綾香の勝利宣言を聞いて、マスカレッドは動いた。
カラン、と特殊警棒が、その手から落ちる。と同時に、動かすのだけでも無理があるだろうはずの右腕と、健在の左腕を、身体の前で十字に構える。
今までの、意味のない、キャラの為の構えにも見える。しかし、これは違った。身体全身で、隙のない構えへと変化している。
「かああああぁぁぁぁぁぁっ!!」
腕が、マスカレッドの気合いの声と共に開かれ、腰に溜められる。
完璧な、空手の息吹だ。マスカレッドのキャラでは、明かにない。
寺町が何度か試合で見せていたので、浩之にも、少し嫌な記憶として刻まれている息吹は、要は、気合いを入れる為の行為だ。
それで何が変わる、という訳ではない。身体的には、おそらく深呼吸ほども効果はないだろう。しかし、寺町の息吹の後の動きは、まるで改造されて来たかのように変化してきた。決して、ただ気合いを入れた、と侮ってはいけない。
それに、何よりも、それは空手のもの、ということだ。
マスカレッドは、空手も使えるのか?
少なくとも、付け焼き刃の息吹ではない。寺町どころか、それ以上に板についた息吹だった。特殊警棒を振っていたときとは大違いだ。
次の瞬間、ダンッ、とマスカレッドは、はじけ飛ぶように綾香に向かって真っ正面から突っ込んでいく。
「フッ!!」
気合いの声と共に繰り出された、上段蹴りを、綾香はぎりぎりの所で後ろにそって避ける。懐に入る余裕はない。
浩之は、その一撃に背筋を凍らせた。
その上段蹴りは、綾香や葵と同じ世界にある技だった。タイミング、スピード、切れ、どれを取っても、綾香にすら劣っていない。
単発だからこそ綾香も避けられたが、しかし、これにコンビネーションが加わった場合、綾香でも華麗に避ける、というのは不可能なのではないだろうか?
そう浩之が感じたことは、しかし、一瞬で杞憂に終わった。
ドンッ!!
マスカレッドの身体が、衝撃に、後ろに動く。
マスカレッドの上段蹴りを避けた、と思ったときには、綾香も手を、正確には脚を出していたのだ。
綾香の前蹴りが、マスカレッドの腹部に入っていたのだ。
マスカレッドは、それだけでは動きを止めなりしないが、しかし、その前蹴りは完璧にマスカレッドに入っていた。
前蹴りが当たったにも関わらず、綾香の身体は後ろに飛んだりしなかった。普通、前蹴りは、攻撃した方、攻撃された方関係なく、体重の軽い方が後ろに飛ぶのだが、今回、どちらかと言えば、後ろに飛んだのはマスカレッドの方だった。
それは、綾香の放った前蹴りが、正確には前蹴りではなかったからだ。
普通、前蹴りは真正面から蹴る為に、一度ひざをひきつけてから、そこから一直線に脚を伸ばすのだ。でないと、下から振り上げる格好になり、これでは非常に防御し易くなってしまう。
綾香も、もちろん膝をひきつけたが、そこからが違った。真正面ではなく、少し上に向けて蹴り上げたのだ。
真正面からでは、後ろに反作用が生まれて飛ばされるが、斜め上に蹴り上げれば、地面の方向に反作用が生まれる。それで飛ぶのを防ぎ、効率良く衝撃を与えたのだが。
言うほど、簡単な動きではない。綾香の身体能力と、驚くほど柔らかい身体があってこそ出来るものだ。
ピピッ!!
しかし、それに気押されることなく、マスカレッドはワンツーで綾香に反撃していた。それを、綾香は顔をしかめながらも、両腕ではじいて受ける。ダメージの残る左腕を使わなければならないほど、マスカレッドのワンツーが速かったのだ。
しかし、これは諸刃どころか、マスカレッドに一方的に不利なはずだった。マスカレッドの右腕は、そんな激しい動きが出来る状態ではないはずだ。
それでも、マスカレッドはワンツーを打った。単発の攻撃では、懐に入られないまでも、綾香に反撃を許してしまう、と判断した苦渋の選択だろう。
さらに、マスカレッドはミドルキックのコンビネーションを続ける。
ドンッ!!
逃げずに、その場にとどまっていた綾香の左脇腹に、ガードつきではあったが、マスカレッドの右ミドルキックが入った。
いやにあっさり、と言えるのかもしれないが、ガードした上に、飛んで逃げられた一撃を入れる為に、マスカレッドは動かないはずの右腕を使っているのだ。決して簡単にやった訳ではない。
そう、綾香も、動きが鈍っているのだ。ダメージは確かに与えて来たし、綾香だってスタミナは無限ではない。マスカレッドほどの相手に戦えば、疲労するのは当然。
飛んで威力を殺した綾香が着地する前に、マスカレッドは綾香に向かって走り込んでいた。マスカレッドが到達する前に綾香の足は地面をつかまえるが、そこから逃げる時間は限りなく少ない。
ダメージの問題ではない。マスカレッドは、この一瞬を狙っていたのだ。その為の、息吹であり、右を使ってでも作ったチャンスだった。
一瞬で綾香との距離を狭めたマスカレッドの動きが、一瞬で変化した。
腕が伸び、それは綾香に打撃を放つわけでもなく、広げられる。そして、飛び込む勢いを乗せたまま、腰が落ち、綾香の腰よりも下に、突き刺さるように突進する。
ここに来て、マスカレッドが狙ったのは、タックルだった。息吹も、そして自分の空手の腕も、この状況に持って行く為の餌でしかなかった。
綾香は、自分で飛んで威力を殺した以上、身体を飛んで避ける、という選択肢を選べない。このタイミングでは。いかな綾香とて、それは出来ない。
そして、カウンターを狙おうにも、マスカレッドは防具で身を守っている。マスカレッドの防具は、タックルの体勢で弱点をさらす場所の守りは堅い。
マスカレッドの狙ったのは、寝技だった。
片腕が、ろくに動かない状態で、しかも、技で言えば綾香の方が優れている。寝技になったからと言って、決して楽観できる状態ではない。
しかし、マスカレッドには、関節技にも対応した防具がある。絞め技に関しては、守りは完璧だ。
そして当然、マスカレッドはその有利をよく分かっている。寝技は、身体能力よりも練習量で差が出る。
綾香が、寝技の練習をいつも行っているとは、とても思えなかった。技はあっても、実際の寝技に入れば、それだけでは足りない。
もちろん、そんな例を出したところで、完全に有利、と言い切れないのだが、今の状況で、マスカレッドが勝つ為には、これしかなかった。
綾香は、何とかマスカレッドのタックルを止めようとしたのだろう、すでにマスカレッドが下に入り込んだ状態だったが、腕だけ止められる。しかし、マスカレッドは、それでもかまわず前進した。例え、腕で抱えられなくとも、マスカレッドの体重で体当たりが当たれば、綾香の体重など、簡単に吹き飛ぶのだ。
マスカレッドの狙い通りに、綾香の力ではなく、マスカレッドのタックルの勢いで、綾香の足が、地面から浮いた。マスカレッドの起死回生のタックルが、入ったのだ。
そのまま、綾香の身体は、土の地面に、マスカレッドを上にして、転がった。
続く