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最強格闘王女伝説綾香

 

六章・休題(195)

 

「はい、大休憩。休憩が終わったら最後の練習だよ!」

 坂下の言葉を聞くやいなや、浩之はどうとその場に倒れ込んだ。浩之だけではない、部員のほぼ全員、丁度そのとき休憩に入っていた部員以外全員が、坂下の言葉を合図にするように、その場にへたり込んでいた。

 ただし、部員以外、この場合浩之を除いた綾香と葵だが、葵は荒い息を吐きながらも膝に手をついて、腰を下ろしていない。そして綾香はやはり息は荒いが、自分で飲み物を取りに歩いて練習場の端まで歩いていっている。この中では綾香が一番元気だろう。

 先ほどまでは疲れを知らないのでは、と思うほどに激しく動いていた寺町は、合図と同時に倒れて動かなくなっている。慌てて鉢尾がスポーツドリンクを持って走り寄っているが、どうも寺町の練習法はこんなのの繰り返しであるようで、他は誰も焦っていない。身体にはまったく良くなさそうではあるが、それを乗り越えれば強くなるのは間違いない。強制でなく自身で無茶をずっと続けられるというのは、並々ならぬ精神力がなくてはできないことだ。

 しかし、浩之の練習とて、寺町に劣るものではない。

 一分乱取りをしていた空手部員達が倒れるのは、まあわかる話だ。だが、三人で練習していた浩之達も、決して楽な練習をしていたわけではない。同じく一分組み手をしていたのだ。三人で。

 三人なのだから、一人休憩ができる、と考えるのは浅はかだ。先ほどまで三人で同時に組み手をしていたのだ。

 浩之達の練習は、それこそ非常識な、二対一組み手。

 一分ごとに二対一の組み合わせをかえて、ずっと組み手を続けていたのだ。二人の方は、相手の死角に入らない、というルールはあるものの、二人を相手にして、浩之はまったくどうしようもなかった。うまく片方が邪魔になるように動いたとしても、その程度ではどうしようもないぐらいに差が開くのだ。

 とは言え、これはあくまで予想外の方向から来る攻撃に対して対処を覚えるための練習であり、まして綾香も葵も、多人数で相手を攻めることを練習したこともないので、攻めの方がそこまで過酷なものではなかったが、それにしたって、実力差のある二人相手にどうにかできるわけもない。何せ、葵だって二人相手は無理なのだ。

 その中で、綾香は別に二人の動きが邪魔になるような位置取りをしたわけでもないのに、二人を捌ききって、一度など浩之から一本を取っているだから、怪物とは恐ろしい。

 まあ、練習のやり方はともかく、つまりこの練習の間、ほとんどまともな休憩がなかったのだ。浩之が倒れるのも致し方なかろう。

 それよりも、いくら二人になったときは楽だとは言っても、決して手を抜いていたわけではないこの練習を続けて、腰もつかない葵と、平気で歩くことのできる綾香がおかしいのだ。

 つうか、一体どうやったら綾香が疲れで動けなくなるような練習になるんだ?

 浩之がそう疑問に思うのももっともだろう。ちなみに、綾香の練習は数時間ぶっ続けで身体を動かすような無茶苦茶なものだ。組み手となれば、セバスチャンと何時間も真剣勝負をしていることもある。

 最強と言ってすら誇張ではない綾香だが、練習相手がいない、というのは実際切実な問題なのだ。葵と練習することも多いのも、綾香が葵をかっているのもあるが、葵の実力が綾香の練習相手としてはましな方である、というのも大きい。

 それを言うと、浩之と練習するのが、いかなる理由なのか。それを綾香自身すらわかっているのか怪しいし、まわりからは判断できない。

 そんな綾香にとって、この合宿が有意義なものであったかどうか、というのは浩之には口にできない。練習ではいつでも足を引っ張るのは浩之なのだから、大きなことが言えるわけもない。それでも、一人でやるよりはよほど練習になるのでは、と思うのも事実だ。

「ほら、葵、浩之」

 綾香は葵と浩之に飲み物を取って来てくれたようだった。浩之は、ぷるぷると震える手でそれを受け取るが、葵はしっかりしたもので、ありがとうございます、とちゃんとお礼を言っている。浩之だってお礼を言いたいのだが、声が出ないのだから仕方ない。

 適度に冷えたスポーツドリンクを、浩之は動かない身体でも、必死に飲み込む。練習で火照りを通り越して熱を持ちすぎている身体にとって、冷たい飲み物がどうとか言っている余裕はなかった。むしろ、体温を少しでも下げるために、身体を冷やすのことが必要な状況だ。

 水分取らずにずっと無酸素運動とか、実際けっこうしゃれにならないよなあ。実際、ちゃんと水分を補給したり熱を持ちすぎないようにするのは熱中症を避けるために必要な処置だ。特に日射病、熱中症などは高校生ぐらいが一番危険なのだ。

 それでも、そんな無茶がもってしまうあたり、そろそろ自分も一般人とは言いづらいのかも……と浩之は我が事ながらそら恐ろしくなる部分もあった。

「っぶはぁ、あー、生き返る」

 綾香が取って来たスポーツドリンクを一気に飲み干して一息ついた浩之だが、一息ついたぐらいでは、まだまだ身体が動く様子はない。とりあえず、寝っ転がっているのも邪魔なので、上半身だけでも持ち上げる。

「ありがと、綾香。あのまま放っておかれたらひからびるところだったぜ」

 冗談で言ったつもりだが、正直自分でも冗談にならないと思った浩之は、ぶるりと身を震わせる。

「にしても、綾香は余裕あるな」

「浩之がもうちょっとがんばれば余裕もなくなるんだろうけどね」

 葵はともかく、もう一人が浩之であることが、綾香に余裕を持たせている原因である、と言われて、言い返せる言葉を浩之は持っていなかった。それが事実だからだ。

「こんな変則的な練習じゃ仕方ないですよ。私もかなりきつかったですし」

 葵がフォローを入れる。葵も余裕があるというわけではないが、それはそれとして、組み手で攻められる方になった場合は、やはりかなりとまどっていた。試合勘、というものは綾香を別格としても、むしろ浩之の方が葵よりも上なのかもしれない。浩之が他人におっと思わせる動きをたまにするのに比べれば、葵は安定しているが、その分だけ読まれやすい。

 基礎を鍛えることはもちろん重要ではあるが、そういう勝負勘のようなものは、鍛えて簡単に鍛えられるものではない。何度も色々な経験をして、やっと伸びるものだ。もちろん、浩之のような天性のものもあるだろうが、いつもと違う練習は、何かしらの力になるだろう。いや、それを力にしなければならないのだ。

 綾香の考え出す練習方法は、一般的ではないが、確かに練習になる。それを身にすることができれば、浩之も葵も、まだ強くなれる。

 ただ、それと同時に綾香も強くなっている可能性がかなり高くもあるので、浩之としては非常に微妙な気持ちになる、とは言え、役に立つことは間違いない。

「私らも今日は午前中で練習終了よね?」

 ふと、綾香が練習以外のことについて話題を振ってきた。

「ああ、さすがにもう限界だから、正直遊べる体力が残ってるとは思わないけどな。で、後はどんな練習にするんだ?」

「ああ、それね」

 綾香は、くいっと部員にスポーツドリンクを配っている坂下を親指で指さす。

「最後は、あっちの練習に混ぜてもらおうと思うのよ」

 

続く

 

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