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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(71)

 

「レスリング、ですか?」

 葵は柔軟をしながら、首をかしげた。

「そう、レスリング。葵って、レスリングの選手と戦ったことなんてあるの?」

 坂下は、また席を外してしまった綾香のかわりに、さっき見た選手の説明を葵にしていた。

「もちろんありません。あ、一応、由香さんと試合をしたことはありますが、由香さんはプロレスですし、組み技は使ってきませんでしたから」

 さっきまで試合をした後に、浩之に膝枕をしていたのだから、休んでもよさそうなものだったが、一回戦目は疲れるほどには動いていないのだ。であれば、次の試合のことを考えて身体をほぐしておく方がいいと思ったのだろう。

「ごめんな、葵ちゃん。俺が綾香にやられなければ、試合も観れたのにな」

「気にしないでください。どうせ、私が試合を見ても、作戦なんてたてれませんし」

 葵は、本当に気にしていないのか浩之に笑って答えた。

 本当に悪いのは浩之ではなく、浩之をどついて気絶させた綾香が元凶であり、浩之を責めるのも筋違いだと思ったのも確かだが、実のところ、葵はあまり深刻には考えていなかった。

 作戦など立てれない、それに嘘はないからだ。

 浩之のように、相手を見て瞬時に作戦を立てれるような人間ならともかく、葵は一度や二度試合を観たからと言って変わるものはない。

「大丈夫ですよ、レスリングの研究は、当然やってきています。総合格闘技では、レスリングは一般的な格闘技ですし」

 タックルに関して言えば、他の格闘技とは一線引けるだけのものがレスリングにはあるし、組み技をするならば、やっておいて損のある格闘技ではない。

 エクストリームに出る選手は、けっこうな数がレスリングを経験してきているだろう。葵でさえ、防御のためとは言え、柔道を習っているのだ。

 レスリングとて、一格闘技の一つ。いや、他の格闘技も、空手でさえも、それ自体には何の脅威もない。

 脅威なのは、使う人間だ。

 綾香が柔道を極めれば、やはり怖いし、反対に、何の才能もない人間が空手をやったとしても、一線を越えて強くなれるものではない。

 よく、格闘技では何が最強、という話をする人間が格闘好きにはいるが、それこそナンセンスな話なのだ。

 強いのは、技ではなく、人。

 その時代、その瞬間、そのルールで、もっとも強かった者が使う格闘技こそが最強。ルールに対する有利不利、愛称の良し悪し、そういうものもあるだろうが、所詮、それさえも塗り替えることが、強い人間にはできるのだ。

 葵が失敗したとすれば、その強い人間の試合を観れなかったからであり、レスリングがどうとかはそう問題ではないのだ。

「で、どんな試合だったんだ?」

 浩之は、そんな葵の考えをわかっているのか、坂下に聞いている。

「ああ、投げがうまかったよ。うまい具合に相手の懐に入るんだ、本当に。タックルではあったけど、少し違ったような気がするね」

「違う?」

「ほら、タックルってのは、自分が膝をついたような体勢になるじゃないか。それって、相手を倒すだけならいいけど、次に何か技につなげるってのは難しいだろう。その選手は、それをわかってか、深くは腰を落としてなかったな」

「さすが、よく見てるな」

「まあね、戦うことはなくても、遅れを取る気はないから」

 坂下は浩之にほめられて、少してれながらも、実際そうであったので自信ありげに答える。坂下の場合、やる機会がなくとも、それを格闘技につなげるのだから、いやはや、やはりかなりの格闘バカということだ。

「柔道の投げとは違う、後ろにそりかえる投げで、相手を頭から落としてたな。それで、ダメージを当てておいて、最後は腕関節でギブアップだ」

「腕関節ねえ……てことは、レスリングだけをやってるってわけじゃないな」

 浩之はすぐに気付いた。レスリングには、関節技や絞めはない。相手に痛みを与える技はあるものの、それで勝敗が決まるわけではないのだ。

 葵も、さすがと思った。坂下は、組み技は素人ながら、すぐに動きの意味を考えることができるし、浩之は関節技という言葉だけで、レスリング以外の格闘技をしているだろうことをすぐに気付く。

 自分でも気付けるだろうとは思うが、しかし、まわりが自分と同じか、それ以上なのは、今の状態では心強い。

「おそらくは、柔道か、サンボか……ああ、少林寺とかもあるかもな」

 浩之も試合は見ていないので、はっきりしたことが言えるわけではないが、つたない格闘知識で、少しでも葵を助けたいのだ。

 もっとも、自分のわかることが、葵にわからないとは思っていないのだが。

「ブリッジを使った投げ、ということは、多分レスリングがメインなんだと思います」

「そうだろうな。関節技に自信があるなら、さっさと寝技に入ってるだろうしな」

 投げた状態がどんな体勢かはわからないが、寝技、つまり倒れた状態での組み技、グラウンドとも言う、にもっていくのは、レスリングの投げからなら簡単なはずだ。特に、レスリングはそれが目的で投げるのだから。

「グラウンドの攻防を避けた、ということは、よほど投げに自信があるのかもしれませんね」

「相手は柔道家みたいだったからね。それもあると思うよ」

 観たのは一人だが、三人で話していれば、それなりに形はかたまってくる。浩之ならば、そこから作戦を考えつくのかもしれないが、葵には無理だった。

 しかし、心構えは十分できる。それで葵には十分だった。

 後は、今まで自分がつちかってきたものを頼りに戦うだけなのだ。今更、突拍子もない作戦が通じる、などと葵は思っていない。

「大して気にもしてないみたいだな、葵ちゃん」

「え? あ、はい、もちろん、油断できる相手ではないと思いますが、三回戦の相手よりも、先に見ておかないといけない選手がいますから」

 そう言われて、浩之は少し自分が恥ずかしくなった。

 葵の実力ならば、三回戦で当たるのは間違いないだろうと、勝手に思って話を進めていたが、葵は、もっと現実を見ていたのだ。

 次の相手を油断なく倒す。当たり前のようなことだが、一回戦をあれだけ綺麗に勝ったのだ、心が浮ついても仕方ないところを、葵は落ち着いているのだ。

「正直、将子さんは底の知れない人です。油断できる相手ではありませんし」

 葵は油断や慢心などしないのだが、それだけの心構え、ということだ。勝てると思っているだろうに、それでも現実を油断なく見るその冷静さは、昔の葵にはあったのだろうか?

 ……そりゃ、葵ちゃんも成長しているんだな。

 その当たり前のことに気付いた浩之は、その頼もしい、しかしかわいい顔を見ながら、寒気さえ覚えた。

 またいつか倒すべき相手が、強くなっていくことに、少し心地よささえ覚えながら。

 

続く

 

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