日曜日は、幸せな時間。
それが、わたしじゃなくても。
「琴音ちゃん、待った?」
「いいえ、さっき来たばかりです」
わたしは、自分の中では一番の笑顔で、藤田さんを迎えた。確かに10分前ほどから来てはいるけど、まだ約束の時間には5分ほど早い。
「ああ、よかった。じゃ、行くか」
「はい、いきましょう」
藤田さんは、自然にわたしの手を握ると、ゆっくりとわたしの歩調に合わせて歩きだした。わたしも、もちろんそれには逆らわない。
だって、この時間は、わたしにとって一番幸せな時間だから。
さすがに、1時間前に来て、待ってるだけで不安になったことがあってからは、そんなに早く来る習慣は身につけなくなったけれど、それでも、15分前には来てしまう。
これでも、我慢できるだけ我慢しているのだ。それでも、時間いっぱいなんて待てない。
まるで、わたしじゃないみたいに。
それはすごく幸せで。
「さて、今日はどうする?」
「カラオケには前行きましたし、映画は今はホラーばっかりだったような気がします」
「あれ、琴音ちゃん、ホラー苦手?」
「はい、こわがりなもので、ホラーとかはちょっと……」
藤田さんは、ちょっといじわるそうな顔でわたしを見ます。
「うーん、じゃあ、映画行ってみたいな〜」
「え、でも……」
「琴音ちゃんの怖がる姿も見たいかなって思ってさ」
「もう、藤田さんったら」
わたしは、少しだけ顔を赤らめて、藤田さんの腕をつねってやりました。
「冗談だって。琴音ちゃんの怖がる姿も見たいけど、それはまたのお楽しみということで。映画館って言っても、琴音ちゃんと二人きりってわけでもないしさ」
藤田さんは、そう言って、少しだけ強くわたしの手を握り締めてくれます。
すごく幸せで、涙が出そうになるような藤田さんの手。
でも、泣きそうにはなりません。わたしは、わたしですから。
「とりあえず、琴音ちゃんの家か、公園かな?」
「家は、今日はママがいるので、避けた方がいいと思いますよ。わたしは全然かまいませんけど、うちのママも、けっこう過保護ですよ」
「……公園で決定だな」
藤田さんは、わたしの手を引いて、歩き出します。
ほんの少し前は、こんな時間が手に入るなんて、少しも思っていなかったのに。そして、手に入れるために動くことさえあきらめていたのに。
いつのころからか、わたしは……動いた?
藤田さんは、幸せそうで、それがわたしには嬉しくて、幸せで、それでも。
それはわたしじゃなくて。
その時間は、尊くて、なくしたくない、不可思議に矛盾するもの。
公園のベンチに、二人で座って、お弁当を食べる。
ただ、これだけのことなのに、わたしは顔がほころぶのを止められないし、止める気も少しも起きない。
「で、琴音ちゃん、どうだい、最近は?」
「はい、かなり落ち着いたみたいです。やっぱり、定期的に発散させていれば、そんなにひどいことにはならないようです」
そう言ってわたしは、できもしない腕に力こぶを作ったりする。
「今はもう、かなり自分で自由にできますし、今度藤田さんが落ちたときは、ちゃんと助けれますよ」
「それは頼もしい言葉だな、そのときはよろしく」
「はい、浮気さえしていないなら、助けてあげます」
わたしは、心にもないことを口にする。浮気されても、どうせわたしは藤田さんをあきらめることなどできないのだから。
「はは、そのとき助かるためにも、もっと仲良くしといた方がいいかな?」
藤田さんはそう言って、あーんと口を開きました。
「あーん」
「あーん」
わたしも、普通にわたしの箸でわたしの作ったから揚げを藤田さんの口に運びます。
「うーん、こんなかわいい子に食べさせてもらえるってのは、神様に感謝しないとな」
「神様に感謝することなんてありませんよ」
「琴音ちゃん?」
わたしは、どこかせっぱつまった、でも、それでも余裕のある笑みで、藤田さんを見た。
「神様じゃなくて、藤田さんが、藤田さんの力でそれを手に入れたんですから」
それはわたしじゃなくて。
「ということは……琴音ちゃんは、俺のもの?」
「……はい、もちろんです。わたしは、藤田さんのものです。決して、他の誰のものでもありません」
一風変わったのか、それともこれが普通なのか、わたしからする愛の言葉。
でも、それはわたしの本心。残念だけれでも、それを覆す方法はない。
少なくとも、藤田さんは、そんなことをする必要はない。言葉は、わたしからで十分。
「だから、わたしを放さないでください」
「もちろんさ、琴音ちゃんは、俺のものだからな」
藤田さんの笑顔は、まぶしすぎて、でも目を細める必要もなくて、わたしはそれを強く直視する。それを胸に刻み込むために。
幸せな時間。幸せすぎる時間。どうしようもなく、それが幸せだから。
わたしは、不安を消せない。
藤田さんは、こんなわたしに話しかけてくれた。
正直、一番最初は嫌いで嫌いで、仕方なかった。
人が近づいてくるのを避けるのが、どれだけつらいことか、やった人にしかわからない。それが、例え顔に惹かれて近寄ってくる男の人でもだ。
そのつらさと、そんな軽薄な男の人の行動。どちらにしろ、それがわたしは大嫌いだった。
だから、藤田さんが話しかけてくれたとき、わたしは嫌で嫌で仕方なかった。それでも段々と避けなくなっていったのは、わたしがやはり弱くて、結局一人を続けられなかったからだろう。
そして、そんなわたしの気持ちを知ってか知らずか、藤田さんはわたしに強く関わり、今でも、それが何故なのかわたしにはわからないが、わたしに強く関わり、わたしを助けてくれた。
好きな人を遠ざけねばならない苦しみから。幸せになれないわたしを、幸せにしてくれた。
藤田さんを、わたしは愛している。この世界で誰よりも。
でも、藤田さんが好きであればあるほど、そして藤田さんの声を聞くほど、姿を見るほど、抱かれるほど、わたしは不安になる。
誰しもが持っているであろう不安。
笑い飛ばしてしまえばいいのだろう、簡単な、単純な不安。
でも、わたしはその怖さを、この世界で、一番知っている。
だって、それはわたしじゃないから。
「琴音ちゃん?」
「あ、ごめんなさい。ぼけっとしていました?」
わたしは、少しの間考え事に頭を支配されていたようでした。そんな時間さえ惜しいはずなのに。
「最近、そういうことが多いけど、何か悩みでもあるのかい?」
「悩みですか? 幸せすぎて怖いことはありますけど、悩みがあれば藤田さんに相談しますよ」
わたしは、努めて明るく言った。
「まあ、それならいいんだけどさ。琴音ちゃんの問題は、俺の問題だからな」
「はい、困ったときは、一番最初に頼りにします」
わたしは、そう言って、藤田さんの腕に身体を預けた。この全て、ささげても後悔しないと思える相手に、本当に、わたしは全てを預けたいと心から思った。
それが、わたしじゃなくなるとしても。
わたしは、藤田さんと一緒にいられるなら、それでいいと思っている。
幸せは、いつも簡単に壊れるものなのだから。
きっと、そんなことは誰でも思うこと。誰でも知っていること。
でも、わたしは体験してしまった。離れていく友人、不仲になっていく両親。
それがわたしのせいであろうとも、消えていく幸せを、わたしは見てしまった。
不安は、消せない。唯一消す方法も、たった一つだけあったはずだけれども、それももうかなわぬ夢。
夢のような時間のために、費やした夢。
費やした?
違う、わたしは、費やしてさえいない。ただ、わたしはなくしただけ。
じぶんを、わたしを、なくしただけ。
休日は、一番好きな時間です。それは、藤田さんと一緒に一番長くいることのできる一日だから。
「もう、休日も終わるんですね」
わたしは、さびしくなってそう藤田さんにもたれかかったまま言う。
「そうだな。毎日学校では会えるって言っても、授業中は、やっぱり会えないしな」
藤田さんも、残念そうです。
わたしは、それが嘘でないことを知っているけれども。
幸せは、すぐに壊れても仕方ないものだから。
わたしには、その不安を消すことができないから。
そして、藤田さんはその不安を持っていないから。
それはわたしじゃないから。
藤田さんは、それを自分の力で引き寄せたから、自分の手でつかんだから、もう一度つかむことができると考える。
それは、わたしにはできないこと。
幸せになったのは、わたしじゃないから。
わたしが、じぶんでその幸せをつかんだわけじゃないから。
「……次の日曜日も、付き合ってくれますか?」
「琴音ちゃんが嫌じゃないなら、いくらでも」
「だったら……一生、一緒にいてください」
「ああ、もちろんOKさ」
それは、不安の入り込む余地のないような言葉。わたしは、それを素直に信じればいい。
信じていても、それはわたしの力じゃないから。
「じゃあ、今日はもうお別れかな」
「はい、まだ一緒にいたいけど、仕方ないですよね」
わたしは、そう言って、藤田さんにキスをせがんだ。藤田さんは、やさしく、わたしにキスをしてくれます。
「じゃあ、また明日な、琴音ちゃん。おやすみ」
「はい、おやすみなさい、藤田さん」
不安にまみれた休日が、今日もまた終わる。
さて、また、次の日曜日を楽しみにしよう。
どうせ二度とわたしの不安を消す方法なんてないのだから。藤田さんが、わたしを助けた時点で、わたしには、何もできなくなった。
だから、藤田さんに責任がある。
何もできなかったわたしには、もっと責任がある。
でも……それでも。
不安にいつかわたしが押しつぶされて、わたしじゃなくなっても。
日曜日は、幸せな時間。
終わり