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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(69)

 

 だいたい、健全な高校男子が、気絶を経験したことがあるだろうか?

 体育などで転んで頭を打ったとしても、そうそう気絶できるものではない。脳震盪ぐらいならおきることもあるだろうが、本当に意識が飛ぶというのは、並大抵のことではないのだ。

 一番簡単な方法は、柔道の絞めだろうが、浩之は今まで絞め落とされたことは、一度しかなかった。それも修治という上手がいたからのことで、普通は、もちろん柔道の絞めが決まれば簡単に気絶するのだが、そうそう体験できるものではない。

 しかし、浩之は、もうその体験を、怖いことに打撃で何度も体験していた。

 柔道で絞められて気絶する、落ちるというが、落ちるときは気持ちいい、癖になる者もいると聞いたこともあるが、浩之はそんな気分にはなれなかった。

 何故なら、打撃で気絶するときは、それはもう痛いのだ。

 だいたいはその後はお約束のコースなので、そっちの方は癖になりそうだが、どうせなら気絶なしでやらせて欲しい、浩之は切に願いながら、重いまぶたを開けた。

「あ、センパイッ、気がつきましたか?」

 葵の汗のにおいが、少しだけ香る。これが男なら嫌だが、葵の汗のにおいは、むしろ甘いと感じるのは、浩之がエロ親父だからだろう。

 後頭部には、相変わらず鈍い痛みと、やわらかい感触。これが片方ならばどれだけいいだろうに、浩之はそう思わずにはいられなかった。

 もちろん、後者だけだ。

「大丈夫ですか? 急に倒れてしまったので、心配しました」

「ん、ああ、気にするな。いつもの綾香のどつきだ」

「え、そうなんですか?」

 いつもの、という部分を葵に否定して欲しかったのだが、確かにいつもの話なので、葵もさして驚いている風もない。おそらくは、浩之の身体が邪魔で綾香の攻撃が見えなかったのだろう。

 浩之だって、見たわけではないが、この状況と、前の状況を思い出せば、答えはおのずと出てくる。

 そりゃあ、大勢に注目されている中で葵ちゃんに抱きつかれるのは、こまったことになりそうなので避けたかったが、もう少しましな方法はなかったのか。

 綾香の顔を見たら、絶対最初に文句を言ってやろうと思った。その後殴られるとしてもだ。

「ん、そういや綾香は?」

 浩之は、少し名残惜しかったが、葵の膝枕から起き上がった。このままずっとされているのもいいのだが、葵は試合を終えたばかりだ。疲労のたまる試合ではなかったが、次のことを考えれば、身体を温めておくなり、ゆっくり休憩を取っておくなりしなくてはいけないところだ。

「綾香さんは、好恵さんと一緒に試合を見ていますよ。センパイのことは、私がまかされました」

「ふーん、珍しいこともあるもんだ」

 綾香は、葵に対抗するような態度は取らないものの、基本的にかなりのやきもち焼きだ。葵と自分を二人きりにするほど、甘い女ではないことぐらい、今までの経験で十分理解できていた。

 まあ、まわりの目もあるので、二人きり、とは言えないがな。

 ここで葵とちちくりあえば、まわりからどんな目で見られるかわかったものではないし、葵だって許してくれるとは思えないし、よしんば、葵が快く、自分とちちくりあう……ことはないだろうが、そうなれば、どこかで自分達を観察しているであろう綾香が飛び出してきて、浩之をそれこそ半殺しにするのは目に見えている話だ。

 ま、素直に葵と話を続けると、アドバイスをしちまいそうだから避けたんだろうけどな。

 葵が綾香を頼るようなことはないだろうし、綾香がついぽろっと口をこぼすこともないだろうが、けじめの問題であろう。

 ま、俺は全面的に葵ちゃんの味方をするけどな。

 もし、二人が戦うとすれば、やはり葵の応援をする気がする。綾香は強い、とてつもなく強い、浩之の応援など、必要はないだろう。

 しかし、葵はまだ安定感がない。浩之の応援も、力になるかもしれない。自分の経験不足で、あまり格闘技のことで助言ができないのだが痛いところではあるが……

「とりあえず、葵ちゃん、改めて一回戦突破おめでとう」

「え、は、はいっ! ありがとうございますっ!」

 葵は正座をしたままびしっと背を伸ばして浩之の言葉を聞いて、すぐに珍しく、ふにゃりと顔がくだけた。

「実は、試合が終わってこうやってゆっくりしている間に、試合では押し殺してた緊張が一気に出てしまって、身体に力がはいらないんです」

 いつもきびきびしている葵が、軟体生物のようにふにゃふにゃしている姿はかなり珍しかったが、まあ、それもよしと浩之は思った。

「なーに、次の試合までにはそれも落ち着いているさ」

「そう……だといいんですけど」

「大丈夫、大丈夫。一回戦、楽勝だったじゃないか」

 葵は、少し困った顔をした。

「いえ、そういうわけでもないんですが……でも、練習通りには動けたと思います。今までの成果を試合で発揮できたのは、素直に嬉しいです」

 勝ったことよりも、まずそれが葵の先に来るのだろう。

 あがり症で、試合ではろくに実力を出せずに負けて、葵は何度唇をかみしめたのだろう。しかし、それを克服することが、葵にはなかなかできなかった。

 それが、綾香を追ってエクストリームに足をつっこみ、浩之という信頼に足るセンパイの助力で、初めて芽を結んだのだ。喜ばない方がどうかしている。

 浩之としても、葵の喜ぶ姿はうれしいものだ。

「しかし、最後の相手の打撃、うまく流したな、葵ちゃん」

「綾香さんの得意のラビットパンチをよく見ていたので、相手が後頭部を狙ってくるのはわかりました」

 わかりました、ってねえ……

 見えない位置からの打撃だ。空手の中にもない動きなので、それを予想したり読んだりするのはほとんど反射神経に頼るしかない。

 まあ、綾香の打撃と比べれば、止まっているようなもんだけどな。

 それも比べる対象が悪いだけで、普通の人間には真正面から避けることさえ難しいのだ。

 葵の努力は、間違いなく身についている。それを発揮するのは誰でも難しいだろうが、葵はその壁も今克服しようとしている。

 こりゃ、地区大会は勝ったも同然だな。

 努力型で、才能もある葵の、その一生懸命の努力が、直に強さにつながったとき、誰が勝てるだろうか?

 葵の相手は、もう綾香しかいない。浩之はそんな気分になっていた。それは、浩之を酷く微妙な気分にさせた。

「センパイ?」

 葵が浩之の何とも言えない表情に、首をかしげたとき、急に、体育館の中から、わっという大きな歓声があがった。

 

続く

 

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