたりがあるのかも知れない。

 いくらおおらかな私でも、それは許すつもりはなかった。

「浩之、浮気してるんじゃないでしょうね?」

「浮気ってなあ……」

 そう、それはからかっているだけ。まだ、私と浩之は付き合ってるなんて一言も口にしていない。

「ま、私は姉さん以外の女の子に私が負けるなんて思ってないけどね」

 私は自信たっぷりに言った。ほんとにそう思ってるわけじゃない。ただ、浩之をからかっているだけ。

 

 浩之との勝負は燃えた。

 私が有利な条件のときも、浩之はすごいペースで上達してくる。もちろん、浩之が有利なときだって 浩之は私と同じように感じているだろう。

 まあ、私が勝つことが多かったのは、才能の差か、経験の差か。余裕はないけど、だからこそ楽しい勝負。

 遊んでても、会話をしてても、二人で黙ってみても。

 浩之だけが、私をあきさせない。どんなときも。

 今、私は浩之を必要としていた。

 

「俺達つきあってたっけか?」

「ひどい、浩之、私とは遊びだったのね!」

 私は非常に分かりやすい冗談を言った。浩之も苦笑する。

「まあこう見えても俺はプレイボーイ(死語)なんでな、女の1人や2人騙すぐらい簡単さ」

「ひどいわ、こうなったらあなたを殺して私も死ぬ!」

 ビュンッ!

 私のパンチを浩之はすれすれでかわす。

「あれ、よけられた?」

「『あれ、よけられた?』じゃねえ!」

 さすがに浩之はどなった。

「エクストリームの女王のパンチなんぞ冗談でも受けたくないわ!」

「おかしいわね、ちゃんとあてるはずだったんだけど」

「……聞いてるか、綾香?」

「そりゃもうばっちりね」

 その浩之の驚きぶりがおかしかったので私は笑った。

 

 私は、浩之を必要としていた。

 

「でもまあ……お前よりも美人なやつなんてそういないしな」

「何、急にほめても何も出ないわよ」

「そうじゃなくてだな……」

 浩之は苦笑した。

「お前がもうちょっと付き合ってくれるんなら、浮気なんてする気はないんだが」

「?」

「ああ、何て言うか……俺が何を言いたいかぐらい悟れ、綾香」

「無茶言わないでよ」

 私はしごく平常心を保って突っ込んだ。浩之が何が言いたいかぐらい、私は分かってはいた。

「だからさ……ちゃんと、付き合わないか?」

「そうね……」

 私はいかにも余裕ありげに答えた。

「私も浩之といると退屈しなくて楽しいわよ。正直言うと私、あきてたの」

「あきてた?」

「そう、全部に、あきてた。楽しいことは楽しいんだけど、何か物足りなかった」

「……」

 きっとこれは浩之の告白だ。私は、もちろんイエスと答える気だった。

「浩之といると楽しいわよ。私をあきさせない人、今世界中で浩之だけだもの。私は、浩之を必要としてるわ」

 これは、私のイエスの意味での返事だと思っていた。

「だから、ね」

 何で浩之の顔がすぐれないのかは、いくらなんでも分からなかった。

「……俺は、綾香が好きだ」

 浩之らしい、率直な言葉。

「私も、浩之を必要としてるわ」

 

 必要、その言葉が、浩之の表情を曇らせている原因なんて、盲点だった。

 

「じゃあ、綾香は俺のことを好きじゃないのか?」

「え?」

 私は浩之の言葉に驚いた。

「そりゃもちろん……」

 好き、その言葉が出なかった。

 私は浩之を必要としている。それは確か。なのに、好きという言葉が一瞬でなかった。

「綾香は、自分をあきさせないやつだったら、誰でもいいのか?」

 思いがけない言葉。私はあせった。

「そ、そんなわけないじゃない。浩之だったから……」

「じゃあ、何で最初に好きって言葉が出てこなかったんだ?」

「……」

 私にも、分かっていた。これは、今のところ恋じゃなくて、ただの利害関係。そう私の中の心が 浩之を認識していたから、『好き』という言葉が出なかった。

「……わりい、帰ってくれないか?」

「浩……之」

「今日は町を歩くのはやめだ」

「あ……」

 私の言葉を待たずに、浩之は靴を脱ぐと、二階にあがっていってしまった。

 私は、玄関に取り残されて、ただ、黙っていた。

 

 そんなの、私にはどうでもよかった。

 浩之を私がどう思っていようと、私には関係なかった。

 そう、私はただ、浩之と遊んでいたかっただけ。

 

 私はとぼとぼと家に帰ってきた。そして、広い廊下を自分の部屋まで歩く。

「……」

「あれ、姉さん」

 そこには私の姉、芹香が静かに立っていた。

「え、デートはどうでしたかって? そんなんじゃないわよ、姉さん。……おめかししてたの、 ばれてたんだ。姉さん、のほほんとしてるわりには鋭いわね」

「……」

「姉さんの部屋に? いいけど」

 私は姉さんに呼ばれて姉さんの部屋に入った。

「で、何、姉さん? え、何でそんな悲しい顔するのかって?」

 さすがは姉さん、こういうところは鋭いのよね。

「ちょっとね、色々あって。……ふられたのかって? 違うわよ、私がふられるわけないじゃない」

 そう、私はふられるわけない……。

「私が、ふったのよ」

 私が、浩之をふった。彼の気持ちに、応えられなかった。

 私は、それでもよかったのに。でも、浩之は嫌だったろう、自分を好きでもない女が、自分の近くにいることが。

「……え? じゃあ、何でそんな悲しい顔してるのかって? してないわよ、そんな顔」

「……」

「……泣いてなんか、ないわよ」

 ただ、涙があふれてきているだけじゃない。

 なでなで

「……やめてよ、姉さん。私子供じゃないんだから」

 なでなで

「悲しくなんか、ちっとも、ちっとも……」

 なでなで

「悲しくなんか……」

 私は、涙を無理やりこらえた。姉さんの気持ちはうれしかったが、私には、泣く権利さえない。

「……」

「気持ちはありがたいけど、泣いてるの、きっと浩之だから」

 悪いのは、きっと私だから。

 もう、浩之とは会えないのだろうか?

 いや、一体どの顔で浩之に会いにいくつもりなのだろう、私は。

 私があの言葉を出せなかった時点で、私は浩之を捨てたのだ。

 ……でも、できることなら、浩之ともっと一緒にいたかった。

「……」

「浩之のこと嫌いに? そんなわけないじゃない、好きよ」

 

 浩之のことが好き。

 

 単純に、ほんとにあっけないぐらいに、その言葉は出た。

「……これって、姉さんの魔法?」

 ふるふる

「……」

「……そう、盲点だったわ、やっぱり」

 私は、立ちあがった。

「ちょっと今から浩之のところ行ってくるわ。セバスチャンには内緒にしといてね、姉さん」

 コクン

 私はちょっと笑ってから、姉さんに背を向けた。

「……」

 

 がんばって、綾香。私のぶんもね。

 

「いってきます、姉さん」

「……」

 私は、部屋を出た。

 やっぱり、盲点だった。天才だったからこそ、盲点だった。

 ただ、普通にそれを言えばいいだけだったのに、私は多くを理解できすぎてしたから。

 近くのものは、案外見えないものなのだ。

 私は、浩之の家に向かって猛ダッシュをかけた。

 

 To Be Continued