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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(297)

 

 地鳴りのような歓声が、勝敗が決した試合場に響いている。

 地にはいつくばるのは、マスカレイドで、今まで負けたことが一度のみの、二位、マスカレッド。

 そして、中心に立って高々と腕を上げているのは、来栖川綾香。

 歓声も、私には声として聞こえない。振動として、身体に響いてくるだけだった。

「よしっ」

 浩之先輩の、小さなガッツポーズを入れた声だけは、それでも私の耳に届いた。

 それは、そうだ。浩之先輩が、来栖川綾香を応援しない理由は何もない。来栖川綾香が勝ったことは、歓び以外の何物でもないだろう。

 しかし、私は呆然として、もちろん浩之先輩に共感することなんて出来なかった。

 最後の技は、凄かった。何が凄い、と言えば、もう全てが凄すぎた。

 相手のタックルをうまくさばいて、相手の腕を、胴と一緒に脚ではさむことによって、相手の抵抗を完全に封じ。

 そして、防具をつけて効かないはずのネックロックを、力まかせに防具をねじり折ることによって無理矢理効かせる。

 あの細腕で防具をねじり折るだけの力を生み出すことも凄いし、その為に、身体に酸素を取り込む為に、相手の動きを封じて、試合中に休んだことも凄い。

 唯一、マスカレッドに不手際があったとすれば、防具を過信したことだ。防具の厚いところは、攻撃されても問題ない、と考えて、来栖川綾香に簡単に首を取られたことにある。

 両腕を封じられたのは、マスカレッドが悪いとは言えない。それだけ、来栖川綾香のさばきが素晴らしかっただけのことだ。それをマスカレッドの片腕がほとんど動かない状態では、どうにかしろ、という方が酷だ。

 結局、マスカレッドは破れるべくして、破れたのだ。マスカレッドの、どんな仕掛けも、それを支える実力も、来栖川綾香の暴力的な暴力、の前には為す術なかった。

 問題があるとすれば、仕掛けの、その多くはまだ許せたとしても、最後の裏拳は、仕掛け、という範疇を越えてしまったことだろうか。

 ルール違反ではなくとも、不文律というものはある。いや、不文律ですらない、思いつきすらしない手だった。

 その、この非常識なマスカレイドの中の常識を、マスカレッドは破り捨てたのだ。良い意味などまったくない、悪い意味で。

 私だって、もともとマスカレッドを応援する気などさらさらないし、そこまで悪どい、と言っていいだろう、ことをした以上、応援する義理はない。

 例え、それがマスカレイドの看板に関わることであっても、だ。

 ほとんど悪役と化したマスカレッドを、来栖川綾香が、真正面から、実力を持って倒した。話的には万々歳、勧善懲悪、いいことずくめだ。

 しかし、事はそんな単純なものではない。いや、私以外の観客が、それがマスカレッドのファンであっても、単純なことなのだろうけれど。

 私は、それを単純に喜べないのだ。

 ふいに、試合場の来栖川綾香が、腕を高々と突き上げたまま、こちらに視線を送り、軽くウインクをする。

 まわりにいた観客達は、特に男は俄然ヒートアップして声を張り上げるが、もちろん、それがそこらの適当な男に送られたものではないのは明白だった。

 私や、ヨシエさんに送られたものでも、当然なく。

 浩之先輩は、まるで慣れたこと、とでも言わんばかりに肩をすくめた。まわりの観客に知られれば、リンチでも受けかねないというのに、あっさりしたものだった。どれほど、いつも来栖川綾香の相手で苦労しているか、苦労のほどが忍ばれる。

 まあもっとも、もしヒートアップして来た観客が詰め寄って来ようとも、問題はない。浩之先輩は、少なくとも私よりも強い。

 それに、カリュウを倒したヨシエさんがいるのに、ケンカを売ってくる馬鹿はここにはいないだろう。

 私だって、多少人数が増えたところで、素人に負ける気はなかった。それだけの実力は、うぬぼれでなくあると思っている。

 そう、うぬぼれてもいないし、低く見積もってもいない。

 しかし、それでは、足りないのだ。

 だから、私は素直に喜べない。マスカレッドが、もしマスカレッドが来栖川綾香に勝てたのなら、これほど悩む必要はなかったのに。

 また一つ、私は、来栖川綾香を倒す手だてを無くした、ということなのだ。

 そう、別に私の手で行う必要はないのだ。うぬぼれてもいないし、自分の限界はとうに分かっている。自分でも驚くほど成長したこの勢いを、ずっと続けられたとしても、来栖川綾香に私が追いつくことは、一生ない、と本気で感じているのだ。

 でも、それでは浩之先輩を、守れない。

 浩之先輩は、私の助けが必要なほど弱くはないし、私をさらに越えるスピードで強く成っているようにすら見える。

 しかし、それでも、来栖川綾香に追いつくことが、出来るだろうか?

 よしんば、結果追いつけるとしても、それまで、来栖川綾香が、浩之先輩を生かしておくだろうか?

 最強と言える、来栖川綾香。おそらくは、挫折など味わったことのない、生まれたときからの勝者。

 それが、本気で相手を殺そうとしたときに、相手は抵抗など出来るだろうか?

 少なくとも、浩之先輩には、出来ない。どんなに見積もっても、来栖川綾香が本気になれば、殺される。

 現実、後数秒、マスカレッドがタップするのが遅かったならば、来栖川綾香は、容赦なく首の骨を折っただろう。

 そんなバカな、と私だって思う。

 しかし、私は、来栖川綾香の、本気の殺気を見てしまった。それを、笑ったり、しょうがない、という顔で流したりは、私には出来ない。

 そして私にはどうにか出来る手段がないから、誰かに、どうにしかしてもらわなかければならないのだ。

 その、最有力候補だったマスカレッドが、負けた。いい訳も出来ない、完璧な敗北だった。もう、何度やったところで、マスカレッドは来栖川綾香に勝つことはできないのではないだろうか?

 そこで、無邪気に、先輩に向かってそういう言い方はどうかと思うが、本当に無邪気に来栖川綾香の勝利を喜ぶ浩之先輩の身を守る手段が、私にはない。

 しかし、それをしようとするのは、私しかいないのだ。

 そんなことを考えている私の方には、視線をまったく送って来なかった来栖川綾香。しかし、何故か私には、それは来栖川綾香が、私の考えに気付いていない、とは思えなかった。

 あなたには、何も出来ない。

 来栖川綾香の背中を見ていると、そんな幻聴が聞こえて来るようだった。

 

続く

 

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