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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(140)

 

「迎え撃つは!」

 金網で囲まれた試合場の中央に、凛と立つランに、赤目の言葉は強く響く。まるでランに言い聞かせるような言葉だった。

「大地を揺るがす巨大な身体! 矮小な人間達よりも、高みに立つ、巨人族!」

 人の波が分かれるよりも先に、その姿はランの目に写っていた。観客達よりも、頭一つ以上大きなその男の姿は、隠しようがなかったのだ。

 ドクリッ、と今度は間違いなく恐怖で、鼓動が音をたてる。

「身長差実に四十センチ以上! 勝負にならない、小柄な踊り子と踊る趣味はない!」

 赤目の挑発に似た言葉も、もうランの耳には入って来ない。

「マスカレイド、ランキング二十四位、タイタン!!」

 ウワッと歓声があがる中、同じ人間とは思えない巨大な身体が、ゆっくりと観客達の間を通ってランの方に進んでくる。

 マスクには、茶色に赤色のラインが三本入っている。

 しかし、マスクで顔は隠せても、この身体では正体を隠すのは無理だろう。それほど、飛び抜けた体格だ。

 身長二メートル九センチ、体重百十キロ。

 ランとのリーチの差は、一体どれほどになるのか、考えたくもない。むしろ細く見えるのは、それほどに上が高いからだ。

 緩慢な動きで、試合場に近づいてくる姿は、鈍足としか思えないのだが。

 ゆっくり歩いているように見えても、ランとは尺度が違うのだ。ランが普通に歩くよりも、はるかに早いスピードで足を動かしても、一歩が大きすぎるのだ。

 スローモーションの世界で動いているようにさえ見えるのに、油断ならないスピードで襲ってくる。それほど、ランから見れば現実感がなくなるような巨体なのだ。

 ……こんな相手と、本当に戦いになるのだろうか?

 観客の沸き方も、普通とは違う。多くの人間は、ランを応援する空気になっている。日本人は、小柄な人間が、大きな人間に勝つのが何よりも好きなのだ。

 しかし、まさに子供と大人。むしろ、小人と巨人。

 表の世界では、決して起こりえない対戦だ。しかし、ここはマスカレイドで、何の疑いもなく、目の前に来る巨人の相手は、自分なのだ。

 マスクの下、ランは必死に表情を作っていた。気を抜けば、恐怖に表情が歪んでしまいそうだったのだ。

 それは、ランのプライドが許さない。弱さを見せるのが、何よりもランは嫌いなのだ。

 自分から弱さを見せたことがあるのは、ただ一度だけ。それを特別にするためにも、ここで世沢を見せる訳にはいかない。

 入り口に頭をつかえるようにしながら、タイタンは試合場に入ってくる。

 決して小さくない試合場だ。逃げを打てば、逃げ切れるだろうだけの広さがある。

 しかし、タイタンが立つと、それでも手狭に感じる。端っこに逃げたとしても、まったく意味がないのでは、と思わせる。

 実際の距離にすれば、たかが四十センチ強。しかし、現実の話になれば、それははるか彼方だ。何よりも、ここに動きが入ると、永遠に到達できない距離にさえ感じる。

 自分が弱気になるのを、ランは止められない。ここ最近、ずっとタイタンと戦うシミュレーションをしてきたが、それでも目の前にすると、それに誤差があったことを認めざるを得ない。

 経験したことがあるはずなのに、そのときの感覚よりも、タイタンとの距離が遠く感じる。まさか、タイタンが成長した訳ではあるまい。

 その体格差を目の当たりにして、平常でいられる訳がなかった。

 まずい、このままだと……。

 体格差もあるが、このまま萎縮してしまうと、自分の思う通りに動くことさえ出来なくなるのが分かっていたが、それでも、どうしようもない。

 何とか試合が始まる前に、集中を取り戻そうとするが、そう簡単に戻るものではない。

 あせるランに、思わぬところから、助けがあった。

 いや、ランの希望通り、と言った方が正しいのかもしれない。望んでいたのは、本当なのだし。

「ラン!」

 耳に響いて、鼓膜を駄目にするのではと思えるほど大きな歓声の中から、一人の声を聞き分けられる訳がないと、最初はそう思った。

 ましてや、どこからその声がかけられたのかをわかるなど、あり得ないはずだ。

 しかし、ランは、迷うことなく、自分の名前を呼んだ方に振り返っていた。

 マスクをしているので、表情は誰にもわからなかっただろうが、ランは、マスクがなければ、誰の目から見ても明らかに顔をほころばせたように見えたろう。

 しかし、マスクは表情を消して、ランとしてはそれが唯一救われた点であった。今から戦う者の顔ではない表情を、不特定多数に見られるのを回避したと言う意味で、救いだった。

 そして、ランの視線の先には、まさにランを救ってくれた人がいた。

「浩……」

 一瞬、口から名前が出そうになって、気恥ずかしさと、どうせ聞こえないという思いが、口を閉じさせた。

 そんなランに気付いているのか気付いていないのか、浩之は、真剣な顔でランを見ていた。

 浩之先輩も、緊張しているのだろうか?

 いらないお世話だ、と本気で思う。戦うのは自分であって、浩之先輩ではないのだ。先輩が心配する必要なんて、少しもない。

 先輩を不安にさせていると思ったとき、ランは、確かに、自分に激怒した。

 タイタンの方を見ていなかったランは気付かなかった。ランが怒りに飲み込まれた瞬間に、タイタンが反対に緊張を目に浮かべたのを。

 一瞬で、ランの雰囲気が変化したのだ。今までは、言ってしまえば可憐な少女だったものが、一瞬で、小型の肉食獣のような雰囲気を発したのだ。

 まるで、それを予測していたかのように。

 真剣な表情を解くと、浩之は、満足げにランに笑いかけた。

 ランを包んでいた怒りが、一瞬で消え、変わりに、少し早い鼓動として胸の高鳴りを自分に教えてきたのを、これは必死で抑えた。

「お前は、強いよ。自信持ってやれよ!」

 その声も、歓声にかき消されて、ランには届かないはずだった。だから、ランの耳に入ったのは、むしろ幻聴だったのかもしれない。

 しかし、緊張や不安は、完璧にそれで吹き飛んだ。心にまだしがみつくしこりも、今なら力ずくで倒すことができる、と感じられた。

 ランは一瞬、マスクの上からでも分かるように笑った。

 それは、ランにしては珍しい、あけすけな、隠すことない笑顔だった。どうしてこちらにそんな笑顔が向けられたのかわからないその一角の観客達は、一瞬あっけに取られるが、しかし、ランが笑顔を向けたのは、たった一人にだった。

 改めて、ランはタイタンの方を向いた。

 間違いではない。シミュレーションしていたよりも、タイタンを大きいと感じる。しかし、それは問題ない。

 ヨシエさんが無言で送り出してくれて、浩之先輩が保証してくれたのだ。

 これ以上、自分の強さを感じれる瞬間など、今まで生きてきてなかった。それほどに、今の私は自信が持てる。

 強いと自分が感じるよりも、強い人にそれを認められたことを喜ぶ多少歪んだ自分も、今なら素直に受け入れられる。

「Here is a ballroom(ここが舞踏場)!!」

 赤目の合図が、試合場に響き、ランは自分が間に合ったのだと、浩之先輩が間に合わせてくれたのだと、強く感じた。

「「「「「「「「「「ballroom!!!!」」」」」」」」」」

 観客達の合唱の後、赤目は、さらに通る声を、張り上げた。

「Masquerade……Dance(踊れ)!!」

 ランの挑戦が、ここに始まった。

 

続く

 

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