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七月七日曇り

 

 七月七日曇り。

 その日は本当なら快晴になるはずだった。

 けれど、夜の空は曇り。

 私が、そうしたから。

 

 私は、校門で浩之さんを待っていた。

 たぶん、浩之さんは帰りにここを通るだろう。そう思って待っていた。

 浩之さんに会うために、今日は帰りを少し送らせてもらった。

 私にとては大切な用事だったから。

「そんなことないよ、浩之ちゃん」

「いいや、そうにきまってるだろ、あかり」

 浩之さんの声が聞こえたので、私はそちらに顔をむけた。

「よお、先輩」

「あ、来栖川先輩、こんにちは」

 浩之さんはあかりさんと一緒に帰ろうとしていたようだ。

 本当に、仲のよい2人だ。

「先輩、むかえ待ってるのかい?」

 ふるふる

「え、俺に用事?」

 こくこく

「すぐすむ? じゃあ、あかり、先に行っといてくれるか、すぐ追いつくから」

「うん、分かったよ。じゃあ、来栖川先輩先輩、さよーなら」

 あかりさんは頭を下げると先に帰っていった。

「で、用事って何、先輩?」

「……」

「ん、よく聞こえないんだけど」

 恥ずかしかったので、私はしばらく呼吸を整えてから言った。

「……」

「え、明日の晩、空いてるかって?」

 こくん

「また交霊術をしたいから、俺の手助けが欲しいって?」

 こくこく

 私は自分の勇気を振り絞ったつもりだった。

 でも、その勇気もからぶりする。

「ごめんな、先輩。明日七夕だろ、七夕はあかりの家族と一緒に星をみることになってんだよ」

「……」

「ほんとは付き合ってやりたいんだが、先に約束しちまって……」

 浩之さんは本当にもうしわけなさそうに私にあやまった。私は、浩之さんを困らせる気なんて まったくなかった。

「……」

「え、いいです、また機会はあると思いますから? ごめんな、先輩」

 ふるふる

「この埋め合わせはまたするからさ、先輩」

 こくん

「じゃあ、あかりが先に行ってるからまたな、先輩」

 こく

 だったら……。

 何で、浩之さんはそんなにうれしそうなんですか?

 言葉にしなければ、浩之さんにはとどかない、そういう思い。

 だから、言葉にするつもりだったのに。

 七月七日、予定では晴れ。

 

 私はぼうっとして中庭にいた。

 お弁当を食べる箸も進まない。

 今日は七月七日。織姫と彦星が年に一度だけ会える日。

 でも、私は楽しくない。

 本当なら、浩之さんと一緒に空を見上げるはずなのに。

「よお、先輩」

 私は自分なりにいそいでそちらを向いた。

「お昼ご飯かい、先輩」

 コクン

 私の胸は、確かに高鳴っていた。普通なら、音もなく静かな私の心臓なのに。

「でも、お弁当全然へってないけど」

「……」

「え、もうお腹いっぱいです? だめだよ、先輩、もっといっぱい食べなくちゃ」

「……」

「え、くれるんならもらうけど……いいのか?」

 こくん

「悪いな、先輩」

 浩之さんはおいしそうに私のお弁当を食べ始めた。

 こんなに……。

 こんなに、近くにいるのに。

「ん、近くがどうかしたって?」

 ふるふる

「何も言ってないって? おかしいなあ」

「……」

「え、それよりもおいしですかって? ああ、うまいよ、さすが一流シェフの作ったお弁当は違うね」

「……」

「あかりの弁当と比べて?」

 こくん

「はは、そりゃ比べられねえなあ」

「……」

「いやな、あかりとはもう長い付き合いだから、あかりの作る料理はお袋の味みたいなもんなんだよ。 確かにこの弁当もうまいけど、俺にとってはあかりの料理は慣れ親しんだ味だからな」

「……」

「いや、腕だけいったら多分この弁当作ってる料理人の方がうまいだろうけど、あかりとはくらべられないってだけさ」

 浩之さんはうれしそうにあかりさんの話をする。

 何だろう、この心のもやもやは。

「もらって言うのもなんだけど、あかりの作る料理は俺にとっちゃあ特別だしな」

「……」

 あかりさんは、何でこんなに浩之さんに思ってもらえるのだろう。

キーンコーンカーンコーン

「お、昼休憩が終ったみたいだな。じゃあ、ごちそうさま、先輩。早く行かないと授業始まるぜ」

 こくん

 浩之さんは手をあげると教室に帰っていった。

 私は、聞きそびれてしまった。

 私のお願いを、優先させてくれないのかと。

 

 夕方、空は晴れ渡っていた。

 これが、曇りだったらいいのに。私は心の中でそう思った。

 星なんか、見えなければいいのに。そうすれは、浩之さんは、私と一緒にいてくれたろうに。

 曇りだったら。

 星が見えなければ。

 空が隠れてしまえば。

 織姫と、彦星が会わなければ。

 

 だったら、私の力でそうしてしまえばいい。

 

 私は、初めて憎しみで、魔術を使う決心をした。

 

 家に帰ってから、私は儀式の用意をした。

 雨をふらすほどの力はいらないが、そのかわり広範囲に雲を作らなくてはならない。

 高度な魔術だったけれど、今の私にはどうってことなかった。

 思いが強いほど魔術は強い力を発揮できる。

 だから、今の私には不可能なんてなかった。

 強い思いがあるから。

 強い、強い憎しみの力が。

 

 七月七日曇り

 

 術は、完成したようだった。

 空は、どんよりとした雲に覆われていた。

 織姫と彦星は、雲の上で人に見られないように会うだろう。

 ……でも、私は?

 私は、好きな人と会えた?

 憎しみの力は、私を浩之さんに会わせてくれた?

 

 憎しみの力は、私に何もくれなかった。

 

「……」

「え、時間あいてるかって? いいよ、先輩、この間の埋め合わせもあるしな」

 次の日、私は浩之さんを部室に誘った。

「……」

「で、今日は何、先輩」

あの……

「ん?」

 私は、ありのままを話そうとした。でも、言葉が出なかった。

「……どうしたのさ、先輩。そんな思いつめた顔して」

「……」

「え、わかるんですかって? そりゃあね、俺先輩よく見てるし」

 この人には、何も隠せない。

 私は、そう思った。

私が……昨日、空を曇りにしたんです

「え?」

私……浩之さんと一緒にいたくて、だから空なんか雲ってしまえばいいと思って、 それで魔術の力を使って……

「……」

憎しみの心で魔術を使って……私……

 浩之さんに会わせる顔がないと思っていた。でも、これだけははっきりしとかなくては いけないのだと私は思っていた。

 でも、そんな私にも、浩之さんはやさしく話しかけてくれた。

「先輩、それは、憎しみの心じゃないよ」

「……」

「それは、『嫉妬』てやつさ」

……嫉妬?

「そう、先輩、俺があかりと一緒にいるってのが嫌だったんだろ?」

 こくん

「それが、嫉妬だよ」

 嫉妬?

「先輩、一つだけ聞かせて欲しい。先輩、俺のこと好きか?」

 こくん

「……」

「俺? 俺は、もちろん先輩のことは好きだ。だけど先輩、俺が言ってるのは、友人としてではなくて、 男と、女として、俺のことが好きなのか聞いてるんだ」

意味が……よくわかりません

「今、先輩は俺とキスがしたい?」

 キス? 浩之さんと?

 ……したい、浩之さんと、もっと近づいていたい。

……はい

「俺も、先輩とキスがしたい」

 浩之さんは、そう言って私を引き寄せた。

浩之さん……

「先輩……俺のことが好きかい?」

 こくん

好きです……

 私は、浩之さんとキスをかわした。

 こんなに、こんなに私は、浩之さんとキスがしたかったなんて思ってもいなかった。

 それぐらい、私は浩之さんを求めた。

 

「思いが強いほど魔術は力を持つんだよな、先輩」

 コクン

「だったら、空が曇ったのもうなずけるぜ」

「?」

 浩之さんは首をかしげる私をあたたかい目で見ていた。

「昨日の晩、俺も思ってたんだよ。『今日が七夕じゃなかったら、先輩と一緒にいられるのにな』って」

「……」

「だから、さ。曇りになったのは、必然だったんだよ。俺もそれを望んだから」

……やさしいんですね、浩之さん

 それが見え透いた嘘だということは、私にでもわかった。

 でも、浩之さんなら、この人なら、本当にそう思っていたのかもしれない。そう思えた。

「それにさ、織姫と彦星も、人が見てる中で会うのはちょっと気恥ずかしいんじゃないのかな?」

「……」

「お、先輩もそう思うか?」

 こくん

「さすが先輩とは気があうな」

 私は、少し顔を赤らめた。

「さてと、じゃあ、帰るか、先輩」

 ふるふる

「え、もう少し一緒に? ……そうだな、一緒にいるか、先輩」

 私は、浩之さんの肩に頭をあずけた。

 きっと、憎しみで魔術を使ってしまったむくいなのだろう。

 こんなにも、浩之さんと離れたくないのは。

 

終り