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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(395)

 

 これは当たる、と浩之は判断していた。その判断には、一瞬の時間があれば十分だ。

 そして、動きが見えない者は当然のこと、動きが見えている者の判断も、そうであった。ローキックを放った後の綾香の重心には、坂下の二段蹴りを避ける位置にはない、と、合理でも経験でも判断したのだ。

 しかし、坂下の二段蹴りは、二発目も空を切った。いや、綾香が、空を切らせた。

 ローを放った脚を戻すこともなく、綾香は、そのまま股裂きの要領で、ペタンとその場に尻餅をついたのだ。回避できる位置にない、と言いながらも、まだ下という選択肢は残っていたのだ。

 さらに、綾香は床に股を広げた体勢で、地面につこうとしている坂下の足に手を伸ばそうとしていた。坂下の足を手で払うのかつかむかして、バランスを崩そう、あわよくばこかしてしまおう、としたのだ。つかんだからと言って簡単に勝てる相手ではないが、しかし、倒れて組み技になれば、どちらが有利かは明らかだ。

 が、そんな決着を綾香が望んでいるかは謎だし。

 坂下は、そんな動きを、二段蹴り、という上への攻撃をする動きの癖に、下で行われている綾香の動きを察知したかのように動いていた。

 最初はミドルキックを放つために繰り出され、二段蹴りの為に引き戻された足が、一瞬地面についたかと思うと、また瞬時に宙に飛んでいた。曲芸じみた、連続のジャンプを行ったのだ。

 三段蹴り、いや、その動きは、蹴りの為の動きではない。確かに、降りで反発力を生む為の動きではあるが、蹴りを放つ為に、すぐにジャンプしたのではない。

 そこにあるはずだった足が宙に飛んだ所為で、綾香の手が空をつかむ。まず、それが一つ。

 そして、まだ地面にある綾香に向かって、坂下は容赦なく、二段蹴りに使った脚を、そのまま振り落とした。

 ズンッ!!!

 思わず、目をそらす観客もいた。坂下の威力で踏みつけられれば、決着どころか、もっと酷いことになりかねない。単純な全体重だけでも危険なのに、そこに坂下の技の威力が入るのだ。普通、踏みつけなど練習している訳がないが、今の音を聞いて、そう思う者はいなかった。

 しかし、綾香は、床に尻餅をついたような状態で、それをすれすれで避けていた。身動きなど出来ない、とは言わないものの、立っているよりもよほど動きにくい状態で、坂下の攻撃を避ける、というのは、綾香にしか出来ないだろう。

 いや、今のはさすがに当然か。

 浩之は、冷静に判断する。いかな坂下でも、宙にある状態から、自由自在に動くことは出来ない。脚も地面についていないし、そう考えれば、踏みつけの軌道は、ある程度制限されるだろう。もちろん、綾香でなければ危なかったろうが、綾香ならば、制限された軌道を読み、避けることは可能だろう。

 そして、一度攻撃を避けてしまえば、地面にあることの方が、かえって有利だ。

 気付いたときには、綾香は坂下の踏み下ろされた右脚と、同じく坂下の左腕をつかんでいた。

 坂下の強さは、打撃によらない。というよりも、例え相手が組み技を使って来ても、打撃だけでそれをしのげるだけのうまさを持っている。アリゲーターなど、マウントポジションを取ったにもかかわらず、それを外されたのだ。アリゲーターは性格は最悪だが、それでも素人というには強すぎる。そのチェーンソーが、決定的な状態になったというのに、それを跳ね返す、という強さは、十分組み技相手にも通用する。

 しかし、それが、綾香になった場合、どうなのか

 そもそも、空手から始めた綾香のスタンダードな戦い方は、当然打撃。変幻自在な打撃とコンビネーションを駆使して、有無を言わさず押したと思えば、針をも通すような瞬間でラビットパンチ一発で仕留めたりもする。誰しも、彼女を打撃系、と言うだろう。

 しかし、バリスタを投げ飛ばし、バタフライを締め落とし、あまつさえマスカレッドの首をねじ切るようにして仕留めた綾香が、組み技が打撃よりも弱い、と言えるだろうか?

 坂下と打撃で対等の、それと同じだけの力を持つ、組み技。

 組まれれば、下手をすれば、何も出来ずに終わる。どんなに打撃が強かろうが、締め関節が一度でも決まってしまえば終わるし、中途半端でも、かかってしまうともうどうしようもない技も多い。

 だから、坂下がすべきは、まずはその状況から、脱出することだった。

 幸い、綾香は床に倒れており、機敏な動きは取れない。上から下段突きをすれば、丁度良い場所に頭がある。坂下の下段突きを、まさかそんな状況で受けては、いかな綾香といえども、ダメージを受け流すことは不可能だ。綾香は、二段蹴りを避ける為に、自由な脚を犠牲にしてしまったのだ。

 が、坂下が何か動きを取る前に、綾香が先に動いていた。素早く、手でつかんでいた脚に、片腕を絡ませる。

 これで脚を引いて腕から逃れるのは難しくなったし、下段突きをすればいい、と言ったが実はそれも難しい。前に体重をかけたときに脚を浮かされるとかなり危険だし、片手をつかまれているのもまずい。

 空いている方の手で殴ればいいのだが、片腕を引かれると、下段突きを放つことが出来ない。受けをするときは、相手の外側にまわるのが基本だが、腕をつかんでいれば、それも簡単に行われてしまうのだ。

 それでも、下段突きを敢行する、という手もある。その場合、綾香と坂下の、力と技との正面からのぶつかり合いになるが、さすがに、今回は綾香の方に合理がある。坂下の非常識では、綾香の非常識と合理の前には届かない。

 が、坂下はまったく動じた様子はなかった。この体勢が、自分に不利であることに気付いていないかのような落ち着きぶりで、抱えられた脚に力を入れる。

 多少重いが、問題ない。水の抵抗のようなものだと思えばいい。

 本当に坂下がそう思ったかどうかは別にして、綾香に掴まれていることを、まったく問題としていない。それほどに自然な動きだった。何故なら、それは、綾香だけが有利な状況、とは言えないからだ。坂下にとって、この状況を不利だ、と思うような局面ではないのだ。

 坂下の脚に力が入った、その瞬間、綾香はその場から後ろに飛び跳ねるように離れていた。腕はつかんだままだったが、脚からは完全に手を放す。

 普通ならば、脚が地面から離れた瞬間を狙って動かせば、どうとでも制御出来る状況だった。そうなれば、どんな技も威力は殺される。二点を持っているというのは、綾香ほどの技術を持ってすれば、絶対的に有利、とも言える状況だったのに、それをあっさりと捨てる。

 その判断は、間違ってなど、いない。

 ズドンッ!!!!

 坂下の、踏み込みの音が、響く。綾香には、打撃は何も当たらなかった。空を切った、と言うよりも、坂下の方が打撃を放ったようには見えなかった。

 しかし、綾香は、避けていたのだ。必殺ともなりうる技を、事前に察知し。

 なりうる、などというのは、謙遜にもほどがあるだろう。実際、坂下は、それでチェーンソーを仕留めたのだ。

 踏み込みとほぼ同時に繰り出される、その踏み込みの力を全て威力に変えた、膝蹴り。ただの踏み込みにしか見えず、相手は技を出されたのかすら気付けないかもしれない技だった。下にいる相手には、絶大な威力を発揮する。

 その威力、例え脚に密着されていようと問題にしない。あのまま綾香が逃げなければ、少しは威力が殺されるかもしれないが、それ以上の威力を持って、脚にしがみついた綾香を打ち抜いていただろう。

 まがりなりにも、あのチェーンソーにとどめを入れた技。それを、坂下は何の躊躇もなく、出し惜しみなど考えないように放った。しかし、だからこそ、綾香にとっては逃げるしかなかったのだ。

 まともに受けてしまえば、例え同じ体勢であっても、不利どころの話ではない。何より、寝転がらせてしまわない限り、坂下は無条件で膝を入れて来る。おそらく三発も耐えられないだろうし、三発などとまどろっこしいことを言わずとも、その前に一発入った時点で戦いではなくなる。

 ただ、綾香は、それを察知し、逃げた。結果、坂下の必殺を一つ、回避することに成功したのだ。

 股裂きの格好からも、後ろに飛び跳ねるように離れたのも、さすが綾香、と言える。ついでに言えば、まだつかんだ坂下の左腕は放していない。つかんだ状況であれば、綾香の方がまだ多少は有利に事を進められる。

 まあ、綾香を持ってしても、つかんだらどうにでも、と言えないのだが。

 ほとんど組み技の練習などしたことがないだろう坂下に、組み技がかからないのもおかしな話だが、それに文句をつけても、どうにかなるもんじゃないしな。つまりは、綾香がそれを上回っているかどうか、って話だよな。

 浩之はのんきにそう思いながらも、膠着するには、お互いに危険な状況に、話すことも出来ずに、試合場に集中するしかなかった。

 そして、もちろん、膠着など、まったく起きなかったのだ。

 

続く

 

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