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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(397)

 

 ズダンッ!!!!

 体育館の中とは言っても、試合場は、ご丁寧に別の床がしかれている。それが、体育館の床よりも柔らかい保証などないし、床の下にスプリングをつけて衝撃を弱めよう、などという努力はまったくされていないようだった。

 つまり、コンクリートと比べればまだましだが、それでも、投げ技は十分に危険なものとなる技だ、ということだ。

 綾香は、そんな場所で、受け身さえ取れない角度で坂下を床に叩き付けた。そう、投げというよりは、不自然な方向への動きがあり、言葉通り腕の力で叩き付けたような形になっていた。

 背負い投げのような投げであれば、先に落下するのは脚になるので、ダメージは低い。しかし、綾香の投げとも言えない投げは、頭の方が先に地面に落ちる。例え、頭から落ちなくとも、背中から落ちることになる。

 背中から投げられるのならば、大して問題ではない、と思う人もいるかもしれないが、それは大きな間違いだった。なるほど、さすがに頭よりはましだろうが、人の身体は、地面に背中から落ちるようには出来ていない。

 受け身の取れない形で背中から落ちれば、あっさりと肩胛骨や肋骨が折れる可能性は高いし、そうでなくとも、肺が一瞬つまり、その間は、人間は動きが取れなくなる。まともに落ちれば、内蔵へのダメージだってあるかもしれない。

 そんな条件を、綾香は、まったく意にかえさなかった。つまりは、容赦しなかった。

 坂下は、受け身も取れないまま、床の上に叩き付けられたのだ。

 そして、それと同時に、綾香の身体は横に跳ね飛ばされていた。

 ……ァンッ

 明らかに、坂下が床にたたきつけられたのではないものの残音が、響いて消えた。

 とととっ、と綾香はたたらを踏む。実際には、足下がふらついていたのかもしれない。少なくとも、倒れた坂下に近づく、という行動を取れないようだった。

 同じく、坂下も、緩慢な動きでうつぶせになったが、すぐに立ち上がる、というのは難しそうだった。

 が、お互いがお互いに、自由に動けなかった、というのを差し引いても、相手を警戒した、というのもあったのだろう。

 そう、お互いが、お互いに自由に動けなかったのだ。ダメージの所為で。

「……てか、やっぱり坂下の度胸はむちゃくちゃじゃねえか?」

「綾香さんの技も、たいがいですけどね」

 誰よりも先に回復した浩之と葵は、軽口のような、しかし、決して軽いものではない攻防の内容を、二人で話し合う。

 まず、簡単に坂下が崩れないと見て取った綾香の行動が、凄い。わざと、自分からその均衡を崩して動いたのだ。動けば、それはそれだけ勢いによって力を生むし、均衡を破るには必要だったかもしれない。

 しかし、さすがに、先に動けば綾香でも不利だったはずだ。その不利を、技によって綾香はねじ伏せた。

 投げも、ただ投げてやろう、ただ地面に倒そう、などというありきたりな気持ちでは使っていなかった。その一撃で、坂下を倒すつもりで放った一撃だった。

 見た目的には、合気道の小手返しにも似ていたが、その内容は完全に違った。あれは動きの一環で、相手が後頭部から落ちるが、綾香は、それを無理矢理自分の力で作り出したのだ。坂下がバランスを崩していること以外は、単なる力任せ、と言っていい。

 それでまた凄いのが、綺麗に投げようと思わなかったことだ。確かに、不自然な動きが入れば、致命傷となる可能性は経る。しかし、投げの勢いまで殺してしまう可能性は高かった。それでなくとも、先ほどの投げならば、そのまま流れに合わせて投げても、坂下の後頭部を床に叩き付けることも可能だったはずだ。

 だが、綾香はそうしなかった。背中から落ちるようになっても、動きに不自然さを入れた。普通の投げでは、坂下に受け身と取られる、と判断したのも一つの要因。

 しかし、それよりももっと大きな要因があるからこそ、綾香は動きが不自然になるのも問題としなかった。

 坂下が、投げられるその中で、綾香に蹴りを放ったのに、気付いたのだ。

 頭から落ちるということは、反対の脚は回転する。その回転のまま、自分を投げる相手を蹴り倒そう、と坂下はしたのだ。もし、蹴りが先に決まれば、投げのダメージは消せるし、相手には致命的なダメージを当てることも出来るかもしれない。

 ただ、そうなると、受け身は捨てなくてはいけない。受け身も取って、同時に蹴れるほど、いかな坂下でも人外じみた動きは取れない。だから、受け身を捨てた。

 そこに、一瞬の躊躇でもあったら、綾香の方が速かっただろう。しかし、坂下は、一瞬の躊躇どころか、どう投げられるか分からないバランスを崩した瞬間に、それを決意していた。

 自分の技に対する、自信が、ありえないほど高い。

 自分の技が間に合わない、と思えば、潔く坂下は受け身を取って、そこからの手を考えただろう。しかし、坂下は、自分の技が届くことを知っており、知っていれば、それに対するリスクは、ないようなものだった。

 綾香の技のキレだって、決して分かっていないはずなのに、それを選択出来るほど、坂下は度胸があり、かつ、坂下の技は、その域まで達している、と、少なくとも坂下は思ったということだ。

 そして、綾香は、それを察した。察したからこそ、悠長に普通に投げる、という選択肢を捨てた。

 ちゃんと投げるよりも、何よりも先に坂下を地面に叩き付けることを優先したのだ。ダメージが当たりさえすれば、坂下の技の威力も弱まる。いや、そもそも、蹴りを出す暇すら、与えない。

 実のところ、お互いに、ぎりぎりであることは分かっていた。

 どちらが先に届いても不思議ではないタイミングだった。お互いに、逃げればそれを回避できることを、ちゃんと分かっていた。

 しかし、どちらも、下がらなかった。それどころか、余計に技に力を込めた。

 単純な勝敗だけではない。この、致命傷になる意味のないせめぎ合いにおいても、二人は、お互いに譲れなかったのだ、負けれなかったのだ。

 結果、綾香は坂下の身体を、床に叩き付けることに成功した。堅い床に、力一杯叩き付ければ、坂下でもダメージは免れない。受け身も取っていないのに、それでも頭をうたないようにした坂下をほめるべきだろうが、しかし、叩き付けられたそれ自体は、坂下と言えども、どうしようもなかった。

 と同時に、坂下の蹴りが、綾香の脇腹に入っていた。身体が浮いた、と言っても、綾香の、坂下を叩き付けようと力を込めた腕が土台だ。しかも、バランスを崩したときから、坂下はバランスを取り戻すことなど捨てて、もう蹴りのことを考えて動いていた。

 それでも、綾香は腕を間に挟んでいた。もし、まともに受ければあばら骨ぐらいは簡単に折ったであろう坂下の蹴りを、ぎりぎりのところで弱める。この土壇場に来ても、さすがは綾香、と言いたいところだが、綾香を持ってしても、おまけのような片腕では、坂下の蹴りを全部無効化出来る訳もない。衝撃は、綾香の身体を蹂躙していた。

 相打ち、完璧な、相打ちだ。どちらが躊躇しても、躊躇した方が負けていただろう、絶妙なバランスを保った相打ちだった。

 しかし、この相打ちでは、お互いに、決定打を出せなかった。皮肉なことに、ダメージが大きかったからこそ、二人は、相手の出方をうかがうことしか出来なかったのだ。

 それに、これは二人にとっては、幸か不幸か分からない話だが。

 これで決着が着くほど、二人の実力も、二人の関係も、浅くはなかったのだ。

 

続く

 

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