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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(141)

 

 試合開始同時に、ランはその場から飛び退いた。

 ブオンッ!

 さっきまでランの頭があった場所を、一歩だけ前進したタイタンの拳が抜ける。

 オオッ、とタイタンの動きに、観客達が歓声をあげる。

 観客達はもう何度も見ているとは言え、驚くほどのリーチの長さだ。

 しかし、来るとわかっていれば、距離がある分、相手の動きを予測するのは難しくない。ランにとってみれば、牽制以上の効果はい。

 とは言え、絶望的なリーチの長さだ。飛び込むよりも、腕を伸ばす方が早いに決まっているし、何より安全だ。

 攻撃を当てるためには、ランは必ずタイタンの攻撃範囲に入らなければならない。その点は完全にランの方が不利だ。

 で、結局どうやって戦うつもりなんだ?

 応援が効いたのか、ランがいつもの動きを取り戻していることだけはわかったので、それだけは安心して見ていられるが、浩之はランの作戦を聞いていない。

 自分が練習で付き合っていたときは、相手を翻弄するために、激しく動き回っていた。

 身体の大きな相手に勝つためには、小柄な者は、スピードで優るしかない。というより、それは最低条件だ。

 ランは、オープニングヒットを取りこぼしたタイタンがすぐに動いて来ないのと同じように、距離を取って動こうとしない。

 スピードとスタミナは、間違いなくランの方が上だろう。身体が小さいということは、重しになるものが少ないということだ。同じ動きながら、間違いなくタイタンの方が不利。

 しかし、タイタンから激しく動く必要がないのも、また事実。

 相手が動くのに合わせればタイタンとしては十分なのだ。スタミナを温存して、小柄な人間のスタミナが切れるのを待てば良い。スピードが落ちた腕力で勝てる相手に、その巨体で勝てない訳がない。

 戦術的には、ランから動くしかないのだ。

 ……動かない?

 二人の動きが、最初の一撃だけで、ぴたりと止まっている。

 十秒ほど二人が動かないのを見て、さすがに観客達もざわざわと騒ぎ出した。

 浩之も、リーチの差を見せつけられているとは言え、ランがまったく動かないとは思っていなかった。

 それに、手を出しあぐねていると言うには、ランは落ち着いているように見える。

 ここで頭をひねっているのは、むしろタイタンの方だろう。自分が勝つ方法も分かっていれば、相手がどう動いてくるかも、経験して分かっているはずなのだ。道理に合わなければ、何かあるのではと勘ぐるのは当然。

 時間が一秒経つごとに、タイタンの表情が険しくなっていく。

 おそらく、タイタンは待つタイプなのだろう。こちらから手を出さなければ、簡単には懐に入れない距離が自分にあることを知っているのだ。

 だから、相手が動くのを待てば良い。しかし、反対に言えば、向こうが動くのを待たなければいけないのだ。

 ずっと神経をすり減らしておかなければならないというのは、精神のスタミナ的には不利だ。

 待つタイプであるタイタンは、しかし、待たされることは少ないのだ。手を出さないと勝てないのだから、普通は向こうから手を出してくれる。

 それが、あっさりと覆っている。

 しかし、気を抜くには、マスカに出てくる選手の動きは鈍くない。しかも、ランはどう見てもスピードを得意としているように思える。体格がそれでマスカで一試合勝っていることを考えれば、そんなのは試合を見なくとも予測がつく。

 だが、反対に考えれば、自分の攻撃に合わせてカウンターを取れるだけのリーチは目の前の女の子にはないこともわかる。

 だからこそ、タイタンは混乱して、じっと待つべきか、それとも手を出すべきか悩んでいるのだ。

 ましてや、一度タイタンはランと戦ったことがある。

 そのときよりも強くなっているとしても、いや、それならばなお、通常ならばタイタンよりもランの方がスピードが早いのを知っている。

 ランに手がないのならともかく、攻撃手段はあるのだ。

 この前は、タイタンの打たれ強さがランの連打を封じて、結果スタミナ負けでランが負けたに過ぎない。スピードでは、ランが優っている。リーチ分を考えても、先に打撃を当てることができるのは、ランのはずなのだ。

 何故手を出して来ない?

 タイタンの声が聞こえるようだった。

 実際は大した時間ではなかったが、浩之がそれだけ分析するには十分な時間だった。

 驚くべきは、タイタンがたったこれだけしか動いていないのに、その能力と、スピードとリーチを考えても、ランの攻撃が当たると一瞬で判断した浩之の目だろう。

 何もなくて、ただ動かないだけなのか、それとも何か罠があるのか。

 時間が経てば経つほど、タイタンは疑心暗鬼にかられているはずだ。酷く落ち着いたランの表情を見てもわかるように、まだ一度も手を出していないのに、試合を制しているのは、ランの方なのは一目瞭然だ。

 タイタンは、仕方ないと判断したのか、拳を打ち出してきた。かなり遠く、ランの攻撃など、絶対当たる訳もない距離でだ。

 ランは、まったく動かなかった。一瞬で、その拳に意志がなく、そして自分に届かないと判断したのだ。

 腰の引けているタイタンは、踏み込むこともできずに、左ジャブが空を切る、というよりも動かないランに届かなかった。

 もっとぎりぎりの距離ならともかく、あまりにも遠すぎて、あっさりとフェイントであることをランに読まれたのだ。

 しかし、それでタイタンの度胸が決まった。

 タイタンの動きにまったく反応しないのを、挑発と受け取ったのだ。

 今度は、踏み込む。拳を出す力が入り、肩を入れて距離をかせぎ、しかし距離はランに届くギリギリ。巨体に似合わない、精度の高い動きだ。

 すいっ、とランは自然に後ろに下がって避けた。

 ……何もない?

 それには、多少浩之も驚いた。きっと何か作戦があると思っていたのに、ランは届く攻撃を、普通に避けただけだった。

 ただ待っていただけだった。そうばれた瞬間、タイタンは前に出ていた。わざわざ待つまでもない、距離さえ見誤らなければ、怖るに足らないと思ったのだろう。

 硬いアスファルトの地面を蹴るようにして、その巨体が動く。やはり、まわりから見れば多少緩慢に動いているように見えるが、その長さを考えると、決して遅い動きではない。身体を十分に制御している早い動きとさえ言える。

 急激、と言っても、タイタンにとっては一歩にも満たないのだろうが、にランとタイタンとの距離が近づく。

 今度は、避けられれば追撃ができる距離まで、タイタンは前に出る。

 その間も、ランがそれに合わせて前に出て来ないか慎重に測っているのだ。待ちを基本とするわりには、攻撃に向いても、隙がない。

 タイタンは、今度こそランに拳を叩き付けるべく、腕を振った。

 

続く

 

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