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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(142)

 

 タイタンは、一撃目の拳を、突き出した。

 半分ガードするような、半分後ろに下がって避けるような、中途半端な体勢で、ランはそれを避けようと試みた。

 案の定、それは避けられる。スピードに関して言えば、タイタンとランの間には大きな差がある。一撃で捕まえられるなどとは、タイタンも思っていないだろう。

 だから、むしろこの後の追撃こそが、本命になるのだ。

 そのはずだった。しかし、一発を打っただけで、タイタンは、すぐに後ろに下がっていた。追撃などまったく考えていない、単なる牽制としかしなかったのだ。

 観客の多くは、序盤でもあるし、手を出して様子を見ようとしている、大して重要でない攻防だと思っただろう。

 しかし、いくばくかの観客は、ランの動きをちゃんと見ていた。当然浩之も、その攻防の意味をちゃんと理解していた。

 タイタンが、さっきとは明らかに動きが違っているのを見ても、間違いなかった。

 さっきまでは、そちらから来ないのなら、こちらから行こうという気があったように見えたが、今は完全に守りに入っている。

 ランは、まだ一撃も出していない。警戒する材料はないようにも見える。

 だが、そうではないのだ。今のタイタンの攻撃で、ちゃんと二人の間に攻防があったのだ。

 タイタンの打撃は、遅いという訳ではないが、リーチが長い分、距離があることになる。だから、軌道を読もうと思えば、そう難しいことではない。

 少なくとも、試合が始まってすぐの、まだまったく疲労もダメージもない状態のランになら、それができた。

 カウンターを取るほどのリーチはランにはない。だからタイタンは、安心して手を出したはずだったのだ。

 伸びきったタイタンの拳に、ランの手が、ひたりと触れたのだ。

 それだけで、タイタンは守りに入った。当たり前だが、女の子に手を触られるのを恥ずかしがった訳ではない。

 腕を伸ばしきったところを、相手に取られるという致命的な状況が、タイタンを最大限に警戒させたのだ。

 打撃なら、いい。急所をうまく外していれば、ラン程度の体格相手なら、いつまでだって受けていられる自信が、タイタンにはあるだろう。それだけの身体だ。

 だが、組み技はまずいのだ。力ならタイタンの方が極端に有利で、もしかすると、技がかかっても力まかせに外すこともできるかもしれない。

 しかし、できないかもしれない。力が入っていない一瞬を突かれれば、力など関係ないことを、力を武器とするタイタンは知っているのだ。

 腕が伸びた瞬間など、最悪だ。あの一瞬で関節技に取られたら、腕一本が駄目になるだろう。体格差があっても、ここでここまで順位を上げる相手に、片腕が使えない状況では、勝つことなどできないことは想像に難くない。

 ランの身軽さを知っているからこそ、その身軽さで関節技をかけられたとき、対応できるかどうかわからないとタイタンは思ったのだろう。

 手を握っただけの行為。しかし、それでタイタンは前に出るのをためらうようになるのだ。

 さらに、浩之はランの、またはランに関わる誰かが考えた作戦の気持ちを考察する。

 ランには、飛び関節どころか、そもそも組み技の技術などほとんどない。相手の身体をつかんで、そこを支点にした打撃があるぐらいなものだ。

 しかし、タイタンはそう簡単には思わない。一度勝っている相手、だからこそ、相手が自分に合わせて、何か考えて来ていると思う方が、圧倒的に正しい。

 変化の片鱗でも見せれば、それでタイタンは警戒する。

 タイタンの慎重さを読み、見事に、タイタンからの攻撃を封じることに成功したのだ。

 ……だけど、それからどうするつもりだ?

 相手に攻撃させた方が、自分が致命的なダメージを受けやすいものの、致命的な隙を相手に作らせ易い。

 一度目は、浩之の聞く限り、素直に打撃を連打しただけの戦いだったようだ。

 そして、練習でも、多少の工夫はこらされていたが、やはり打撃を連打するだけに終始こだわっていた。

 浩之は、秘策などランに授けた記憶はない。坂下あたりにそれを教わっている可能性はあるが、それにしては、いつもの練習は、ただただ組み手を続けるだけだった。

 浩之も、わざわざどんな作戦なのかを聞くことはしなかった。何か練習に注文があるのなら、そのとき言ってくるだろうと思っていたのだ。

 結局、ただの組み手を延々と続けることとなり、気になった場所を指摘はしたものの、それは基本のことばかりだ。

 もうちょっと、俺が手助けになっておいた方が良かったかもなあ。

 練習法を、組み手だけでいいと言ったのはランで、それに浩之の責任はないものの、元来お人好しの浩之は、それでもランに対して責任を感じるところがある。

 とりあえず、応援だけでもがんばろうと浩之が気持ちを切り替えたとき、試合場のランに動きがあった。

 さっきまで、じっとして、ステップさえほとんど踏まなかったランが、だらんと肩から力を抜くと、その場で、脱力したまま、軽くジャンプを繰り返しだした。

 まるで、準備運動、いや、まったくその通りなのだろう。

 見た目隙だらけのランを目の前にしても、タイタンは動かない。攻撃を誘われていると考えているのだろうか?

 相手の技量が完全に測れるまでは、タイタンからの攻撃はないだろう。相手の攻撃に耐えることのできるタイタンだからこそ取れる、悠長な、しかし確実な作戦だ。

 むしろ、自分にとっては不利のはずの状況を、わざわざ作り出したはずのランは、今度は肩を前後に揺らして、身体の調子を測っているようだった。

 なかなかうまいな、と浩之は思った。

 攻撃はせずとも、動いている限り、タイタンにプレッシャーがかかることになる。相手を待つと決めた瞬間から、相手をずっと警戒していなければならないのだから、無駄そうな動きでも、待っている方にはいやらしい動きとなる。

 だが、まさかこの程度が、作戦と言う訳ではないだろう。

 相手に攻撃させない利点というのは、ひとえに、こちらからの攻撃だけになる、つまり、ダメージを与える可能性が、攻撃側にあるということだ。

 しかし、多少の攻撃では、タイタンが倒れるとは思えない。浩之だって、タイタン相手では、打撃でKOしようとすれば、やっかいだと思う。

 ランが現れた辺りに、坂下の姿を探せば、そこには、厳しい、しかし十分余裕のある顔で、坂下が試合場をながめている。

 作戦があるとしたら、うまく行っているってことか。

 次第に、ランの視線が、タイタンに向くようになっていた。今までは、見てはいても、どこか違う場所を見ていたような視線が、明らかにタイタンに向けられるようになっている。

 それに合わせて、段々とランの動きが素早くなっていく。意識的に、ギアを上げているようにも見える。

 タイミングをずらすように、ここでタイタンは攻撃すべきだと浩之は思った。しかし、警戒しているタイタンに、その選択肢はない。

 そうしているうちに、早まっていくランの動きが、ぴたり、と止まり、それにつられて、試合場の歓声や空気が、ぴたり、と止まった。

 攻撃もしないランの動きが、完全に場を、呑んだ。

 

続く

 

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