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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(182)

 

 フェイントも何もなし、真っ正面から、寺町は桃矢に向かって飛び込んでいた。

 桃矢から見れば、人の皮をかぶった獣が、勢いを込めて走り込んで来るように見えたろう、ただ前進しているだけなのに、それほどのプレッシャーが寺町の動きにはあった。

 寺町がただ動くだけでも、相手に与えるプレッシャーが大きいのは、すでに一試合目で証明されている。浩之も、それを真っ正面から肌で感じた。

 しかし、桃矢は一歩も引かない。それどころか、同じように前に出ようとしていた。

 冷静に対処すれば、寺町の前進は、なるほど、単なる前進だ。気圧されさえしなければ、桃矢の実力なら、余裕を持って対処できるだろう。

 寺町の身体が少し沈みながら桃矢に詰め寄ったかと思うと、身体をあげる勢いを入れたまま、左を突き上げる。

 ブオンッ!

 まるで地面から爆発が起こったようなジャブとも言えないジャブを、桃矢は冷静によけた。スピードものっていたとは言え、かすりもしない。

 次に来るのは、右の打ち下ろし、と予測したわけではなかったのだろうが、桃矢の身体が、寺町の右を取ろうとする。

 しかし、寺町はまた打ち下ろしの正拳を使わずに、左の前蹴りで桃矢の下腹部を狙う。が、これも桃矢は横に逃げながら腕で受け流す。

 キックを使った際に出来た隙を、桃矢は見逃さずに、左の拳を打ち下ろす。

 シュバッ!

 バランスの崩れたはずの寺町は、それでも身体をひねってそれを避けた。だが、桃矢の拳は、二段構えだ。

 バランスが崩れ、さらに身体をひねった寺町の顔面に向かって、桃矢は右拳を打ち下ろした。

 バキンッ!

 硬いものを叩くような音をたてて、寺町の頭が、桃矢の拳の勢いのまま、下に流れた。

 とっさのガードは間に合っていたようだったが、それでも、ガードごしに桃矢の鬼の拳は、寺町にダメージを与え、さらに寺町の頭を下に流すほどの勢いを持っていた。

 ガードしたとしても、上から殴られて、頭が下に流れるようなバカげた威力の攻撃に、観客達は一斉に歓声をあげた。

 さらに、驚くべきことは、それを受けてさえ、寺町はすぐに距離を取って、体勢を立て直したことだ。その間に、桃矢が攻めなかったのは、失敗と言えよう。

 打ち下ろしの正拳を、寺町が使っていないとは言え、それでも実力に大きな差があるのでは、という攻防だった。

 だが、浩之は不思議に思っていた。いかに殴り合いを寺町が好むとは言え、何の工夫もなく攻めて、しかも反撃されるというのは、おかしいのではないかと。

 いや、もっとおかしなことがある。

 あのチャンスを、桃矢は生かし切れなかった。寺町を仕留めてもいいチャンスだったはずだ。正面から来る、しかも打撃しか使わないとわかっている相手など、桃矢にしてみれば、ザコもいいところのはずだ。

 さらに、追い打ちをかけられるタイミングでもあった。ダメージは、それは寺町をKOできるほどではなかったかもしれないが、攻めるべきところのはずだ。

 まさか……、と、浩之は少し桃矢の考えを勘ぐった。

 寺町が、打ち下ろしの正拳を使うまで、待つつもりなのか?

 それは、桃矢が浩之など相手にならないほど強いという前提があったとしても、浩之は声を大にして言う。

 バカだ。それは愚かな方のバカだ。

 寺町は天然だが、それは勝ちにつながる。しかし、桃矢のこだわりは、そう、準決勝で、英輔にしたたかに噛まれたのと一緒で、意味もないこだわりだ。

 手を抜いて、勝てるほど、寺町は甘くない。

 勝てるなら、そのときに勝っておかずして、勝てるわけがない。実力とか、そういう以前の問題だ。

「なあ、綾香。俺のかんちがいかもしれないけどさ。桃矢、手を抜いているのか?」

 桃矢の行動には、むしろ浩之は憤りさえ感じていた。なめるのも、たいがいにしろと言いたい。それが自分に勝った相手に対してだから、というのもあるのだが、浩之は浩之なりに、戦いに対して、真摯でありたいのだ。

 しかし、浩之の憤りは、杞憂だった。綾香の言葉は、浩之の誤解だということをあらわすものだったからだ。

「違うわよ、桃矢は、手を出せなかったの」

「手を出せなかった?」

「そう、手を出せなかったの。寺町のプレッシャーが、桃矢の手を鈍らせたのよ。本人に自覚があるかどうか知らないけど、脚がすくんだのね。だから、全部の動きが甘くなったのよ」

 そう言われれば、確かに、そういう見方もあるだろうが。

「というよりもね、浩之。浩之も気がついてないかもしれないけど、浩之が相手にした、寺町ってバカ、かなり強いのよ。それこそ、もちろん打撃だけ、って勝手に自分で制約をつけてるとは言え、桃矢が脚をすくませるほどにはね」

 その言葉に、試合場に目を向けると、寺町が、嬉しそうに、にいっ、と桃矢を見て笑っているところだった。

 あれは、嫌だろう。攻めたと思ったのに攻めきれず、しかも、ガードごしとは言え入ったと思ったものさえ、むしろ嬉しげに笑われては。

 得体の知れない者への恐怖というものが、桃矢の内にあるかどうかはわからないが、そういうものが、動きを鈍らせたのは、確かなようだった。

 この格闘バカには、得体の知れない、理解できないものがある。それは、実力以上に、相手を苦しめるのだ。

 そして、相手を怒らせる、そして惑わせるというものに関して言えば、寺町は、まさに天然。

 浩之自身には自覚はないが、天然というものは、ときとして努力で身につけたものを粉砕する、一発を持つのだ。浩之がもつ「天然」で陥落した女の子が多いなど、浩之自身には、絶対にわからない話なのだろうが。

 寺町は、優雅に、と言えるほど軽やかに、桃矢に近づく。

 そして、まだ射程範囲外で、いつもの、右腕を上に構えた、独特の構えを取る。

 そして、また試合中にもかかわらず、桃矢に向かって話しかけていた。

「鬼の拳、見せてもらったよ。じゃあ、次はこちらの番だ」

 びきっ、と音が聞こえるのでは、と思えるほどに、寺町の腕に力が入る。それは、言わば車のアイドリングに似ている行為だった。

「俺が、一番鍛えた打撃を、見せよう」

 これは、フェイントではない。セリフを言ってまで、寺町は嘘をつかない。まぎらわしいことさえしない。

 打ち下ろしの正拳を打つ、と声高らかに宣言したのだ。

 桃矢に、やっとか、という表情と、そして戸惑いの表情が浮かぶ。

 言葉の真意を、まったく理解できないのだろう。それに踊らされると、最初のミドルキックを受けたような失態を犯すだろう。しかし、打ち下ろしの正拳と読まないのには、寺町のプレッシャーは大き過ぎる。

 天然の寺町の牙が、桃矢の心にまで、牙を突き立てているのだ。

 回避不可能、あがけばあがくほど、その牙は食い込む。それを外すには、寺町の実際の攻撃をさばくしかない。

 そして、寺町の打ち下ろしの正拳は、例えそれが桃矢であろうとも、そう簡単にさばけるほど、甘いものではないのだ。

 

続く

 

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