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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(67)

 

 相手は、腰を落とした一瞬の間を置いて、前に出た。

 軽いジャブを放って、また距離を縮めようと、歩を進めるそぶりを見せる。しかし、それはそぶりだけだ。

 フェイントッ!

 浩之が外から見れば、それは間違いないくフェイントだった。打撃格闘家同士の 戦いならば、バカ正直に前から攻めるのは愚策だ。

 しかし、フェイントと読める相手の動きに合わせるように、葵は同じく前に出ていた。

 シパンッ!

 風を切る左のジャブが、相手の顔をしたたかに叩いていた。

「っ!?」

 とっさに、相手は横に逃げる。葵も追撃をしなかったので、その攻防はそれこそ一瞬で済んだが、相手の顔はさすがに驚愕の表情に変わっていた。

「今のは……何だ?」

 相手が前に出るフェイントで、葵の空振りを誘ったのは間違いなかった。だが、結果的に、相手は一発、威力は軽めとは言え、顔に受けていた。

 浩之も、葵が何をしたのか、いまいち判断できなかった。

「別に、フェイントに無反応で、止まってる相手の顔を叩いただけじゃない。威力もない、単なるジャブなら、見るものはない技だけど」

 綾香はこともなげに言った。綾香にしてみれば、こともなげなことなのだろうが、浩之にしてみれば、何をしたのか分からなかった。

「あんなの私でもできるよ。相手を倒せないから、やらないけどね」

 坂下も葵の動きを、大したことがないものと評価したようだった。

「倒せないっても、ダメージがゼロなわけじゃねえだろ。それに、あんなの葵ちゃんは今まで……」

 相手の驚愕の表情は、嘘ではない。綾香や坂下には評価されなかったとしても、動きを読まれたのは、本人ならば驚愕に値する事実だ。

 フェイントと連打を頼りに、葵は戦うタイプだ。それは打撃格闘家としては、珍しくもないタイプ。本人にも使えない崩拳はあるものの、攻めはオーソドックスであり、浩之のように、相手をだますような戦い方をするものではない。

 いや、エクストリームに出ている以上、空手家としては異色なのかもしれないが、それでもあんな技を見せたことはなかった。フェイントに反応しないならまだしも、無反応に、さらに追撃を入れるなど、葵の技にはなかった。

 いや、技、というより、読み、だろうか。

「相手の動きを読んだのね。まあ、ボクシングとかならよく見れる攻防じゃない」

「よく見れるって……葵ちゃんは、今まであんなこと……」

「しなかったんじゃないわよ、できなかったのよ。私や好恵相手じゃあね。浩之相手でも、難しいかな。浩之は動きが読みにくいから」

「へ?」

 葵が、相手が試合に慣れるまで待っていたぐらいだ。相手も、実力を出し切れていないわけではない。

 しかし、浩之にも、相手の強さがわからない。いや、強くないようにさえ見える。エクストリームに、興味本位だけで出ているような選手はまずいないはずなのに。

「相手が悪いのよ」

「相手が悪いって……」

 葵にしてみれば、楽勝の相手のように見える。いやらしい攻撃をしてくるわけでもない、どころか、まだ攻撃さえできていないのだ。

 葵が、くんっと肩を出す。これはフェイント、と思った瞬間に、脚が前に出ていた。

 何の抵抗もなく、相手は葵の射程圏内に捉えられる。相手の方がリーチが長いだろうに、それを使う余裕がなかったのか。浩之なら、葵が出れないように、打撃を入れておく部分だ。フェイントと見せかけるだけならば、葵はいつもやってくる。

 シパパッ!

 一瞬遅れるように、相手のワンツーが空を切った。完全に動きについていってなかったが、それでも、葵の動きに反応したのだ。

 その打撃は、遅いようには到底見えなかったが、それを葵は簡単にダッキングでかわし、距離を縮めていた。

 でも、葵ちゃんなら距離を取った方が有利……

 ドンッ!

 すれすれの距離まで近づいて、相手につかませる暇を与えない、下からの身体ごと突き上げるようなアッパーが、相手をガードの上から叩く。単なるアッパーなのだが、それだけで相手の脚が浮く。

 距離を取れば、その分相手を捉え辛くなる。そんな基本に、葵は忠実に動いただけだったのだ。

「行けっ!」

 浩之はとっさに叫んでいた。相手の脚が浮き、ガードすることはできても、逃げることはできない。

 葵の本気のハイキックならば、ガードごとぶち抜くことも可能だ。それだけの脚が、まだ葵には残っていると思って、とっさに叫んだのだ。

 だが、葵はその言葉に反するように、後ろに下がっていた。

 フオンッ!

 浮いた身体を振り子のように使って、アッパーと言うよりは、下から振り上げる棒術のような拳が空を切った。

 読んでる、完璧に。

 悪い打撃ではなかった。むしろ、読むには難しい打撃だ。浮いた身体で、反対の腕を振り子に使って、下からの強襲だ。浩之ならば、受けていたかもしれない。

 いや、スピードもある、読めなければ、受ける。

 だが、葵はそれをまるでリハーサルでもやったかのように簡単に後ろに一歩下がるだけでよけると、また相手との距離を縮めた。今度こそ、相手に脚はない。

 しかし、浩之の感覚に、危険のシグナルが走った。

 懐に入り込む葵の上に振りぬいてしまった腕があった。その拳を、相手はすでに下に向けていた。

 やばいっ!

 上というより、中にもぐりこんだ葵にとってみれば、真後ろからの拳。いかに葵とて、これを避けることは……

 だが、浩之が叫ぶ間もなく、相手の拳は振り下ろされ。

 ガシッ

「葵ちゃ……」

 大して大きくもない音を立てて、葵の頭に相手の二の腕が当たっていた。遅まきながらも、浩之は葵の名前を叫ぼうとした。

 ズバババンッ!!

 一呼吸で、ほとんど打撃音が一緒に聞こえるほどの三連撃が、相手を後ろに弾き飛ばし、おまけにマットに叩きつけていた。

 懐に入って、がら空きの脇に左ボディ、それで空いた間から、右アッパー、後ろに飛ばされる相手の身体をマットに叩きつけるような左ハイキック。

「せいっ!」

 葵は、気合いの入った声で構えを取って、倒れた相手を睨みつけていた。

 倒れた相手を追撃など、葵にはする気配はなかった。完全に、試合が決まったのを確信したのだ。浩之が見てもわかる。相手はぴくりともしないのだ。

「そ、それまでっ!」

 相手の様子を確認することもなく、審判は合図をしていた。

 

続く

 

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