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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(394)

 

 お互いに軽いのを一発、まったく同点というほど厳密なものではないが、まだどちらにも勝利の天秤は傾いていなかった。

 つか、相変わらず、坂下のやつえらい度胸だよな。

 最近の戦いを見ていれば思い知らされることだが、そもそも、坂下には恐怖を感じる器官がないのでは、と思うほど、躊躇ない。

 先ほどの動きも、見ているだけならば、自分からぶつかっていった、というよりも、坂下の前進に、綾香がカウンターを決めたようにしか見えなかった。それほどに、坂下の前へ出る勢いが衰えなかったのだ。

 結果、スピードとしなりで作り出されるはずだった綾香の腕は、その力を増す前に止められ、坂下に反撃のチャンスを渡すことになる。

 いや、もうその時点では、綾香は攻撃を無力化されたことを分かっていたはずだ。だから、自分は慌てず騒がず、後ろに飛んで威力を殺した。坂下の受けにも勝るとも劣らない、見事な無力化だった。

 軽いのを一発、と考えたが、まさしくその通り。お互いの攻撃は、お互いに殺されて、ろくなダメージにはなっていない。あれでは、十発二十発当たっても、倒れるには至らないだろう。しかし、あくまで殺された、というだけで、一歩間違えば、勝負の決する一打にいつでもなるのだ。

 薄い氷上を歩いているような戦いを、二人は別にいつも通り、という様子で行っている。

 まさに、お互い実力均衡と言える。始まったばかりだが、それでも、ここまでたどり着いた力は、一度傾けば、あっさりとその居所を決めるものだ。決まっていない、ということは、その差が限りなく小さいか、片方が手加減しているということだ。そして、少なくとも、どちらも全力では攻めていなくとも、手加減はしていない。

 しかし、皮肉なことに、これを、あの来栖川綾香に、坂下が追いついている、と見るか、それとも、あの坂下に、来栖川綾香がついていっている、と思うかは、微妙なところなのだ。

 普通なら、前者はあっても後者はない。それが知名度の違いというものだ。

 だが、マスカレイドでは違う。綾香の知名度は、もちろん有名人、という意味では大きいが、しかし、一位を破ったのは、つまり自分が一位、ということなのだが、この場合、一位を破ったことの方が大きいだろう、坂下なのだ。

 無敗の一位、チェーンソーを。無敗だった一位を、倒した坂下の強さは、マスカレイドの観客には、大きく写る。

 まわりから、綾香よりも、坂下が上に見られるのは、今までなかったことだろう。少なくとも、一度綾香の実力を知ってしまえば、誰しもが綾香に目を奪われる。

 その目を、坂下は、今回多少なりとも奪っているのだ。それが勝敗に関係する訳ではないが、浩之は、気にせずにはおれなかった。坂下と同じ、綾香には並々ならぬこだわりを持つ者として、それを無視出来なかった。

 一つでも、綾香を上回れる、というのは、結果、決定的なものを上回れるのではないか、というかすかな希望になるからだ。

 とは言え、浩之も、坂下を応援したものか、綾香を応援したものか、それどころか、この戦いすら、素直に見ているには、あまりにも微妙なのだ。それは、結局全てを自分でする、と考えたランとは比べものにならないぐらい、解決の出来ない悩みだった。

 そう、解決は出来ない。もう試合は始まっていたし、そもそもこの試合に反対するには、浩之には実力も腕力も足りなすぎた。少なくとも、片方が戦いたい、と言えば、後はなし崩しだ。浩之に止められる訳がない。

 そして、浩之にとって悔しいことに、この二人が戦うのは、とても自然なことだ、と思う自分がいるのだ。

 この試合は、摂理と言ってもいい。それほどに、この二人は、結局決着をつけなくては、どうにもならない関係なのだから。

 つまりは、坂下に、綾香と戦うだけの力があれば、それは、戦うしかないということだ。この二人は、それでも穏やかに親友をやっているような、うまい間を取れる関係などでは、絶対にないのだから。

 そのわりに、まるで測ったようにお互いの間合いから外れたようで、結局危険地帯には変わりない試合場で、二人は対峙していた。

 最初は、綾香から仕掛けた。次も、時系列的には坂下から動いたようにも見えたが、綾香から仕掛けたようなものだ。

 今度は、坂下から仕掛けるか、とも思えた。

 が、今度も、先に動いたのは、綾香の方だった。ステップを踏んでいるというのに、軽やか、と言った方がしっくり行く動きで坂下との距離をジグザグに動きながら縮めていく。

 坂下から攻めないのは、理屈的には分かる。坂下の得意技は、交差法にも代表される、受けだ。相手の攻撃を受けてから、攻撃に転じる。後の先とも言えるかもしれない。厳密な意味では、カウンターではなく、受けなのだ。相手の動きに合わせるのではなく、相手の攻撃を無力化してから攻める、坂下のスタイルはそれだ。

 だから、大前提として、相手から攻撃させねばならない、というのがある。坂下が、決して攻めるのが苦手だ、ということではない。坂下の特性を生かそうとすれば、それが一番いい、というだけだ。

 だが、理にかなっている、などという弱気で攻めないのは、結果自分の首を絞めるとしか、浩之には思えなかった。

 そんな単純な理を積み重ねた人間が強い、というのは、浩之だって理解はしている。

 しかし、だ。

 そこにいるのは、どんな常識さえ、平気で破壊して来る怪物なのだ。もし、その怪物に勝ちたいのなら、怖々であろうとも、同じ舞台に立たねば、ならない。

 だが、浩之は、ちゃんともう一つの事実も、見えていた。

 俺が思うことなんて、坂下にとってみれば、釈迦に説法なんだろうな、と。

 まとを絞らせないように動く綾香に、まるでその移動先を余地したかのように、坂下が距離を詰めたのだ。

 広い間合いから、最小のモーションで、しかし、十分に助走距離を稼ぎ、スピードを十分に乗せたミドルキックが放たれる。

 坂下の威力という意味では一番かもしれないそれが、綾香に向かって、空気を裂く。

 綾香は、それを身体ごと後ろに下がって避けていた。

 バウンッ!!

 空振りしたとは思えない音をたてて、坂下のミドルキックは空を切るが、その後の脚の戻りもかなり速かった。そこまで威力が乗った蹴りを放った後とは思えないほど簡単に、坂下の脚は折りたたまれる。

 が、そこは綾香の方が速かった。一瞬下がった身体をその後退でためたバネで一瞬で前に出ると、ローキックを放っていた。狙うは、残っていた軸足の方。つまり、かなり深い位置まで綾香は入り込んでいた。それこそ、危険過ぎるほどに。

 普通は、当たる。それで決まらなくとも、多少なりとも、脚にダメージを当てられただろう。そうやってローのダメージは蓄積するのだ。それが、普通。

 しかし、綾香のローキックは、空を切った。

 坂下は蹴り脚を折りたたむと同時に、軸足だったものを、宙に飛ばしていた。つまりは、飛んでいた。

 ミドルキックの蹴り脚を引く勢いを利用した、二段蹴り!!

 地上のキックから、空中のキックへの連携。坂下の持つ技のレパートリーにはなかったはずの技が、綾香に向かって、放たれた。

 

続く

 

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