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「いらっしゃい、耕一さん」

「よく来たね、耕一」

「……おひさしぶりです、耕一さん」

「いらっしゃい、お兄ちゃん」

 俺の姿を見て四姉妹は俺に一度に声をかけてきた。

「ただいま、かな?」

 俺は柏木家に帰ってきた。

 悲しいだけなのに。

 そう、とても悲しいだけなのに。

 

それでも思いださなかったら

 

「でも、大学は大丈夫なの、耕一?」

「ん、まあな。もう一応単位は取れるめどがたったし、何より就職活動はしなくていいからな」

 俺は大学を卒業したらこっちに来てみんなと暮らす約束をしていた。

「まあまあ、梓。耕一さんも遠い所からわざわざ私達に会いにきてくれたんですからそういうことは 言わなくてもいいでしょ」

「は、千鶴姉もかなりうかれてるな」

「何いってるのよ、梓。あなただって昨日から何作ろうかずっと悩んでたじゃない」

「ば、それはだなあ、一応耕一の労力をねぎらう気持ちもあって……」

「まあまあ、お姉ちゃん達。お兄ちゃんが来てくれるのが待ちどうしかったのはみんななんだし」

 けんか腰になる2人を初音ちゃんが止める。

「ま、まあ、ここは初音の顔を立てて休戦とするか」

「別に私は争うつもりなんてないわよ」

 う〜ん、いつ見ても仲のよい(?)姉妹だ。

「……どうぞ、耕一さん」

「お、楓ちゃん、お酌とは気がきくね」

 それを見て梓と千鶴さんがすっきょんな声をあげる。

「あ〜、私がやろうとしたのに〜」

「早いもの勝ちです」

 そう楓ちゃんはしれっと言った。横で初音ちゃんが苦笑している。

 なんのことはない。四姉妹の中で今一番俺に近いのは、楓ちゃんだった。

 でも、だからこそ苦しい。

「でも、別に休みってわけでもないんだろう。どうして急にこっちに来たんだ?」

「変か?」

「いや、そりゃ私達はうれしいけどさ……」

 梓は梓なりに俺のことを心配してくれているのだろう。

「気にすんな。急に思いつきで来たくなっただけさ」

 俺はそう言って楓ちゃんについでもらったビールを一気に飲み干した。

「っく〜、うまい!」

 俺はおそらく梓と初音ちゃんが腕によりをかけたであろう料理にも手をつける。

「さすがだな、梓。また料理の腕はあがったんじゃないのか?」

「まあね、家じゃあ家事には一人まったく役にたたない奴がいるから、その分私がうまくなるよ」

「ちょっと梓、それって誰のこと?」

「別に千鶴姉のことだなんて一言も言ってないじゃないか。だいたい、怒るってことは自覚あるんだろ?」

「うっ……」

 千鶴さんがうなる。まあ、千鶴さんが家事に手をつけた方が事態はややこしくなるので、 やらないのならやらないにこしたことはないが。

「まあまあ、千鶴さん。人には得意なことと不得意なことがあるし、少しぐらい欠点があった方がかわいいですよ」

「そ、そう思います?」

 ふう、何とか難はさった。と思っていたのだが……。

「は、あの料理がかわいいもんか。あんなグロテスクなもの作れるのがかわいかったら私なんて お姫様になれるね」

「梓〜、さっきから黙って人が聞いていれば……」

「ほんとのこと言ったまでじゃねえか」

 再び険悪なムードになる2人。むむ、この2人が戦いだしたら俺の鬼でも止めれるかとうか……。

「姉さん達、邪魔」

 ピシャリと楓ちゃんが言い切った。

「けんかするなら他でやってください。せっかく耕一さんが来てるのに……」

「……」

「……」

 いつもは無口な楓ちゃんにそう言われ、二人は我に返ったようだ。

「どうしたの、お姉ちゃん達。いつもはこんなにはしゃがないのに」

 そうか、千鶴さんと梓ははしゃいでいたのか。俺にはそうは見えなかったが。

「ご、ごめんなさい、耕一さん。つい……」

「私も悪かったよ。ちょっと落ち着かなくてさ」

 俺という存在は、こうもこの四姉妹に影響を与えるのだ。光栄と言えば光栄か。

「お兄ちゃんも平和そうにご飯食べてないで止めてくれればよかったのに」

 初音ちゃんが苦笑しながらそういったが、まさか俺でもこの2人のけんかに首を突っ込むほど無謀ではない。

「いや、うまかったからつい。あ、楓ちゃん、ありがと」

 楓ちゃんが俺のコップにまたビールをそそいでくれる。

「しかし、何だな。こうやってみんなの声を聞くと、帰ってきたんだなあって思うな」

「耕一さんにとっては、ここは我が家ですから、当然ですよ」

 千鶴さんがその花のような笑顔で言う。妹達もうれしそうだ。

 そう、ここは俺にとってもう我が家なのだ。

 

 俺の中の鬼、次郎衛門が目覚めたのは、親父が死んで数年ぶりにここにきたとき。

 まずは、記憶。そのエディフェルとの記憶が、一番最初に俺の中で確立した。

 それも、すべてはエディフェル、楓ちゃんがいたから。

 それに引きずられるように、俺の中の鬼も目を覚ました。

 そして、俺は鬼の力を制御できなかった。

 千鶴さんとの戦い。俺は千鶴さんに負けそうになり、楓ちゃんは俺をかばった。

 皮肉にも、そのショックが、その次郎衛門の意識が、俺に鬼を制御させた。

 奇跡的に、楓ちゃんは生きていた。

 一つの、代償を代わりに。

 

 俺はあてがわれた客室で、ふとんの上にねっころがっていた。

 あのとき、鬼を制御したときから、俺の中の次郎衛門が大きくなっていった。

 もちろん、俺、柏木耕一の意識はある。でも、次郎衛門も俺なのだ。二つの意識は、交じり合った。

 そして、心に現れたのは、エディフェルに対する愛おしさ。

 その愛おしさは、日に日に大きくなっていった。

 つまりそれは、楓ちゃんに対する思い。

「……耕一さん」

 ふすまの向こうから、俺を呼ぶ声がした。

「楓ちゃん……」

 スッとふすまが開いて、そこにはパジャマ姿の楓ちゃんがいた。

「寝ていたんですか?」

「いいや、起きてたよ。今、楓ちゃんのことを考えていた所さ」

 明かりは小さく、暗かったが鬼の俺の目は楓ちゃんの頬がぽっと赤くなるのを見て取れた。 こういうときは鬼の力も役にたつ。

「こっち、来る?」

「は、はい……」

 楓ちゃんはふすまをしめると、とことこと俺に近づいてきた。

 そしてそのまま、ぽふっと俺の胸に倒れる。

「……会いたかったです、耕一さん」

「俺もだよ、楓ちゃん」

 俺はゆっくりと楓ちゃんの唇にキスをした。楓ちゃんはいやがらなかった。

 ズキッ

 頭の奥に、鈍い痛みが走る。

「……どうか、したんですか?」

 俺のその一瞬だけの変化に楓ちゃんは敏感に反応した。

「いや、何でもないよ。ちょっと感動しすぎてどうにかなっちゃいそうになっただけさ」

 俺はそう言って楓ちゃんを抱きしめた。

「楓ちゃん……」

「耕一さん……」

「……それで、まだエディフェルの記憶は戻らないのかい?」

「……はい」

 楓ちゃんは少しだけ悲しそうにそう答えた。

 

 楓ちゃんは千鶴さんの爪の直撃を受けた。でも、生きていた。だが、ただですむわけがなかった。

 エディフェルの記憶。それが、代償だった。

 

「でも、私いいんです。耕一さんを好きなのは、私ですから。この気持ちは、本当ですから」

 無口な楓ちゃんが一生懸命俺を慰めようとしてくれている。それはうれしかた。

 でも、楓ちゃんは俺のことを間違って理解している。

 

 エディフェルの記憶がないと聞いたとき、俺のショックは計り知れなかった。

 俺、そう、次郎衛門のショックは。

 やっと、悠久の年月を越えてもう一度めぐりあった2人。でもその時間は、あまりにも短かった。

 柏木耕一、俺はもちろん楓ちゃんを好きだ。でも、次郎衛門、俺はエディフェルが好きなのだ。

 

「まあ、ゆっくり思いだせばいい。時間は沢山ある」

「……はい」

 楓ちゃんは、俺のことを誤解している。

 俺がその記憶にこだわるのは、楓ちゃんのため、そう思っているのだろう。

 違う、違うのだ。

 俺は、エディフェルと一緒にいたいのだ。楓ではなく、エディフェルと。

 確かに、俺は楓ちゃんが好きだ。

 だけど、エディフェルの方が重要だった。長い年月の末、ようやく再会した愛しい人が。

 俺は俺のエゴのために、楓ちゃんにその記憶をよみがえらせたいのだ。

「今日はもう寝な、楓ちゃん」

「え、でも……」

「俺だってもう少し一緒にいたいけど、他の人に見つかったら厄介だろ」

「……はい」

 この家は2人だけではないのだ。楓ちゃんも、その自覚はあるようだ。

「じゃあ、私の部屋で……」

「よけい問題だって。いつ他の人が訊ねてくるかも知れないだろ?」

「……そうですね、今日は、我慢します」

「よし、いい子だね、楓ちゃんは」

 俺は、大人のふりをしてそのいらだたしさを隠した。

「じゃあ、おやすみなさい、耕一さん」

「おやすみ、楓ちゃん」

 俺は楓ちゃんにもう一度キスをした。

 

 いらだたしかった。楓ちゃんが自分をしたってくれることが。うれしいのにいらだたしかった。

 

「……耕一さん、何をやっているんですか?」

 その次の日、俺は蔵の中を朝からあさっていた。

 俺が目をむけると、そこには制服姿の楓ちゃんがいた。

「おかえり、楓ちゃん。早かったんだね」

「はい。急いで帰ってきました」

 そう楓ちゃんはどこか無表情に答えた。まあ、この子が表情をあまり出さないのは 今にはじまったことではなかったが。

「それで、何をしているんですか?」

「ああ、ちょっと昔の文献とかないかなと思ってね」

「何の文献ですか?」

「俺の、だよ」

 俺の、次郎衛門の。しいていうなら、エディフェルの。

「何か楓ちゃんの記憶が戻るのに役にたつかなと思って」

「……そうですか、ありがとうございます。でも、朝から?」

「まあ、一日中暇だしね」

「だったら、休憩にしませんか?」

「……いや、いいよ。とりあえず今日中にここまでは調べておきたいから」

「でも……」

 俺はまたその文献に目を落とした。この文献はまだ若い、つまり耕一と次郎衛門の中間ぐらいの 年代のものだ。どちらも知らない字なのでかなり読みにくい。

「じゃあ、ジュースでももってきましょうか?」

「いいよ、もう後これだけだし」

 俺は文献から顔をあげずに答えた。

「……」

「……」

 しばらく声がしないので、帰ったのかと思って顔をあげると、制服のままの楓ちゃんがいた。

「しばらくはかかるから、そこで待ってなくてもいいよ」

「あの……」

「なに?」

 楓ちゃんは何かをいいごもっているようだ。楓ちゃんはいつもは無口な方ではあっても、 必要なことははっきり言うのだが。

「あの、止めて、一緒にお話しませんか?」

「後でね。明日は土曜日だから、夜も遅くても平気だろ?」

「でも……」

 楓ちゃんは何故かしつこかった。

「今、お話がしたいんです」

 そういう言い方は楓ちゃんの普通の言い方ではなかった。それが、俺を少しかちんとさせた。

「だから、わがまま言わないでくれよ、楓ちゃん。後からいくらでも話は……」

「今がいいんです!」

 俺は驚いて楓ちゃんの方をむいた。

 楓ちゃんは切羽詰った顔で俺を見つめていた。

「……そんなに……」

「え?」

「そんなに、エディフェルという人が好きなんですか?」

「は?」

 俺は首をかしげた。エディフェルとは誰のことでもない、楓ちゃんのことではないか。

「何いってるんだい、楓ちゃん。楓ちゃんがエディフェルなんだよ?」

「違います。私は、柏木楓です。エディフェルなんかじゃありません!」

「一緒だよ。楓ちゃんは、記憶がないからそう思うだけさ」

 俺には分かる。記憶がなくなっても、楓ちゃんがエディフェルだということは、目をつむっていても分かる。

「私は、耕一さんのことが好きです。次郎衛門とかいう人が好きじゃないんです!」

「楓ちゃん……」

 俺は少し声のトーンを落とした。

「俺は、柏木耕一であり、次郎衛門でもあるんだ。俺は、一人だよ」

「なら、耕一さん。私を、楓を見てください!」

 楓ちゃんは必死だった。俺には、それが滑稽であり、いらだたしくもあった。

「何でエディフェルとかいう人にこだわるんですか。私は、耕一さんに愛されたいのに!」

「だから……」

 俺は怒鳴る寸前まで怒っていた。何で、楓ちゃんは分かってくれないのだ。

 でも、その怒りは空振りした。楓ちゃんの言葉で。

「じゃあ、エディフェルじゃない私を、耕一さんは愛してくれるんですか?」

 エディフェルじゃない、楓。

 俺は動きが止まっていた。エディフェルじゃない彼女? そんなものはありえない。

「俺には分かるんだ。楓ちゃんの中に、エディフェルがいることが」

「私の中に何があろうと関係ありません。私を、柏木楓を見てください!」

 楓ちゃんを……見る。

 

 すこし無口でけど、それは愛情の裏返し。

 かわいくて、素直で、でも、人に誤解されやすい楓ちゃん。

 俺はそんな楓ちゃんを守りたかった。

 エディフェル? 関係ない、その前から、俺は、楓ちゃんを守りたかった。

 

「っくあ!」

 俺は頭を押さえた。激痛が俺の脳髄をゆらした。

「耕一さん!」

 楓ちゃんはあわてて俺に駆け寄る。

 

 もう、知っていた。記憶と、感情はある。

 でも、もう俺は次郎衛門ではないことを。

 それを認めてしまったら、もしエディフェルがもう一度覚醒したとき悲しむではないか。

 彼女は、まだ自分が保たれていると信じているのだから。

 

「もう、次郎衛門は死んだんです。分かってください、耕一さん!」

「あああああああ!!」

 俺の中の次郎衛門の強い葛藤に、体さえ引き裂かれそうだった。

「俺が消えたと認めたら、エディフェルはどうする!」

 俺は叫んだ。

「エディフェルを一人にしないためには、俺はまだ消えたと自覚するわけにはいかないんだ!」

「耕一さん!」

「俺は、俺は、俺は、俺は、次郎衛……」

「もういいのよ、次郎衛門!」

 葛藤が、止まった。痛みも。

「もういいの、次郎衛門」

「エ……ディフェル?」

 エディフェルの記憶をなくしたはずの楓ちゃん。でも、エディフェルがしゃべっていた。

「私は、もう消えることを認めたの。もう、いいのよ、次郎衛門」

「楓ちゃん……」

 楓ちゃんの中からエディフェルは消えてなかった。

「一緒に、私達の中に消えましょう。私達は、もう死んでるのよ」

 エディフェルの記憶は、楓ちゃんの中にあった。でも、それは楓ちゃんが自分で納得して、 「楓」という人格にまとまったのだ。

「エディフェル……俺は……」

「私達は消えるわ。でも、楓と、耕一は消えない。私達は、やっぱり愛しあってるから」

「そう……だな、エディフェル。ずっと、一緒だ」

「ずっと、一緒ね」

「……」

「……」

「……俺は、柏木耕一だよ。次郎衛門の記憶を持っていても」

「耕一さん……」

 次郎衛門も、エディフェルも消えてなんかいない。

「やっぱり、君は楓ちゃんだ。そして、楓ちゃんが、俺は、耕一は好きだ」

「耕一さん……」

 俺は、楓ちゃんを抱きしめた。

「俺はてっきり、楓ちゃんがエディフェルに嫉妬しているのかと思ってた」

「嫉妬していましたよ、変な話ですけど、自分に」

「じゃあ、俺は誰を愛せば嫉妬されずにすむのかな?」

「私、です」

 楓ちゃんは目を閉じで顔を上げた。

 迷うことなく、俺達2人はキスをした。

 ゆっくりと、時間をかけて。

「……でも、嫉妬は免れませんよ」

「え?」

 楓ちゃんは、悪戯っぽく笑った。

「四姉妹、誰をとっても残りの姉妹に嫉妬されますから。もちろん、四姉妹の中から選ばれなければ、 もっとひどいことになりますけどね」

「……こまったな。俺はどうやっても女の敵か」

「私は、耕一さんに味方しますよ」

「そりゃ楓ちゃんは勝者だからね」

 俺達は、2人で笑いあった。柏木耕一と、柏木楓は。

 

終り