吉祥寺春選手は、二回戦目がはじまろうとしているにも関わらず、かなり落ち着いていた。どんな選手でも余計なほどに身体を動かす中、吉祥寺だけは軽い柔軟をしているだけだ。
その姿が、浩之には試合を待ち遠しく思っているように見えた。
一回戦が終わり、すぐに二回戦が始まろうとしていた。
ナックルプリンセスの二回戦目のトップバッターは、当然一試合目で勝ったキックボクシングの吉祥寺春選手だ。
優勝候補、と言われるだけあって、一回戦目はタックルをしかけてきた相手を捕まえて、膝蹴り二発でKOした。
冷静、という言葉が一番似合うだろうか。しかし、葵も感じているように、ただ冷静なだけではない怖さがある。
一回戦目に、相手にとどめをさしたのを見ても、単に冷静なだけの選手ではなかった。たたずまいにさえ、寒気を感じる選手だ。
「さーて、次はどんなことしてくれるかな」
「……あのなあ、綾香。あちらさんも、綾香を楽しませるために試合をしてるわけじゃないと思うんだが」
綾香も、吉祥寺選手には注目しているのだろう。戻ってきて、葵達と試合を観るつもりのようだ。
綾香が嬉しそうなのは、言うまでもない。吉祥寺選手が強いからだ。それは葵が苦戦するだろうことを喜んでいるのか、単純に強い人間を見るのが好きなのか、微妙なところだった。
わかっているのは、観ている選手が強かったとして、もし葵のことがなければ、ケンカを売りに行きそうなことだ。
もっとも、すでに葵にこれでもかとケンカを売らせているので、そのうち向こうから綾香にケンカを売ってくることもあるだろうが……
さっきの枕将子の後輩達が特別というわけではないだろう。綾香の、あそこまで自信を持った言葉に、カチンと来ている選手は多かろう。
その多くが、試合で借りを返すつもりなのだろう。ここまで来てケンカを売ってくるような選手は、当然だがそうはいないということだ。
綾香は売りまくってるんだから、不公平な話だよなあ。
綾香は単純に戦いたいだけなのだが、それにしたって、もう少し手順を踏んで欲しいものだ。仮にもエクストリームチャンプのくせに、まったく落ち着きがないのはいただけない。
「いいじゃない、試合は楽しい方が。ま、今回は私の出る幕がないから、それだけが心残りだけどね」
「……」
相変わらず、葵に言い聞かせるように綾香は言っている。葵が勝つことを少しも疑っていない言葉に、葵が恐縮しないのは、むしろ奇跡なのかもしれない。
意地悪いよなあ、こいつも。
そんなことを言わなくとも、葵が勝って、本戦に進むのは当然のことだと浩之は思っている。綾香は、おそらく単なるいじめで言っているのだから、止めても意味がないのはわかっているが、いじめなのだから、当然悪いに決まっている。
「でも、私も正直、吉祥寺選手の試合は楽しみだったりします」
葵が、急にそんなことを言ってきだした。
「どうした、葵ちゃん! 綾香に悪い病気でもうつされ……ま、待て、冗談に決まってるだろ!」
浩之は命の危険を感じて、冗談を途中で止めた。正直に言えば、半分以上本気ではあるのだが、そんなことを言えば、それこそ綾香に食い殺されるだろう。
「浩之ぃ、命は大事にしましょうね?」
綾香の死の脅しに、浩之はカクカクと人形みたいに首を縦にふった。
「吉祥寺選手は、打撃の可能性を示してくれていますから」
「打撃の、可能性?」
「はい、そうです。私も、あの体勢の膝は、はじめのころに考えました」
考えてその答えを出せる葵の才能は、やはり凄いのでは、と浩之は思ったが、今はとりあえず口をはさまずに話を聞くことに集中した。
「でも、相手が手をついたら打撃での攻撃ができなくなってしまうエクストリームでは、使うのは難しいと思って、考えから除外していました。私の体重が軽いということもあって、できても軽く返されてしまう可能性もありましたから」
「その方法を、吉祥寺は示したと?」
タックルを止めれば、勝てるのだ。打撃格闘家にとって、相手のタックルを抑止できる要素は、のどから手が出るほど欲しいだろう。
「はい。もちろん、そんなに単純なものじゃありません。私では難しいと思います。ですが、それでも打撃で戦う、方法の一つとしては、物凄く面白いと思います」
組み技有利と言われるこのエクストリームで、打撃格闘家が勝つためには、多くの工夫が必要だ。吉祥寺は、うまく工夫してきているのだ。
「楽しみというのは、まだ、吉祥寺選手が何か見せてくれるのでは、と思っているからです。私が使うことができなくても……打撃の可能性を」
それは、坂下に比べれば、葵は強くなるために何でも取り込んでいるように見えるだろう。だが、結局のところ、葵は打撃で戦うつもりなのだ。
その意思の見える言葉だった。
「よし、じゃあ、俺もあの選手の動きを見て、真似れるところがあったら真似るか」
「……センパイなら、できるかもしれません」
小さな言葉だったので、浩之は聞いていないふりをした。葵の悪い癖なのだろう、自分を低く見るところは、まだ完全に直っているわけではないのだ。
だが、浩之は今回はそれ以上を期待した。
葵ちゃんには、相手の使う技は、必要ないものだ。
もうその多くを完成しようとしている葵にとって、それは邪魔なものにさえ浩之には思えたのだ。
だから、それが自分でわかるまで、浩之もその部分に関しては、アドバイスをするつもりはなかった。それに自分で気付けたとき、葵はまた一つ、強くなれるのだから。
「それで、相手の選手は何て言うんだ?」
浩之は話題をずらした。もっとも、もう試合もはじまりそうなので、そんな必要はなかったのかもしれないが。
「えーと……立浜椿、だって」
坂下が冊子を見て名前を説明する。
細身で、葵よりは少しは大きいぐらいの体格だろうか。吉祥寺ほどにはないにしろ、落ち着いた様子で試合場に立っている。何かの胴着を着ているようだが、空手や柔道ではないようだった。
「うーん、見たところ、少林寺みたいだけど」
こちらからは胴着の前は見えないので、判断はできないが、坂下はそう判断した。学校には少林寺拳法部はないが、空手の知り合いに、かけもちしてやっている人間がいたので、その胴着をおぼえているのだ。
「一試合目は、綺麗な関節で試合を決めてたわね」
坂下が見た試合を説明する間もなく、中央に審判が立つ。試合が始まるようだった。
「ま、説明は試合観ればわかるだろう」
浩之の言葉もあり、皆は試合に注目した。どちらにしろ、まだ葵と戦うには間があるのだ。どちらが勝つにしろ、今から見ても遅くはないだろう。
「それでは、レディー……」
審判の声に、二人の選手は、思い思いに構える。
「ファイトッ!」
続く