「ほら、できたよ。同じ番号が書いてある人間同士での試合だ」
即席の割り箸のくじを持った坂下が、にこにこと手を前に出す。にこやかな坂下など、にこやかな綾香の次に不吉だ。というか少女のにこやかな笑顔が不吉のワンツーフィニッシュになるとか、現代日本は狂ってる、と浩之は酷く憂鬱、というかもうほんと勘弁して欲しい気持ちで坂下の楽しそうな笑顔を見ていた。
坂下が楽しそうなのを見て嬉しい気持ちになってるのは、御木本ぐらい、と言いたいところだが、今回ばかりはそうとも言えない。
知り合いとして付き合うには非常に疲れるが、格闘家としてはそれこそ申し分ない性格と実力を持つ寺町、エクストリーム予選三位と少しの間練習にかかわっただけでも誰にも納得させるだけのものを見せた浩之、同じくエクストリーム予選一位とそれに勝る坂下を倒したという看板をもつ葵、そして、説明するまでもないエクストリームチャンピオンの綾香、これだけの面子がランダムに試合を、本気ではないかもしれないが、少なくとも組み手よりは確実に試合に近い形で戦うのだ。
例え格闘マニアでなくとも、垂涎ものだ。これで坂下が参加していたならば、お金を取らない方が間違ってる、いや、現段階だってお金を出して見たいと思う人間は多いだろう。
確かに、その前に一応の試合はあるし、そこで負ければ掃除をしなければいけない、とは言っても、何も午後がつぶれるほどの時間を取られるわけでもなく、ほんの１、２時間程度だろう。そう思えば、誰しも部員は気楽になれるものだ。ぶっちゃけ見てみたい試合が目の前で見れる方が見入りは大きい。
まあ、部員達は試合を参考にして強くなろうなどとは端にも思っておらず、ただ単なる楽しい娯楽としか思っていないのだが。こんな危険極まりない状況を娯楽と思えるあたり、坂下の教育はよくできているというか間違ってるというか。そして参考にしない、というのは何も教育のせいではなく、はっきり言って参考にできるような低いレベルでないことを誰しも予測しているからだ。
しかし、部員達は見る方なのでいいだろうが、やる方はたまったものではない。最低でも、浩之にとっては迷惑以外のなにものでもないのは間違いない。
これが単に自分にとってただの害であれば逃げるという手も最終的にはありなのだろうが、いかんせんたちの悪いことに、この試合は浩之にとっては意味がある。綾香や葵のような、もちろん反論なく強い相手と試合をする、というのも練習になるが、いつもと違うタイプと試合をするのは、今の浩之には十二分な利益となる。
いつも練習している綾香や葵だって、試合、という形式を取った場合、本気の一端でも見せてくる可能性がある。そうなれば、身の危険はあるがもうけものだ。短期的に言えばエクストリームが目的とは言え、結局、浩之はこの二人に勝てなければ最終的には意味がないのだ。
この二人、というものを考えたときに、浩之は自分のことながら少し首をかしげた。格闘技を始めたきっかけとなった二人、この二人に対して、勝とうと思う気持ち自体があることは、まあ自分でも夢を見すぎだろうと思いはするが、それよりも浩之自身気になることがある。
綾香に勝ちたい、と思っているのは今更言うまでもない。浩之が最後に目指しているものだ。そのためならば、何だってするつもりでいる。しかし、葵に勝ちたいかと言うと……
自分の横で、どう転んだとしても楽しいのだろう、目を輝かせている葵を、浩之は盗み見る。浩之にとっては、部活の後輩である前に、格闘技の先輩というよりは師匠であり、それをふまえてもかわいい後輩だ。自分のどこが気にいってくれたのかはわからないが、浩之に対する態度は酷く好意的で、浩之はそれをありがたく思うことはあっても、面倒だと思うことはない。
浩之も今初めて自覚したが、自分が格闘技を始めるきっかけの片方である葵に対して、勝ちたい、と思ったことが、浩之は今までなかった。
部活では一緒にいる時間が一番多い二人だから、葵と練習した時間が他の誰と比べても長い。この短い格闘人生の中で、ほぼ全てに葵が関わっていたと言っても言いすぎではない。そして、一番負けた回数が多いのは葵だろう。誰と戦っても、ほぼ全て負けを増やすだけだった浩之にとってみれば、戦った回数がイコール負けた回数となる。
だから、葵に負けた回数が一番多い。次点の綾香に対してこれだけこだわるものがあるのだから、トップである葵に対して、勝敗についての何かしらを思わない、というのは自分で考えてもおかしいものだ、と浩之は考えていた。
それは、勝てれば嬉しいだろうなあ、という程度にはあるし、葵自身を目標の一つとは考えるのだが、どうしても勝ちたい、と思えないのは、綾香と葵との性格の差なのか、それとも浩之自身に何か原因があるのか。
まあ、どちらにしたところで、結局は葵に勝たなくてはいけない場面が出てくることもあるのだ。
葵も坂下も浩之も、最終点、綾香に勝つという最後の目標が同じである以上、並び立たない場面があるかもしれない。そうなったとき、浩之は相手が葵であっても譲る気はない。今現時点では、葵に勝てる可能性など万に一つ、億に一つもないのは承知しているが、それとこれとは話は別だ。いや、現段階ではそもそも浩之が葵や坂下と並び立てるわけもないので、仮定の話だが、目的にたどり着く過程としては、葵に勝つ必要はあるかもしれないのだ。
ま、今回は葵ちゃんと試合をする確率はそんなに高くないだろうな。ついでに、できることなら綾香と寺町には当たりたくないんだけどなあ。
何かフラグのようなことを浩之は考えながら、それでも仕方なく、坂下の持つ自家製割り箸くじに手を伸ばした。
この試合をどう見ても待ち遠しいという顔で待っている寺町ならばともかく、明らかに嫌がっている浩之から最初に手を伸ばしたのは、もちろん少しでも早く試合をしたいわけではなく、最後に絶望が残るのが嫌なだけだ。もちろん、確率が変わらないのはわかっているが、それでも最後に残ったのが寺町だけとかになると無駄に精神的ダメージがありそうだったので避けたいところなのだ。
「……１番だな」
最初に引いて１とは縁起がいいのか悪いのか。実質どっちでもないだろう。とにかく、最低でも寺町と外れてくれることを祈るのみだった。
「そし、それでは１番を･･････いやいや、来栖川さんとも戦ってみたいところですな。いや、しかし、迷いますな」
そしてくじを引く二番手は、こちらはもう完璧待ちに待っていましたといわんばかりに坂下以上ににこにこしながら、寺町が出てくる。さすがの坂下もこの格闘バカを目の前にしたら嫌な顔になった。正直、この状態の寺町を見て喜ぶのは頭がおかしい。そのおかしい人間がここには最低一人いるのだから、世界は広い。
寺町は、まるで自分が望みのくじを引けるかのごとく戦う相手を迷っているようだった。望み通りのくじをひけるわけがないのだが、こと格闘に関することにおける寺町は明らかに常軌を逸しているので、もしかしたら、と思わせるのだがバカは偉大である以上に迷惑だ。
「いいからさっさと引け」
「おっと、これはすみません。ではさっそく」
坂下の文句にも、まったく動じる様子もなく、先ほどまでのえり好みはどこへやら、寺町があっさりとくじを引く様子を、浩之は祈るような気持ちで見ていた。
続く