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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(181)

 

 オープニングヒットは、ガード上とは言え、寺町がもぎ取った。

 しかし、さすがと言おうか、桃矢にはダメージらしいダメージは残っていないように見える。鋭い目はそのままに、外からはダメージがあるようには見えない。

 あの巧妙な、そして全力のミドルキックを、ダメージなしに受け流せたとは到底思えないのだが、そこには技術と身体による守りが、やはりあったということだ。

 だが、寺町に自覚があるかどうかは、いつものようにわからないが、桃矢には、ミドルキック自体のダメージよりも、拳で戦わなかった寺町に対する憤りの方が効いているだろうことを、浩之は見て取った。

 寺町がこだわっているのかはわからないが、桃矢は鬼の拳にえらくこだわっている。それのみで寺町と戦う気にさえ見える。

 そこを、寺町はミドルキックで襲ったのだ。技の有効性としても、相手の冷静さを失わすとしても、十分な効果があろう。

 相手の裏をかく寺町の作戦を、卑怯、などとは浩之は思わなかったし、そもそも桃矢以外は、そんなことを思いもしてないだろう。

 こだわっているのは桃矢であって、寺町ではないのだ。寺町は、ただ試合を楽しんで、勝ちを目指すだけだ。いや、さらに言えば、勝ちさえ目指さずに、ただただ楽しもうとするだけだ。

 しかし……

 浩之は、試合場を冷静な目で眺める。桃矢は、準決勝、勝ちはしたが、英輔にあまりかっこよくない姿を見せている。それで評価が落ちているのは確かだが、それでも、まだ簡単に勝たせてくれるような相手ではないのは確かだった。

 そもそも、簡単に勝てるというならば、浩之を苦しめた英輔が勝てない理由にはならない。

 ずいっ、と桃矢はその大きな身体を前に出す。素早く飛び込むのではなく、ごくゆっくりとだ。それに寺町は反応できそうなものだが、ゆっくりだからこそ、どういう対応をしていいのか、ほんの少しだけ考える。

 と、その思考の隙を狙うように、今度は桃矢が寺町に飛び込んでいた。そのスピードは、明らかに寺町を越えるものだ。

 ズバシッ!

 まるで蹴りの当たったような音をたてて、桃矢の左の打ち下ろしの拳が、寺町の前で守りを取っていた左腕に受け流される。

 いや、この音は、受け流し切れていなかった。ダメージを、寺町は左腕に受けながら、何とかやり過ごしたように見えた。

 威力は、寺町の打ち下ろしの正拳にも匹敵するものだ。しかも、それが利き腕ではない左腕から放たれたものなのだ。

 間髪入れず、桃矢は右腕を振り下ろす。

 ブワッ!

 しかし、それは空を切るにとどまった。寺町は、すぐさま距離を取って、射程外に逃げたのだ。すでに左腕で相手の攻撃を受け流す以前から、後退を考えていたようで、桃矢にも追撃する隙はなかった。

 というより、あと一歩間違っていれば、桃矢の放った右拳は、寺町をとらえていたろう。しかも、直撃で。

 守りをつかさどるはずの左腕でも受け流しきれなかったのだ。もとより攻撃一片の寺町の右は、思うよりももろいのだ。

 もっとも、それだって、寺町の懐深く入り込まねばならないのだから、並大抵のものではないのだが、桃矢にはそれをやってのけるだけのものがあった。

 これは、思う以上に、強敵だな。

 評価は落ちているが、油断するには強すぎる相手だ。むしろ、油断していなくとも、かなり危険な相手だった。

 二試合目に、鬼の拳の模倣を見せているとは言え、あのときはまだ手加減をしていたということなのだろうか。明らかに、あのときよりもスピードも、威力も高い。

 桃矢のそれは、伊達ではなかった。

 確実に、相手の息の根を止められるだけの、牙を、いや、角を持つ拳だ。

 ぶらぶらと、寺町は受けに使った左手をふっている。拳の威力が、握力を殺しているのだろう。それに血液を流し込んで、もとに戻そうとしているのだ。

 つまり、寺町の左手の握力は死んでいるということで、攻めるのなら今、という状況のはずなのだが、桃矢は前に出ない。

 浩之がいぶかしげに見ていると、横にいた綾香が、説明してくれた。

「誘いよ、寺町は握力なんて殺されてないわよ」

「……それを一瞬で見破るか?」

「そりゃあね。まあ、桃矢の拳の威力も、なかなかみたいだったけど、それで握力が殺されるほど、寺町もバカじゃないでしょ」

 バカはバカであるが、格闘バカがこんなことろでダメージを受ける訳がない。まだまだ楽しめていないところで、無駄に疲弊することこそ、格闘バカにとって無駄なことはないだろうから。

 浩之には読めなかった。しかし、綾香には読めたのだ。

 問題があるとすれば、別に寺町は騙そうと思って手をブラブラさせたわけではなく、純粋に痛かっただけなのかもしれないが、そこは天然の寺町だ。それが作戦へと昇華されたぐらいで、驚くには値しない。

 しかし、伊達ではないということがわかったのなら、寺町の取る行動は、簡単に予測できる。

 にいっ、と笑うと、寺町は、試合中にもかかわらず、口を開いた。こういう行動が、審判の心象を悪くするのだが、寺町がそんなことを気にするとも思えない。

 最初からKOしか狙っていない寺町にとってみれば、審判の心象など、知ったことではないのだ。

「何だ、けっこうやれるんじゃないか」

 けっこうやれる、そんな簡単な言葉で言えるような実力ではないように浩之には見えるのだが、寺町にとってみれば、いかに楽しいかが重要であり、そういう意味では、けっこう以上の何物でもなかったのだろうが。

 びしっ、とよりいっそう桃矢の視線が鋭くなる。桃矢には、試合中に無駄口を叩くつもりはないようだが、しかし、寺町の言う言葉を、ずっと冷静に聞けるとは、到底思えなかった。寺町の挑発は、自身に悪気がないせいで、よけいに相手の神経を逆撫でする。

「てっきり遊べもしないと思っていたのだが」

 ぐっ、と寺町は、腰を落とした。

「少しは、楽しめそうじゃないか」

 言葉を終えると、寺町は息吹を吐き出す。空手の呼吸法だ。それはもちろん身体に効率良く酸素を取り込むという意味合いもあるが、何より、寺町が気合いを入れたのを、まわりの人間に知らせる効果の方が高かったろう。

 息吹一つで、まわりの空気が張りつめる。笑っていた目が、見開かれ、獲物である桃矢の姿を写し出した。

 攻撃します、とプラカードを持って歩いているようなものだ。次の瞬間に飛び込んでくるのが、手に取るようにわかるような態度だった。

 しかし、小手先の技など、寺町にとってみれば、おまけみたいなものなのだ。作戦が勝ちを呼び込むのは確かだが、本当に寺町がしたいのは、そういうことではない。

 限界ギリギリの真正面からのぶつかり合い、それこそが、このバカのもっとも好物なもので、それに相手は、付き合いたくもないのに、無理矢理付き合わされるのだ。

 そして、付き合わされたが最後、そこから寺町を打破するのは、並大抵の苦労ではなく。少なくとも、今日それを打破した者は、一人としていなかった。

 格闘バカ、寺町の、本領発揮だ。

 

続く

 

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