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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(197)

 

「あー、あたっちゃった〜」「うーん、まあいい方か」「よし、ラッキー!」

 片方の組、つまりは弱い方のメンバーは、悲喜こもごもととは言っても、皆気楽なものだ。はっきり言って、すでに合宿の練習は終わっていると言ってもいい状況なのだ。何せ普通は部活の中で強弱はあれこそすれ、極端な差は生まれないものだが、ここでは明らかな差が生まれており、そしてその上の方の部員が全て別の組であり、戦う必要がないとくれば、皆気楽になるのは当たり前だ。負けたとしても、後で待っているのは辛い辛い鬼の坂下のしごきではなく、単なる掃除なのだ。これで楽だと思わないほど、坂下の後輩はやわな練習をしていない。まあ、寺町の方の部員にとっては、多少この後の掃除もきついかもしれないが、それだってもう片方の組と戦うことを思えば、天国のようなものだ。

「よし、こっちの組は決まったね。じゃあ、お楽しみのこっちの組をやろうかね」

 坂下は、非常に楽しそうにくじを入れた箱をもう片方の組の人間の前に出す。

 綾香、葵、寺町、池田、ランはまあやる気を見せている。というか寺町は張り切りすぎだ、少しは自重しろと誰もが思っているが、その次にやる気を見せているランに関しては、みんな恐怖で頭のネジが飛んでしまったのかとすら思っていた。

 とは言え、ランはランで、色々と事情があるのだ。一応練習である以上、手痛いOK、言葉通り痛い思いをする可能性が低い、もちろん手元が狂って当たる可能性はある、状況で強い相手と戦えるのは、ランにとっては経験という意味でプラス以外の何者でもない。

 決してあきらめたわけではないランにしてみれば、自分が強くなれることはいいことでしかないのだ。いつか、浩之が意識できる場所まで到達できるかもしれない、という儚い希望でも、やらないよりはよほどましだ。すでに絶望する、という段階から、ランは抜けている。告白を断られる以上の絶望など、それこそ浩之が殺されるぐらいしかない。

 まして、くじ運次第では、意中の浩之、これは戦いたいとかそういう意味ではなく純粋に恋愛の意味で、と試合をすることもできるのだ。恋する少女が恋する相手と戦いたい、とは明らかにおかしい気もするが、ランは青春のほとんどを戦いに捧げて来たのだ、それ以上の表現の方法など知らない。

 ちなみに、池田はためしに浩之と戦ってみたいと思っているし、葵は誰と当たってもそれはそれでただただ経験になると思っているし、さて、綾香にとってみれば、誰と当たっても楽しい暇つぶし程度かもしれない。

 で、そんな格闘バカと恋する少女とは対照的に、浩之、中谷、御木本の三人のテンションは駄々下がりだ。

 例えば御木本、正直説明の必要があるのか考えるぐらい説明の必要がない。ランと違い、意中の坂下は現在怪我で戦線離脱、実に楽しそうにさっきくじを作っていた。坂下が楽しそうなのを見てそれだけ幸福な気持ちになってしまった自分を顔には出さず言葉通り苦々しい思いで、苦笑すらできずに観察するような状況だ。

 それだけではない、昨日までのハードな練習と、修治と浩之から食らったKOは身体の芯に無視できない疲労を残している。いつもなら何とか引き分けには持ち込める相手でも、今日戦えばそう簡単にはいかない。いやこの面子では、万全ですら簡単にいくのはランぐらいだろう。中では比較的容易と思えるのが浩之か中谷というのはもう御木本にとっては救いようのない話だ。まして、浩之相手には昨日KO負けを食らったばかり、楽しいはずもない。

 ただ、まあ、もちろん、浩之に当たった場合、御木本は全てを捨てて、勝ちを狙うつもりではある。実力で劣っていないと思っている相手に負けたまま黙っているには、御木本は戦いに身を置き過ぎたし、そもそも御木本にとって、浩之の存在自体が気に入らない。

 さらに中谷、これは案外わかりにくいかもしれないが、中谷にとってはこの面子はかなり無理があるのだ。浩之に負けたとは言え、それなり以上の実力を持っている中谷だが、この面子で言えば、本人はラン以外に勝てるとは思っていない。

 浩之には、正直、もう勝てるとは中谷自身は端にも思っていない。あのときは接戦となったが、この合宿で見る限り、浩之のいる領域は、すでに中谷の領域のはるか先にあると思っている。いや、思うだけではなく、おそらくそれは事実だ。

 自分がすでに勝てることはない、と感じるのを、中谷はそこまで悔しく思うことはないが、それでも、一抹の悔しさ、というのは拭い去れるものではない。

 中谷はこの登場人物の中ではかなり情緒に聡いので、浩之に自覚はないのだろう、とその態度からは察しているが、正直、自身は浩之と比べられるような実力ではない、と理解していた。

 中谷だって、努力をしていないわけではないのだ。部活ではほとんど一人で寺町の相手をしていることもわかるように、練習の過酷さは筆舌に尽くしがたいものがあるし、その実力は空手の試合に出ても誰に劣るものではない。

 だが、それでも、やはり限度はある。中谷の実力、というか、はっきり言ってしまえば才能は、浩之に劣る。努力以上の才能はない、と言ったところで、浩之の努力は、恵まれたタフネスさをもってしてもギリギリのラインを突いてくるような雄三と修治と綾香のかわいがりに基づく量だ、中谷ならば三日もたたずに身体を壊す。

 中谷が悪いわけではない。これは完全に、浩之が規格外なのだ。本人にその自覚がないことが、余計に中谷には堪える。

 強い相手と戦うのは、厳しいし辛いが、嫌ではない。だが、自分の才能のなさ、決して弱音を吐いてるわけではなく、本当の意味でどうしようもないその差を見せられるのは、いくらこの年で人間ができている中谷でも嫌なのだ。

 つまりは、中谷は、浩之とどうしても戦いたくないのだ。それこそ、綾香と戦った方が何百倍もまし、いや、中谷にとっては綾香と戦うのはアイドルと握手みたいで、それはそれでうれしいことなのかもしれない。綾香と多くを関わっていない中谷であれば、そうかもしれない。

 もっとも、浩之との差を見せ付けられる、それを嫌だと感じる中谷は、まだあきらめていない、とも言える。結局、人間あきらめた時点で負けなのを考えれば、中谷はまだ先がある。あきらめたさらに先の道もあるが、いくら人間ができているとは言え、それを高校生に求めるのは酷だろうから、中谷はよくやっている、年齢を考えればほぼ満点と言ってすらいいだろう。

 そしてまあ、もう話題にあげるのもどうかとすら思う浩之。説明の必要があるかどうかすら考えるぐらいだ。

 つうか、ラン以外で俺が楽できるビジョンがまったく思いつかないんだが・・・・・・

 情けないことを考えながら、ランだって、座して負けてくれるわけはないから、楽と言うには言いすぎだろう、と浩之はさらに情けないことを考えていた。

 一度勝っている中谷や御木本に対してだって、もう一度戦えば勝てる、などとは浩之は心の端にも思っていない。

 これはもう自己評価が壊滅的に、別の意味で間違ってるのだが、何せ万全の状態でやっても御木本ですら今の浩之相手では自分の優位を信じられないのだから壊滅的と言っていいのだろうが、自己評価の不備はともかく、実は当たらずも遠からずの部分がある。

 どんな方法で戦ったとして、浩之にとって辛い戦いになるのはもうこれは火を見るより明らかなことだ。

 想像してみてもらえばいい。この面子で、簡単に勝たせてくれる、または簡単に負けさせてくれる人間が一人としているだろうか? 賭けてもいい、確実に無駄に厳しい試合になる、と浩之はどんよりする気分で思っていた。

 強くなる糧、などと取り繕ってみても、状況を他人事として意地悪い顔で笑っている坂下を見ていると、自分の置かれている状況を冷静に把握してしまって、気分も萎えようというものだ。

 さらにさらに、何故か、いや何故かなどと思う浩之がのん気過ぎるのだが、浩之を狙う目を方々から感じるとなれば、もう浩之としては、このまま逃げ出してもいいのではないか、と現実逃避もしたくなるというものだ。

 というか、綾香とあたって簡単に負けれる方が楽なんじゃないかなー、とありもしない希望を考えながら、絶対に後悔すると思いながら、綾香の方に目を向けると。

 実に魅力的に、綾香がにっこりと笑っていた。誰でも魅了されるその笑顔を見て。

 試合することになったら、ゆっくりと、じっくりと戦ってあげる、という気持ちがありありと見えて、浩之は余計に気持ちが沈む思いになるのだった。

 

続く

 

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