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現実同期(前編)

 

 何度となく繰り替えされる意味のない現実。

 そこにただいるだけの僕。

 そんな無駄な日々を、僕はすごしていた。

 

 祐介は、いつも通り一人で家に向かって歩いていた。

 どこにでもいる、単なる高校生。祐介は望む望まないに関わらず、そういう立場に いなくてはならなかった。

 いつも、このどうしようもなくうっとおしい現実から逃れたいと思っているのに、現実は ただただ無気力に現実を祐介に押し付けた。

 うっとおしい。

 この現実も、まわりを歩く人々も、僕自身も。

 祐介はいつも通り陰鬱な妄想を頭に浮かべた。

 急に目の前の女の子の頭が吹き飛んだら、どんなに楽しいだろう。

 パカーンッ、とか気持ちよい音を出してはじけとぶ。

 まわりのみんなは驚いて呆然とするんだけど端から同じように頭が吹き飛んでいくんだ。

 逃げようとするけどだめで、やっぱり頭が吹き飛んでいく。

 男も、女も、老人も、子供も、全部の頭が吹き飛ぶ。

「ふふふ」

 祐介は、自分の妄想に笑いをこぼしていた。想像するとそれがとても楽しかったのだ。

 と、その笑い声を聞いたのか、目の前を歩いていた女の子が振り返る。

 キッとした目で祐介を睨んだ。

「え……」

 その現実に祐介は途惑う。妄想では人が殺せても、現実では女の子に睨まれただけでどうしようも なくなる。

「なんやねん、この男は。人が気分悪いってのに笑いくさってからに!」

 突然、女の子はそんなことを大きな声で叫んだ。

 祐介は慌てるどころか、「え、え……」と反応もできなかった。

 おさげの眼鏡をした女の子だ。その女の子は、鋭い目で祐介を睨んでいた。

 祐介は助けを求めるようにまわりを見た。

 不思議なことに、誰も祐介達の方を見ていなかった。女の子はかなり大きな声をあげたのだから、 人の注目が集まってもよさそうなのに、誰も祐介達の方を見ていなかった。

 女の子は、何もなかったかのようにふんっと鼻をならしながらまた歩きだした。

 何だよ、単なるやつあたりか。

 祐介は、そう思った。やつあたりされたと自覚すると、すごく腹がたってきた。

 そして、祐介は女の子の後ろ姿を睨んだつもりだった。

 その女の子は振り返って祐介を睨んでいた。

「あ……」

 今度も、祐介は蛇に睨まれた蛙のように動けなかった。

「私にケンカうっとんのか、この男は!」

 今度ははっきり分かった。女の子の口は動いていなかった。それなのに、祐介にはその言葉が はっきりと聞こえてきた。

 こんなやつら、消えてなくなってまえ!

 何だ、妄想?

 その女の子は祐介を2,3秒睨んでいたが、すぐにまた歩きだした。

 妄想なのか、今の言葉は。

 祐介は、その女の子の後ろ姿をただぼうっと見ていた。

 

 保科は、今日も塾に向かっていた。

 最近、あまり成績がかんばしくない。このままでは目標の大学には行けれるか不安だ。

 神戸に帰る。こっちに来てからの保科の望みはそれだけだった。そのために、友達もつくらず、 毎日学校からすぐに塾に向かっていた。

 もっとも、別に暇があってもこちらで友達を作るつもりはなかった。

 保科はこちらの人間がどうも自分に合わないことは気付いていた。

 別に、それでもよかった。どうせ自分は大学になったら神戸に帰るつもりだから、こちらの人間と 肌があわなくてもそんなに問題にはならないと思っていた。

 にしても、腹がたつわあ。

 自分は少しも関わる気がないのに、何故か自分と関わろうとする人間がいる。保科はそれが 嫌だった。

 私にはわざわざ他人のために使ってやる時間なんてないねん。

 私は、どうしても神戸に戻りたいから。

「ふふふ」

 突然、後ろから笑い声が聞こえた。

 保科は妙に腹がたって後ろをふり向いて、キッと睨んだ。

 そこには、気の弱そうな学生が立っていた。

 なんやねん、この男は。人が気分悪いってのに笑いくさってからに!

 保科はやつあたり気味にその少年を睨んだ。

 睨まれた少年は、何故自分がにらまれているのか分からないのか、呆然としている。

 その少年のおどおどした態度に、保科は少し気がはれてフンッと鼻をならして振り返ってまた 歩きだした。

 ほんのニ、三歩歩いたとき、後ろから声が聞こえた。

「何だよ、単なるやつあたりか」

 さっき見た気の弱そうな少年のつぶやきだったのだろうが、保科にはそれが聞こえた。

 保科は、また後ろを振り返ってその少年を睨んだ。

 私にケンカうっとんのか、この男は!

 少年は睨まれると蛇に見据えられた蛙のようにかたまっていた。それでもすぐには保科の怒りは おさまらなかった。

 こんなやつら、消えてなくなってまえ!

 少し睨んでから、保科は少し気がはれたので少年を睨むのをやめて歩きだした。

 まったく、腹の立つ日やな。

 保科にとってはその少年の印象は残らず、すぐに頭から消えた。

 

 祐介は、家に帰ってからも、その次の日も、その不思議な体験が頭から抜けなかった。

 少女は、間違いなく口を動かしていなかった。それが自分の見間違いではないのは確信していた。

 現実が少しひび割れる音を、祐介は聞いた。

 もう一度、あの少女に会いたかった。

 確かに、僕にはあの彼女の声が聞こえていた。

 そして、彼女はこう言った。

 みんな、消えてなくなっちゃえ。

 それは、僕の思いと同じじゃないのか?

 同族の匂い、それに祐介は引かれていた。

 祐介は、学校が終ると早足で昨日少女に会った場所に向かった。

 

 そこは、人の多い単なる街角だった。

 保科は、いつも通り塾に向かって歩いていた。

「いた、彼女だ!」

 保科の耳に、そんな言葉が聞こえてきた。

「あの……」

 ふいに、一人の少年が自分に話しかけてきた。

 保科は、ナンパか何かと思って少年を無視した。

 しかし、少年は無視されてもおどおどしながら保科に話しかけてきた。

「ね、ねえ、君……」

 保科はうっとおしくなって、少し人が少ない路地まで来てからキッと少年を睨んだ。

「何よ、あんたは?」

「え、あ、あの……き、昨日、会ったよね?」

「昨日?」

 保科は自分の記憶をさぐった。

 気の弱そうな少年に、保科は少しも覚えがなかった。もとより、こんなうっとおしそうな男を 知り合いにもつ気はさらさらなかったが。

 うっとおしい?

 保科は、そこで自分の記憶に当てはまる人物を思い出した。

 ああ、あの、気ぃ弱そうな昨日の男かい。

 自分に睨まれてびくびくとしていた少年の顔と、今自分の前にいる少年の顔が一致した。

「今、君は昨日の気が弱そうな男かと思っただろう?」

「はあ?」

 急に、その少年は何か確信めいた表情で言った。

「何いうとんねん、あんた」

「間違いない、やっぱり間違いないんだ」

「何が間違いないって?」

 少年は何故かとてもうれしそうに笑った。

「やっぱり間違いないんだ!」

「だからあんた何?」

 何やねん、この危なそうな男は。

 保科は、その少年のどこか異常そうな気配を感じて、逃げようかなと思った。

「別に異常なんかじゃないよ、僕は」

 その少年は、まるで保科の心を読んでいるかのように言った。

「でも、特別かもしれない。僕も、君も」

「はあ? 宗教か何かかい、あんた」

 保科はその少年を思いきり胡散臭げな顔で見た。

「ごめんごめん、一瞬、自分がまいあがっちゃってね。僕は長瀬祐介、君は?」

 何や、結局ナンパやないの。

「だからナンパじゃないよ」

 祐介と名乗った少年は保科の表情からそれを読み取ったのかすぐにそう返す。

「僕は、君の今思ってることが聞こえる。君にも聞こえてるだろ、僕の言葉が」

 保科は、これ以上関わるのもアホらしいと思って少年に背を向けた。

「ふーん、これから塾なんだ、じゃああまり時間はないのかな?」

 自分が塾に行くなど一言も口にしていなかったので、保科は驚いて祐介と名乗った少年を見た。

「どうして分かるのかって顔してるね」

 保科は、見た。祐介の口は動いていなかった。なのに、自分には祐介の声が聞こえていた。

 

「ほんとに何やの、あんた」

 彼女は、もう無視する気はないようだった。

 僕の口が動いてないのに気がついたんだね。

「腹話術か何か?」

「違うよ、だって、君が思ってることも僕には聞こえる」

 祐介は、一応そう口にしてみた。二人の間では、言葉を出すという行為は無価値に思えもしたが。

「君の名前は?」

 保科智子という単語が、祐介の頭に流れこんでくる。

「ふーん、保科さんか」

「な、私の名前何で知っとんねん」

 保科さんが教えてくれたんだよ。君が名前を頭に浮かべたから、僕には聞こえた。

「……ストーカーってやつ?」

「保科さん、あきらめて認めちゃいなよ。僕の心が見えるように、保科さんの心も僕には見える んだから」

「ほんとに、聞こえてる?」

 保科さんは無言を保ったつもりだろうが、祐介には声が聞こえていた。

 だから聞こえるんだ、僕には。何なら、意味のない数字を思い浮かべてもらってもいい。

 祐介の頭で考えた言葉に、保科は反応していた。

「235467」

「235467」

 保科が頭でつぶやいたことを祐介は口で言った。

「……」

「他に、してもらいたいことがあるかい?」

「まさか、ほんまに……」

「そう、そのまさかだよ。僕には、君の声が聞こえるし、君にも僕の声が聞こえる」

 保科には、にわかに信じられないことが起きようとしていた。

 でも、心が聞こえる祐介にはわかった。

 保科が、驚きながらも、心のどこかでそれを望んでいることを。

 

「は、何言うかと思えば」

 保科は、祐介を鼻で笑った。

「どういうトリック使ってるか知らんけど、ナンパするんならもっとストレートにするんやな」

 保科は、祐介に背を向けた。

「信じてるくせに、何を信じないふりをしてるんだい?」

 祐介の言葉に、ピクッと保科は反応する。

 が、そのまま保科は祐介に背を向けて歩いていこうとしていた。

「君も分かってるんだろ? 僕には君の心が見えるんだ。君が、こんな非現実的なことを本当は 望んでるのを知ってるんだよ、僕は」

 聞こえてきたんだ、君の、「消えてなくなれ」という言葉が。

 だって、僕も、同じように考えていたから。

「何いっとんの、私はそんなこと考えてへん!」

 大きな声に、まわりの人間が振り向く。保科は逃げるようにそこからとおざかっていった。

 いくら逃げたって無駄さ。

「知らん知らん、あんなキ○ガイの言うことなんて聞こえへん!」

「でも、聞こえとる。ほんまに聞こえとる!」

 距離が離れると、まるで普通に会話しているように声は遠くなっていく。

 でも、確かに彼女には聞こえていたろう。

 無駄だよ。

 僕達は、無意味な現実を突き破ったんだ。

 その声は、保科に届いたのかどうか祐介は知らなかった。

 保科の声が聞こえなくなってから、そこから歩きだした。

 何かを満たされた、しかし、ねっとりした笑い顔で。

続く

 

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