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いちぬけた・後編

 

 勇気って、けっこう簡単なものだったんだ。

 私はヒロを受け入れなかったことを、淡々と考えていた。

 もう何時になったのだろう、まだ外は暗いから5時にはなってないだろう。

 私は、自分には全然勇気がないと思ってた。

 でも、けっこう平気だった。ヒロをふることは、すごく簡単だった。

 あれからどうやって家に帰ったのか覚えていないけど、ささいなことだ。

 涙は、これっぽっちも出てこなかった。

 こんなときに、ドラマとかだったら女の子は一人大きな声をあげて泣くものだが、そうでもないらしい。

 悲しい……のかさえいまいち分からない。

 ただ、ぼうっとして頭がうごいてくれないだけだ。

 明日から、ヒロとどういう表情で話をしたらいいのか分からない。

 ヒロとどうやって憎まれ口をたたいていいのか分からない。

 それよりも、ヒロは私と口をきくのかな?

 それは、多分大丈夫、ヒロはあかりにだけは気付かれないようにするはずだから。

 まあ、ギクシャクしてたらあかりにはすぐばれてしまうだろ。だから、いつもと変わらない態度を取るはず。

 いつもと変わらない、なんだ、かわらないんじゃん。

 私が別にどうこう思うところなんてないんだ。かわらないんだから。

 そう思えばゆっくり眠れる。

 私は目をつむった。

 眠れなんかしなかったけど。

 

「おっはよー、あかり」

 私はあかりに声をかけた。

「おはよう、志保」

「あれ、ヒロは?」

「え、うん、今日はもう家にいなかったよ」

「へー、あいつがあかりに起こされない日もあるんだ。これは今日はやりがふるわね」

「そんなことないよ、けっこう浩之ちゃんしっかりしてるから」

 今日のあかりは、何かつかれてるようだった。

「どったの、あかり。今日は元気ないみたいだけど。夫に置いていかれて気分ブルー?」

「そんなんじゃないけど……」

 あかりは、苦笑ぎみに笑った。

「まったく、あのヒロは。私が明日からもっと遅く起きるようにあいつに言っとくわ」

「志保、それじゃ本末転倒だよ」

 あかりはいつもの笑顔に少しだけ戻った。

 こうやって、私が「ぬけて」いれば、あかりは笑っていられるはずだ。今も笑ってるんだから。

 私は、きめたのだ。私は変わらぬまま私でいるって。

 

 まだホームルームまで時間があったので、あかりの教室について教室に入ると、ヒロが席について 雅史とおしゃべりをしていた。

 ゴクンッ

 私はつばを飲みこんだ。ここで、私の力が試されるときなのだ。私は、普通にしていなければならない。

「こらー、ヒロ。何あかり置いていってんのよ、この恩知らずがぁー!」

 よし、第一声はうまくいった。

「それでなあ、雅史。」

「あ、志保、あかりちゃん、おはよう」

 雅史は私とあかりの姿を見つけて挨拶をしてきた。

「おはよう、浩之ちゃん、雅史ちゃん」

「おう、あかり。今日は遅かったな」

「浩之ちゃんが早いんだよ」

「こらー、私を無視するなー!」

 私の声に反応して、ヒロがゆっくりとこちらを向く。

 私の心臓はドキドキしていた。次のヒロの言葉が、私の全てをきめる。

「朝っぱらからうるせえな、志保。ちったあ静かにしろ」

 私の胸に、痛みが、とても大きな痛みが走り、私は我を忘れそうだった。

「朝からこの志保ちゃんの美声を聞けるんだから感謝してほしいわ」

「け、何が美声だ。猿でも逃げるぜ」

「言ったわね〜、このくされとんちきがー!」

「朝から2人とも元気いいね」

 雅史がいつものように笑顔のまま私達の言い争いを見ている。あかりはというと、苦笑しながも いつが止め時か計っているようだ。

 そう、私と、ヒロと、あかりと、雅史。この四人は、こうでなくっちゃいけない。

 でも、やっぱり、ヒロの言葉はきつくて、それでいてやさしくて、私の心を傷つけた。

 それでも、このままがよかった。私は、このままが好きだった。

 だから私は、いちぬけたのだ。

 『変化』という遊びから、一番に。

 

 私は授業の大半を寝てすごし、有意義な一日を過ごした。

 ここからはもっと有意義な放課後が待っている。

 さてと、今日は何をして遊ぼうか。

 教室の扉があいて、珍しくあかりが私の教室に入ってきた。

「あれ、あかり。私のクラスにくるなんて珍しいわね」

「うん、ねえ、志保。一緒に帰ろう」

「うん、別にいいけど」

 あかりのお誘いとは珍しい。途中であったならまだしも、あかりが呼びに来るとは。

 私はあかりと学校を出た。

「でも、どったの? どっかついていってほしいの?」

 あかりが私をさそうということは、ショッピングか何かをするのではと思っていた。

「うん、ちょっと、いい?」

「ん、別にかまわないけど」

 私はあかりにつれられるまま公園に入っていった。

「何、今日は公園で大道芸でもやってるの?」

「大道芸は公園なんかじゃやらないよ、志保」

「ま、それもそうか」

 あかりは公園にある適当なベンチにこしかけた。

「何、何かここであるの?」

「……志保、ちょっとお話したいんだけど、いい?」

「え……」

 たぶん、そうだろうと思ってた。だって、あかりって今日は変だったから。

「い、いや……てわけにもいかないわよね」

「うん……志保には、聞いておきたいから」

 私は仕方ないので観念してあかりの横に座った。

「で、話って何、あかり?」

「う、うん……」

 あかりは、しばらく迷っていたようだったけど、決心したように言った。

「浩之ちゃんのこと……」

「ヒロがどうかした?」

「……志保、ずるいよ。何で、そんな知らないふりするの?」

「……」

 私は、それだけでもう何も言えなくなってしまった。あのあかりが人を責めている、それほど、 あかりはせっぱつまっているんだ、それが私にも痛いほど分かった。

 それでも、私はしらをきりとおさなくちゃいけない、私は「ぬけた」のだから。

「……何の、こと?」

「浩之ちゃん、昨日夜、私に電話かけてきたの」

「へえー、それで?」

「全部……」

 あかりは、ぐっと歯をくいしばった。

「……全部、教えてくれたの。今まで、私の気持ちに答えなかった理由とか、昨日あったこととか」

 何で……。

「何であいつそんなことあかりに教えるのよ。あいつだって今の関係が壊れるの恐がってたじゃない!」

「ちがうよ、志保」

「え?」

 あかりは、すごくやさしそうに笑った。私には、あんな笑い方はできない、そう思った。

「浩之ちゃん、やさしすぎるから、今まで言えなかったんだよ。浩之ちゃん、本当は早くはっきりさせたかったのに、 私のことや、志保のこと考えて、今までだまってたの」

「だって……そんなの、だって、あいつ、結局あかりのこと考えなかったじゃない!」

「……」

「何よ、やさしいやつはあかりに矢島紹介すんの!?」

「……志保なら、どうしてた?」

「私なら……」

 私なら、紹介した。だって、答えられないんだもん、どうやったって。

「そんなことするわけないじゃない!」

 それでも、あかりは、あかりだけは傷ついちゃだめ。私や、ヒロが傷ついても。

「浩之ちゃん、明日だけでいいから、朝ついてこないでくれって言ったんだ。だから、私ついて いかなかったよ。すごくさびしかったけど、仕方ない……」

「どこが仕方ないのよ!」

 私は叫んだ。

「どこが仕方ないのよ、ヒロは、あかりのものよ、私がそうきめたの。ヒロは、あかり以外と つきあっちゃだめなの!」

「志保……」

「私は、ヒロがあかり以外と付き合うのは許せないのよ。でも、それ以上にあかりには幸せに なってほしいのよ。私はいいから、あかりが……」

「だから、俺はどうなるんだよ」

 何で、何でここに来るの。あんたは、ここにきちゃだめなのに。

 聞こえてきたのは、すごく聞きたかった声。悲しいほど欲した声。

「ごめんね、志保。私が浩之ちゃんを呼んだの」

「あかり、何で……」

 何で、あかりも、ヒロも、変わる方を選ぶの。その遊びを続けるの。

「俺は、あかりには悪いが、志保が好きだ」

 ヒロはこのあかりの悲痛の表情が見えてないの? そんなはずないのに。

「あんたはだまってなさいよ!」

「これがだまってられるか!」

「それでもだまってなさいよ、これは私とあかりの問題よ!」

「やめて、志保!」

 あかりが、叫んだ。

 ……あかりが?

 ……あかりが、叫んだ!?

「あかり……?」

「もういいの、志保。もういいの」

 全然よくない顔をして、あかりは泣きながら言った。

「志保の気持ち、もちろんうれしいよ。でも、浩之ちゃんにも、私、幸せになって欲しいの」

「だったらあかりがさせてやれば……」

「ううん」

 あかりははっきりと首をふった。自分の意思表示がすごく少ない子なのに。

「浩之ちゃんが選んだ女の子に、私文句つけれないよ」

「ちょっと、ちょっと待ってよ。あかりが、あかりがヒロと一緒じゃなかったら……」

 私は、どうすればいいのだろう。この「変化」という遊びに、もう一度足を踏み入れるべきなのか。

「志保」

 ヒロの声が、私の耳に入ったが、私は無視するより他に手がなかった。

 今、少しでも答えたら、きっとヒロの方に私は駆けこんでしまう。

「昨日聞いてなかったな。お前の、好きなやつは誰だ?」

 知ってる。

 私には、勇気なんてなかった。だって、それを言葉に出してそれでも我慢できる勇気なんて、 私にはこれっぽっちもなかったから。

 だから、ここで嘘をつけばいい。

 ここで、嘘をつけば、私は「ぬけた」ままでいられる。

「私はヒロのことなんか……」

「志保……」

 私は、ヒロの言葉だけじゃあ、動かなかった。

「志保」

 まっすぐ、あかりの目がまっすぐ私を見ていた。やさしくて、それでいて強くて、全てを包みこむ あかりの目が、今はまっすぐに、その決心を秘めて私を見据えていた。

 ……それでも。

 まだ、まだ私は嘘がつける。あかりにだって、看破できないような嘘が。

「俺は志保が好きだ。お前がどう言おうとな。でも……」

 いつも、ヒロの言葉はきつくて、それでいてやさしくて、そしていつも、これからも多分ずっと、 私を傷つける。

「お前を嫌いになりそうだ」

 この嘘つきが。私に、そんな簡単な嘘が見ぬけないとでも思ってるの?

「いや、嫌いにならないで!」

 いやだ、ヒロには嫌われたくない。あかりを傷つけるのは嫌。でも、ヒロには嫌われたくない。

「お願い、嫌いにならないで!」

 ヒロが私のことを嫌いになんてならない。あかりのことを嫌いにならないと同じように。

 でも、私は傷つけられて、叫んでいた。

「ヒロのこと好きなの、こんなにも好きなの、嫌われたくないの!」

 あかりが見ているにもかかわらず、私はヒロに抱きついた。

「お願い……」

「……悪かった、志保。誰も、お前を嫌いになったりしない、俺も、あかりも」

 あかり!

 私はその名前に反応して、バッとヒロから離れた。

「あ、あかり、これは……」

「いいんだよ、私、そのつもりで志保をここに呼んだんだから」

 あかりは、さびしそうに微笑んでいた。

 痛くて、痛くてしょうがなかった。あかりが悲しむのが、一番私には答えた。

「これは反則だと思っていわなかったんだけど……」

 あかりは、まじめな顔で言った。

「ゆずるだけがやさしさじゃないよ。私、志保に浩之ちゃんをゆずられたら、多分傷ついてた」

「……今だって、十分傷ついてるじゃない」

「それは、どうしようもないよ。私だって、浩之ちゃんのこと好きだから」

 それだけいうと、あかりは背を向けた。

「あかり!」

「今だけだから、今だけだから言わせて。私、浩之ちゃんのこと好きだよ。でも、志保のことも好き だから、私、どっちにも幸せになって欲しいな」

 あかりは、走ってその場からさっていった。

 私は、あかりを追いかけたかった。もう、どうしようもないのに、私が追いかけたって何が変わる わけでもないのに、それでも自分の痛みにたえきれなくて。

 それを止めたのは、ヒロだった。

「……何で、追かけさせてくれないの?」

「お前が痛みを解消させるのはあかりに対してじゃない、俺に対してだ」

「何、いうのよ。あんたが、今回の元凶でしょ」

「ああ、そうだな」

「だから、その手を放して」

「いやだ」

「どうしても?」

「一生お前を放したくない、志保」

「……」

 ここまで来ても、私はまだ迷っていた。あかりを傷つけて得る幸せに、どれでけの価値があるというのだ。

 そして、私は「ぬけた」のではないのか。

「いちぬけた……のよ、私は」

「無理だ」

 ヒロは、全部見透かしたように。

「無理だ。お前は、いつも最後まで遊んでるだろ。途中でぬけるなんて、できないさ」

「わかってるわよ、自分でもそれぐらい」

 だめ、それでも、あかりを裏切るなんて……

「裏切られたのはどっちなのかな?」

「え?」

「あかりの気持ちをうらぎったのは、お前か? それとも俺か?」

「……多分、私」

 あかりはあそこまで思って、あそこまで覚悟してヒロを私にゆずろうとした。でも、私はそれを 今も裏切りたい。

 あかりが苦しむのを見るのが、私は苦しかったから。

「ヒロは、あかりを裏切ってないわ。あかりが思った通り、自分で好きな人を選んだんでしょ」

 裏切るとか、そういうのじゃない。

 ただ、悲しむ姿が見たくなかっただけ。

 私が苦しくなるから。

「そう、俺は俺で選んだ。だから、志保は志保が選べばいい。好きなやつを」

「そう、じゃあ、選ばせてもらうわ」

 ヒロは分かって言っているの? 私は、それでもヒロをあかりに譲り渡すことだってできるのよ。

「ヒロが好き。もうだめ。もう、我慢できない。」

 私はヒロに抱きついた。

「やっぱり、私、いちぬけたなんてできない。私、ヒロが好きなの!」

「俺も、志保のことが好きだ」

 痛みが、心中を痛みが走る。あかりを悲しませてる、その思いが、私に痛みを覚えさせる。

 でも、だからこそ。

「ヒロ、好きよ」

 ヒロは、私の瞳を見た。私は、ぎこちなく瞳を閉じると、上を向いた。

 きっと、ずっとこの痛みは私を苦しめるだろう。

 きっと、ヒロの「好きだ」という言葉は、これからも私には痛いだろう。

 でも、選んでしまった。私はそれを。

 後悔を、ずっとしていくとしても、選んでしまった。

 やっぱり、初めてのキスはぎこちなかった。

 これからも、私はきっといちぬけたなんて言えないだろう。

「愛してる、志保」

 ヒロの言葉は、きつくて、それでいてやさしくて、いつも私の心を傷つける。

 

 終り

 

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