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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(139)

 

「ラン、しっかりやりなよ」

「わかってる」

 姉のレイカの言葉に、私は静かに答えた。

 私のまわりには、レディースの仲間が囲んでいる。正体を隠す選手もいるが、私の場合、後ろ盾としてのチームがあるので、隠す必要がないのだ。

 すでに、私はマスクを被っていた。蘭の刺繍のされたマスクだ。ついこの間、初めてデビュー戦をしたはずなのに、長い間つけていなかったような違和感を感じる。

 それほど、短い期間だったが、集中でき、また楽しい時間だったということだ。

 とうとう、試合の時間が来てしまった。

 身体はそれなりに良い。疲労も全部とは言えないものの取れたし、ゆっくりと準備運動もしておいたので、身体の動きもなめらかだ。

 それに、自分で思っている以上に、落ち着けているのが何よりも心強い。

 私を囲う仲間から一歩引くようにして、無言でヨシエさんが立っている。それも、私の心を支えてくれている一つだ。

「作戦通りにやりなよ」

 ゼロさんがぽんっ、と私の肩を叩き、私は静かに頷いて答えた。

 チームの仲間がそれぞれに私に声をかけてくれるのとは対照的に、ヨシエさんは私を見て微笑みこそすれ、声をかけてくれない。

 しかし、私には不満はなかった。ヨシエさんの教えは、言葉ではなく、力として私の中にあるのだ。これ以上求める方がよくばりと言うものだ。

 もう一人、私の気持ちを支えてくれる人物を捜そうとして、私は観客の中を見渡す。

 人、人、人。この一角だけ、密度は満員電車並だ。この中から、浩之先輩を捜すのは、さすがに無理だろう。

 試合が始まれば、応援の声で気付くかもしれないが、いかんせんこの人だかりだ。浩之先輩がいかに大声を出してくれても、届くかどうか。

 少し、いや、かなり心残りだが、仕方ない。

 相手のタイタンの順位は二十四位。マスカの三十位以内の試合は、チケットが必要なのだ。それほど、人気が高いということだ。人一人捜すのに都合が悪いほどの人は集まる。

 これだけの人が、私の試合を見に来ているのだ。

 ぶるりっ、と武者震いが来る。決して、気押された訳でも、怖じ気づいた訳でもない、と言い切れないほどの熱気だ。

 チームの皆が自分を囲んでいるのでこんなところにいられるが、それがなければ、観客の中になど立っていられないだろう。

 それは、まわりから向けられる好奇の目で十分分かる。

 マスカの選手は、だいたいが気の短い、ケンカ好きの人間だ。下手に扱えば、すぐに爆発する。それでも、触ろうとする観客は多い。

 まして、たまに自分では忘れるが、私は女だ。いかがわしい気持ちの人間もかなりの数に登るだろうし、そんなのに触られれば、絶対に私は蹴り飛ばすだろう。

 チームの皆は、そういう意味では、私ではなく観客の方を守っているのかもしれない。

 そうなのだ、私は、ケンカがこうじて、こんな違法な試合にまで出る、変わり者のケンカ屋なのだ。

 その中で、さらに私よりも十位ほど順位の高い、タイタン。

 考えれば考えるほど、無謀な戦いである。身体も震えようというものだ。

 だが、今はそんなに怖いとは思わなかった。恐怖が全部消えている訳ではないが、それでも十分に試合に臨もうという気持ちの方が大きい。

 ヨシエさんと、そして浩之先輩と会ってから、この短い間に成長した、自分の実力を見てみたい、存分に発揮したい、と本気で思うのだ。

 その点で言えば、一度負けた、そしてあれからも強くなっているであろう、今日の相手は好都合の相手だ。

 私は、試合場に目を向ける。

 珍しく、何のひねりもない、金網で囲まれた試合場だ。下は、コンクリートの肌が出ているが、何か落ちているようなことはない。

 マスカの試合としては、地の利を生かしにくい、スタンダードな試合場だ。

 正直、私の不利を狙っているだけなのでは、と疑いたくなってくる試合場だった。

 相性的に、私に一番良いのは、障害物や落ちているものが多い試合場だ。

 跳び蹴りの勢いをつけるのは難しいが、障害物があれば、軽い身体を生かして、上から攻めることもできるし、相手のリーチを殺すこともできる。

 反対に、何の影響もないコンクリートのスタンダードな試合場では、力とリーチのある相手の方が断然有利だ。

 まあ、砂や水の試合場でなかっただけましなのかもしれない。もし、そんな試合場だったら、私は為す術なくやられている……。

 ……いや、それでも、私は簡単にやられるつもりはない。

 そのために、今日まで鍛えて来たのだ。むしろ、ヨシエさんは、そういう試合場になるだろうとさえ思っていた節がある。

 だから、まずは私の体力を鍛えさせた。そして走らせた。下が砂や水でも、十分にスピードを生かせるような体力と、前にも増したスピードを、ヨシエさんは私に求めたのだ。

 コンクリートの堅い地面は、私の、本来のスピードを生かしてくれる。足のふんばりは、一撃に十分な威力を乗せてくれる。十分に戦える試合場だ。

 ザワリッ、と試合場が揺れる。

 試合場に目を向けると、悪趣味な赤いメガネかサングラスかわからないものをつけた男、赤目が立っていた。

 ……来た。

 どくり、とそのときを前にして、鼓動が一度、大きくうねる。

「レディースアンドジェントルマーーーンッ!!」

 マイクもなしに、赤目のよく通る声が、観客達のざわめきを突き抜けて響いた。

「長らくお待たせいたしました!! 今日のダンサー達は、一風変わった組み合わせです!!」

 まわりの観客の姿勢が、私と試合場の赤目を行き来する。

「ファーストダンスでいきなり三十三位に躍り出た、可憐なる踊り子!! 今度は、巨人に立ち向かう!!」

 赤目は好意的に私を紹介するが、まったく嬉しくない。私にとっては不利となるような試合ばかり組む相手に、何を感謝しろというのだろうか。

「可憐な薔薇には刺があり、可憐な蘭には毒がある!!」

 赤目の言葉にのせられるように、チームの仲間は、試合場までの道を、観客を押しのけて開ける。

「マスカレイド三十三位、ラン〜〜〜〜〜っ!!!」

 観客達の地鳴りのような歓声を間近で受けて、しかし、私は気押されもしなかった。

 一瞬、ヨシエさんの方を見る。すがるというよりは、確認する意味でだ。

 私の視線を受けて、ヨシエさんは、行ってこい、いや、勝ってこいという顔で、頷く。弟子に信頼を置く、完璧な師匠である。

 私は、今度はまわりに目を向ける。

 ……さすがに、浩之先輩を捜すのは無理か。まさか来ていないことはないと思うのだけど……。

 少しだけ、試合よりもそちらが不安になったが、私は、そんな気持ちをたたき落とすように、自分の寮頬を叩くと、試合場に向かって、走り出した。

 試合場の入り口は、まだ開いていない。

 今なら、できるような気がして、私は姉貴が試合場の扉を開けるのを待つことなく、突進した。

 カカカカカンッ

 いつも以上に軽やかに動く身体は、金網にたどり着いても、まったくスピードを落とすことなく、私は両手両脚を使って、素早く金網の上に登った。

 そして、止まることなく、試合場に飛び降りながら、くるりと一回転して、綺麗に着地する。

 一流の動き、とまではいかないが、自分の身軽さを印象付けるには、十分なパフォーマンスが出来たと自分でも思った。

 おそらくヨシエさんなどは苦笑しているが、その点に関して言えば、譲る気はない。

 ここは、私の晴れ舞台なのだから。

 わき起こる歓声を受けて、私は悪い気はしなかった。アドレナリンが、どくどくと身体を流れるのがわかる。

 私のテンションが最高潮に達したのを待っていたかのように、赤目は、相手を呼んだ。

 

続く

 

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