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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(196)

 

「はい、休憩終了!」

 二十分の休憩、とは言ってもここまで疲労していては、その程度では休憩にもならないとすら言えるかもしれないが、坂下はまったく容赦がなかった。

 きついのならば部員達も立ち上がらないとか、色々と意思表示をすればいいものだが、いかんせん坂下の教育は行き届いている。部員達は、坂下の言葉に対して条件反射的に、のろのろと立ち上がっていた。さすがにすっと立ち上がるには、皆疲労が溜まっているのだ。

 しかし、坂下だって鬼ではあっても、非効率な練習をするつもりは毛頭ない。休憩が短い、二十分で回復しない疲労というのはすでに効率が悪いような気もするが、のにはちゃんと理由がある。

「さあ、これが合宿最後の練習だよ。今回の合宿のしめとして、みんな試合形式の模擬戦をやってもらうよ」

 坂下はそう言うと、合流した綾香達も含めて、二つのグループに分ける。

 片方は、綾香、葵、浩之に、寺町、中谷、御木本、池田、そしてラン。片方はそれ以外だ。

 明らかに、前者の組に強い方をただ集めたという組み合わせだ。坂下や健介が怪我をしていなければ間違いなくこちら側に振り分けられただろう。

 しかし、恐ろしいのは、もしこの二つをチームとして試合をしても、こちら側が勝ちそう、というか絶対勝つだろうなあ、下手せずとも綾香一人で勝ってしまうだろう、と浩之はどうでもいいことを考えていた。何故どうでもいいかと言えば、そんな勝負の見えている、そしてこちら側が楽になるような練習を坂下がやるとは思えないからだ。

「じゃあ、わけた中でランダムに一組ずつ、模擬戦をするからね」

 坂下はそう言うと、用意させていたくじを部員達に引かせていく。最後の練習としては、正直拍子抜けとも言える。二人ずつということは、模擬戦中は休んでいられるということだ。模擬戦をしていない人間は別の練習が用意されている可能性も否定はできないが、模擬戦が練習と言うことは、模擬戦よりもきつい練習はやるまい、と信じたい。

「負けた方は、最後の掃除をやってもらうからね。午後に十分遊びたいなら勝つことだね」

 まあ、それぐらいなら、と浩之は考える。どうせ掃除はするものと思っていたので、負けたとしてもそうきついことではない。何より、どうせこの疲労で午後に十分に遊べるとは思っていない。だったら、やはり練習としてはそこまで厳しいものではない、とすら思った。

 が、浩之は、その次の瞬間に、この練習は非常にまずくないか? と考え直した。

 楽な方、というか言ってしまえば弱い方の組ならば、ランダムでも全然問題ない。よほど変なことを坂下がやるつもりがないのならば、浩之にとっては大したことではない。

 だが、こちらの組の面子は、全員ガチだ。この中で言えば、浩之がまず間違いなく余裕のある相手というのは、ランぐらいだろう。中谷には勝っているが、もう一回すればどうなるかわからないし、余裕があるなどとはとても言えない。池田も組み手こそしたことはないが、実力で浩之に劣るとも思えない。御木本だってKO後でなければ、勝てるとも思ってない。寺町にいたっては、負けたこともそうであるが、ただ単純に戦いたくない。

 勝つ負けるの話ではない、手を抜くという選択肢がない以上、本気で戦うしかなく、であれば、むしろ並の練習よりも厳しいものとなるだろう。

 というか、そもそも綾香と葵ちゃんがいる時点で破綻してないか?

 浩之の考えることももっともだった。この中では、この二人の実力は飛び抜けている。綾香相手では、あの寺町だっていい勝負すらさせてもらえないだろう。寺町で駄目であれば、他の部員は言うまでもない。唯一勝負になる坂下が怪我でできないのだから、綾香と葵にとっては練習にすらならないのではないだろうか?

 そういう意味では、実力的に一番きついのはランだろう。この中ではどうしてもランの実力は劣る。しかし、それ以外の部員ではランの相手にならないことも事実であり、上位の最下位、という非常に微妙な位置にいるランにとっては部活ではよくある話だった。むしろ、ランはそれを自分の練習になる、と思っている。何より、ランにとってはこの模擬戦は願ったりかなったりだ。誰とあたったとしても十分な練習になる上、場合によっては浩之と試合ができるのだ。

 だから、浩之から見て、ランはそわそわしているように見えたのは、誰とあたっても厳しいことにランが気後れしているからではまったくなく、当たる相手が浩之にならないか、と願っているからだったのだ。

 だが、浩之と戦いたいと思っているのは、何もランだけではなかった。

「いやいや、坂下さん、実にいい練習ですな。俺としては願ったりかなったりですよ」

 それはもう部員の中でただ一人、物凄く上機嫌な格闘バカは、満面の笑みで浩之の方を見ている。これには浩之としては非常にげんなりする。どうせ目標にするならばもっと強い綾香や葵を狙えばいいものを、いや葵が狙われるのはかわいそうなので、綾香を狙えばいいものを、何せ綾香ならば寺町に狙われるぐらいまったく問題としないぐらい面の皮厚いしな、と浩之は声に出さずに考えて、その瞬間に綾香の拳が鳩尾に入っていた。回避とか防御とかまったく考えさせない、無音の一撃だった。

「ぐふっ……あ、綾香てめえ、何しやがるっ」

「な〜んか失礼なこと考えたでしょ、浩之?」

「い、いや、そんなわけないだろ……」

 声が震えていたのは、鳩尾を殴られたダメージなのか、心にやましいことがあったのか。

 浩之としては自分が寺町に狙われるのに非常に不満があるのだが、何も寺町だって意地悪をしているわけではない。というか寺町は他人のことなど関係ないので、意地悪という考え自体を思い付かない。

 寺町にとっては、戦って楽しめるかどうかが重要であり、その点でだけ考えると、綾香や葵は過剰過ぎるのだ。自分の実力が足りないばかりに、相手の全部を楽しめないのだ。寺町の感覚を言葉にすれば、もったいない、というやつなのだ。

 そして何よりも、寺町は浩之と戦いたかったのだ。一度自分が勝っている、とかそういうことは問題ではない。

 寺町は、浩之を非常に評価しているのだ。勝ち負けには正直まったく拘らない寺町にとってみれば、次に戦って勝つか負けるかなど大した興味もないことだが、それでももし戦ってどちらが勝つかと聞かれれば、わからない、と答えるだろう。

 北条鬼一すら目をつけた浩之に、寺町は非常に期待しているのだ。戦えば、実に楽しい戦いができる、と。

 それとはまったく反対に、絶対寺町とは戦いたくない、練習とすれば葵、もしそうでなくともランと戦いたい浩之は、坂下が持ってきたくじを、祈るような思いで引くのだった。

 

続く

 

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