世界は概ね、二つで出来ている。
やっかいなものと、もう一つはもっとやっかいなものだ。
**********
「不幸自慢をするわけじゃないけど」
樹に語りかけるように独り言を言いながら、僕は大きくため息をついた。
「僕って、不幸だ」
力尽きたように、樹の幹にもたれかかって、そのまま腰を下ろす。
制服が汚れるのは大して気にならない。どうせ、もう二度と着ることもないのだ。多少汚れたところで、困らない。
春もうららか、真っ青に澄み切った青い空を見上げて、僕はぼうっと惚けていた。
卒業式も無事終わり、しかも、首席卒業という、学業の結果としてはこれ以上ないものを達成したにも関わらず、僕の気持ちは晴れない。
卒業を泣いて、いや、泣かないまでも、喜んでくれるような家族もいない。こちらは完全に泣いて、別れを惜しんでくれるような友達も、恋人もいない。
そこまでなら、僕には慣れたものだ。寂しいと思わないでもないが、家族がいないのはどうしようもないし、そこまでの友人や恋人がいないのは、僕の行いの所為だ。もっとも、友人の方は、そういうタイプではない、というだけなのだけど。
でも、そんなものは、問題にならないほどに、僕は心を痛めていた。
明日から、どう生きて行こう。
はっきり言うと、明日からの僕は、無職なのだ。現代風に言うとプータローだ。いや、本当に現代風なのか知らないけど。
学長が後見人らしきことをしてくれているので、すぐどうこうなることはないものの、今までの学費だって、結局は借金という形で僕にのしかかってくる。
この上、金をかせぐ術がないというのは、人生においては、かなり負けているのではないだろうか?
僕が目指していた、退魔協会からのお誘いは、まったくない。
でも、もう僕には、恥を忍んで面接を受けに行く勇気はない。それぐらいなら、卒業試験での痴態が伝わっていない花屋に就職した方がましだ。
「花屋かあ。それしかないのかなあ…」
解花に関しては、こう見えても自信がある。
小さな、まだ解花されていない雑草を見つけて、僕は、何の気なしに、その茎を、親指ではじきながら、呪文を唱える。それだけの行為で、魔法式が僕の頭の中に構築される。
「『
ぴんっ、と軽くはじいた茎についた花が、ふわり、と解花する。
僕の霊力は、同級生の中でも下の方だ。それを何とか、研究した呪文で、一言で解花まで持って行くことが出来る。自慢ではないけれど、同級生の中で、これ以上うまく解花できる人間なんて、十人にも満たない。
でも、これぐらいでは、退魔士になるには、全然実力が足りないのだろうけど。
「この魔法も、役立たず、か」
役立たず。まさに、今の僕のためにあるような言葉だ。
どこまでも沈む僕の気持ち。突然声をかけられたのは、そんなときだった。
「そんなことは、ない」
僕はあわてて花から顔を上げた。
正直、僕は警戒していたのだ。その理由が、こんな人気のない場所にいるのを、光に見つかれば、ただでは済まないと思っていたからというのが、冴えないのだけど。
でも、その人は、気配どころか、音もなく、僕の前に立っていた。
僕は、顔を上げた瞬間から、目の前に静かに立つ、その長身の女性に、目を奪われた。
ぞろりと無造作に切りそろえられた銀の髪の先は、針のように鋭い。
底冷えするように半眼の中に怪しく光る、黒赤色のルビーの瞳には、感情は浮き上がって来ない。
中性的なその顔は、モンゴロイドとは思えないほどはっきりと陰影がつく。しかし、えぐさのようなものはなく、完璧な造形を誇る。
白いニットのシャツと、スリットデニムを着込んだ、モデルのようなすらっとした長身。だが、痩せているというには、その胸やお尻には丸みが強すぎる。
僕が立ち上がったとしても、見上げるような長身。見たところ、百八十センチはあるのではないだろうか。モデルと表現したのも、あながち間違いではないのかもしれない。
歳のころは、おそらくは二十代中盤。
……誰?
結局、その人の綺麗な姿に心を奪われたにも関わらず、僕が考えたのは、しごくまともな疑問だった。
外見年齢から見て、同級生や、下級生でないのは確かだろうし、教師でも、こんなに目立つ人を見過ごす訳はない。
美女、美少女ぞろい、と噂される東法でも、これほどの美形は見たことがない。
かわいいかわいいと、嫌になるほど言われた僕だが、その人の容姿は、僕のような凡人のレベルでは、比較にもならない。
その人は、ハスキーだが、どこかはかなげな声で、僕に話しかけて来た。
「呪文一つで解花。それなりの腕があるようだ」
「え…あ、ありがとうございます」
一応、頭は下げておく。
この人は誰だろうか? 誰かの親にしては、少々歳が若いようにも見えるが、姉や、親類と言えば、別段不思議な歳でもない。
しかし、そうではない、と僕は言い切れる。
目の前にいる女性は、人間ではなく、そして、卒業生には、人間以外はいないからだ。
まあ、それは別に大したことではないんだけど。
「君が、
話しかけられただけで、胸が高鳴る。そんな、不思議な女性だ。
「は、はい。そうですけど」
その綺麗な女性が、自分の名前を知っているのに、少々驚いた。
が、そこから導き出された答えに、さっきまで舞い上がっていた気持ちが、一気に消沈した。ついでに真逆さまになって落ちていった。
卒業試験を、女装で行ったというのは、僕の名前を有名にするのに一役かっていた。これで、結果が大したことがないのなら、まだ学生の冗談で済んだだろうに。
東法の歴代最高の結果を残した生徒は、女装趣味。
もちろん、僕だってやりたくてそんなことをしたわけじゃない。できることなら、絶対にしたくなかったのだ。趣味などと言われるのは、心外にもほどがある話だ。
彼女が僕の名前を知っているのも、その関係なのは、予想に難くない。
「私は、
「御瀬…真一…まいちっ!?」
僕は、理由や自分の落ち込みもそっちのけで、慌てて立ち上がった。
そう言えば…確かに、この人は…
霊儀系情報雑誌「月霊退魔」の表紙を飾ることも多々ある人物なのだから、一目見ただけで気付いても良さそうなものだが、名前を言われるまで、少しも思いつかなかった。
半官半民の退魔協会、その数は、七つ。その中では、勢力としては弱い部類に入る、秋弓霊儀事務所。
しかし、勢力は弱いとは言え、それは抱える退魔士の数の問題だ。
変わり者ぞろいの退魔士の中でも、特に変わった、そのかわり強い力を持つ者が、多数在籍する、いわば退魔協会という異能者集団の中の、異能者集団。
その異能者集団、秋弓霊儀事務所の、雇われ社長。
『
スーパーモデル並の容姿と長身を誇り、雑誌の表紙を何度も飾ることからみても分かるように、かなりの有名人だ。
だけど、問題はそこじゃない。
退魔士という特殊な職業の中でも、さらに変わった者が多数集まる秋弓霊儀事務所の上に立つのに必要なのは、人徳とか容姿とか、そういうものではなく、単純に、強さ。
御瀬真一と言えば、どんな退魔士も道を譲り、どんな悪霊も消滅を願う、と言われる、日本の誇る、最高峰の退魔士の一人だ。
そして、日本人で唯一、大霊指定をうける人物でもある。
そんな、霊儀界の強者を前にすれば、戸惑うのは当然。いや、そもそも、僕に話しかけてくる理由が、まったくわからなかった。
偽物、ではないと思う。
雑誌の顔そっくり、いや、雑誌で見るよりもはるかに綺麗な人だし、この長身で、この美貌の偽物を捜してくる方が大変だろう。何より、偽物を僕の前に用意する意味がまったくない。
この人が、大霊指定人物…
言わば、大災害と同じ、と見なされているわけだ。
確かに、ただ立っているだけなのに、怖いとさえ思う。
よく感じてみれば、御瀬さんから放たれる気配というものは、穏やかなものであるのだが、しかし、僕も、仮にも退魔士を目指していたのだから、御瀬さんの霊力の強さは、肌で感じることができた。
でも、大霊指定と言われるから、もっと怖い人を想像していた、いや、人では計り知れない、そう、まるで怪物のような人と考えていたのだけれど。
でも、今目の前にいる女性は、無表情でありこそすれ、悪意もない。霊力は、さすがに物凄いと思うけれど、あまり怖くはないかも。
「あ、あの、御瀬さんということは…秋弓霊儀事務所の、社長の?」
一応、確認を取ってみる。これほどの霊力だから、間違い様はないと思うのだけど。
「そう、雇われ社長」
何でもない、という感じで、彼女は答える。
「真一」
「え?」
「呼び方は、真一の方がいい」
「あ、はい、真一…さん」
僕が言い直すと、彼女、真一さんは、満足そうに鼻をならしたように見えた。もっとも、表情はまったく浮かんでこないので、僕の気のせいなのだろうけど。
「それで、僕に、何か」
真一さんは、無言でジーンズのポケットに手を入れると煙草の箱と百円ライターを取り出す。
煙草の銘柄は「
スーパーモデルのような外見なのに、軽い煙草と百円ライターという安っぽさが、非常にミスマッチな光景だ。
真一さんは、一本を取り出して、口にくわえた。
「あの、東法内は、禁煙ですよ」
「大丈夫、別に、吸うわけじゃない」
そう言うと、真一は、何を思ったのか、さらにもう一本、煙草を口にくわえる。
一体、何をしようとしているのか、僕にはさっぱりだったが、真一さんは気にした様子もなく、口に挟んだ煙草の一本を、指でつまむ。
煙草の吸い口に、薄く赤い口紅の跡が残る。少し、色っぽい。
そんなことに気を取られたからではないけれど、僕は、次の言葉の意味をすぐには理解できなかった。
「これ以上、柔らかいもの、持ってないから」
「は?」
何か、物凄く不穏な発言だったような気がしたのだが。
僕の戸惑いの声を無視して、真一さんは、煙草を手にした腕を、振り上げた。そして、僕をその赤黒い瞳で見つめる。
「あ、あの…?」
真っ直ぐな子供のような瞳で見つめられ、僕は戸惑った。今、自分が何をすべきかのか、選択肢も出なければ、もちろん、誰も教えてくれはしなかった。
「行く、から」
それは必要最低限のことさえ満たしていない、合図だった。
「
真一さんが、自分の名前を口にすると同時に、ごくわずかではあるが、その手から霊力が漏れる。
その後は、どうしてそういう行動に移ったのか、僕自身よく説明できない。
しかし、とにもかくにも、僕はとっさに、杖もない腕を前に突き出し、呪文を叫んでいた。
「『
姫を捕え、眠らせるいばらの物語の呪文は、いばらに覆われた蔦を一瞬で召喚、さらに育成させる。
召喚されたいばらと蔦は、真一さんと僕との間に、視界を遮るように伸びる。そのまま、蔦は僕と真一さんの間で壁となった。
と同時、それを待っていたかのように、真一さんは、声高らかに、吼えた。
「…
カァーンッ!!
有り得ない金属を貫くような音と、どうしてなのか閃光を伴って、何かが、いばらと蔦を、ごっそりと削り取っていた。
「なっ!?」
あまりのことに、僕の頭は停止していた。
それでも、生存本能とでも言おうか、とっさに魔法を使ったのは、この場合、自分でもよくやったと言える。
でも、真一さんは、当たり前なのだけど、僕を褒める訳もなく、さらに口にくわえていたもう一本の煙草を指でつまんだ。
一本目の煙草がなくなっている。
まさか…
煙草と、やわらかい、という言葉が、僕の頭の中で形をなした。
この状況を整理すると、つまり真一さんは、煙草で僕の召喚した茨の蔦の障壁を、吹き飛ばしたってことになる。
………………………。
「…冗談じゃない!」
「恐怖! 煙草で壁を破壊する大霊指定人物!!」、という三流記事も裸足で逃げ出しそうないかがわしいテロップが、画面には映っていることだろう。
「『
現実逃避しながらも、自分の魔法の媒体、「One Of The Witch」を呼び出す。気休めでしかないけど、今の状況では、杖にもすがりたい状況なのだ。
そのまま、わけもわからず、自分の防御の魔法の中から、すぐに唱えるべきものを選び出し、早口で唱え出す。
とりあえず、考えるのは後回し。今は、命が大事だ。
「地震や台風やオオカミが来ても安全。ワラや木造では味わえない安心感をどうぞ!」
あせりが、呪文の語尻をあげるけど、本当に余裕などない。
「『
地面が、ぼこりと盛り上がって、みるみるレンガ造りの壁が、真一さんを僕の視界から消す。
真一さんは、視界から消える前に、腕を振り上げていた。まさに、ギリギリ。
「
カカーンッ!
またも金属を貫くような音が響き、今度は、ドウンッ、とレンガの壁を大きく揺らしていた。とっさに目を閉じた僕が目を開けると、レンガの壁は、壊れはしなかったものの、全体に大きなヒビが入っていた。
よかった、止められた。そう僕が安心したのもつかの間。
カシュッ
それは、ほんの小さな音だった。
その音自体は、何も珍しいものではなかったけど、僕は背筋に、ぞくりと冷たいものを感じた。
もう、魔法を使おうとさえせずに、身体を地面に投げ出すようにして、身をかがめた。
制服が汚れるなど、もとから気にしていなかったし、もし気にしていたとしても、かまっていられない。理由はどうあれ、それだけは間違いない、嫌な確信があった。
バカンッ!!
その謎の一撃で、すでにぼろぼろだったレンガの壁は、木っ端微塵に吹き飛ばされた。パラパラと、レンガの破片が身を伏せた僕の上に降りかかる。
顔をあげた僕が見たのは、火のついた百円ライターを手にした真一さん。顔は、当然だが笑っていない。
「ち、ちょっと、いきなり何するんですか!」
僕は、倒れたまま、真一さんから距離を取る。
目の前で、ここまでの破壊力を見せられては、理由はどうであれ、逃げるというのが一番正しい選択肢だ。
いかに僕の霊力が大したことがなくとも、ちゃんと研究したオリジナルの魔法ならば、それなりの強度を持つはずなのだ。それが、ほとんど予備動作も、詠唱などの儀式も必要もなく、一、二発であっさりと壊されるとは、思ってもいなかった。
それは、社会に出てまで通用するレベルだなんて、僕も思ってなかったけど、これは、あまりにも一方的だ。いや、おかしい。この人、絶対おかしいよ。
「ちゃんと理由を説明、じゃなくて、理由があっても、いきなりこんなことしないで下さい!」
僕の抗議が聞こえていないのか、倒れている僕にとどめを刺すつもりなのか、真一さんは、残ったレンガの上を、ひょい、と飛び越えて、近づいてくる。
その動きが無造作なほど、底から伝わってくる恐怖は、大きい。
前言撤回。この人、滅茶苦茶怖い。
しかし、近づいて来た真一さんは、まったく悪びれた様子もなければ、開き直っている様子もない。言わば、自然体だった。
「できるだけ、手加減したつもり」
「手加減って…してなかったら死んでますよ!」
あの威力から言って、自分がとっさに魔法を使っていなければ、絶対に即死だ。それよりも何よりも、できるだけの手加減をして、この威力というのは、あまりにもおかしい。
僕は、理由とかそういうものをこれ以上言及する気にはなれなかった。
というか、係わり合いになりたくない、切にそう願った。
しかし、僕のそんな気持ちに気付かないのか、真一さんは、冷たいなりに、しかし悪意というものが見えない赤黒い瞳で、僕を見つめた。
「でも、生きてる」
「それは、そうですけど…いや、そういうことではなくて」
あくまでペースを崩さない真一さんに引きずられそうになる、けど、ここで流されていいことなど絶対ないと言い切れる。
「ですから、何でこんな…」
って、思い切り引きずられて理由聞いてるし。
「試したの。一応、及第点」
「え?」
やっと話が進みそうになった瞬間に、いきなり。
「ちょぉぉぉっとーぅぅぅぅっ!!」
と、バカに大きな声を張り上げて、土煙を上げながら走り込む影が、僕の視界に写った。
やばい、今度こそ本物だ、と本能が危険を察知して、立ち上がろうとしたけれど、その災厄の動きは、常軌を逸していた。
百メートル五秒フラットで走りぬけって、おいおいおい。
倒れ込んだ僕の上に、覆い被さると、がしっ、と強い力で肩を掴む。真一さんから僕の身体を守る、というよりは、僕が立ち上がるのを邪魔しているようにしか見えなかった。
いや、冗談ではなくて、本当に捕まってしまった。
当の災厄は、捕まえた僕には目もくれず、真一さんを睨み付ける。
目の前には、真一さんと、僕の召喚した蔦やレンガの破壊された跡。おまけに、派手な破壊音となれば、何があったのか、想像に難くないだろう。
そこに尻餅をついていた僕の姿があれば、まあ十人中十人、僕が襲われていると思うのではないだろうか?
ちゃんと?襲われていたのは確かだし。
「何よ、あんたはっ!」
僕の上に覆い被さる、またはここぞとばかりに襲っている、その少女は、つり目をさらにつり上げ、反抗的なと表現できるポニーテールを最大限に揺らしながら怒鳴った。
「優をいじめていいのは、私だけよ!」
マイペースだった真一さんも、敵意満々で目の前に出られたのでは、さすがに邪魔なのか、彼女のことを見ている。
「どいて」
端的な言葉には、感情も入っていなかったし、大して強制力のある命令にも聞こえなかったのだが、その一言が、僕を捕まえている彼女の中の何かを、大いにキレさせた。
「黙れ、このお☆○△□!!」
伏せ字にしてすら青少年に悪影響を及ぼしそうな言葉を吐き捨てながら、彼女、神上光は、いきり立った。
そして、光は口喧嘩をするぐらいならば、実力行使をする、有り得て欲しくないほどの非常識人だった。
まるで舞台に立っているかのように、大きく、高々と光は両腕を天に突き上げた。
「
その手に、光の魔法の媒体、「French bread」が出現する。色は赤、細くて、光の身長に近い長さを持つ、金属の杖で、Fの字になるような取っ手がついている。
くるり、とその杖を器用に回して、Fの字の、真ん中の取っ手を手にして、取っ手のない方を、真一に向ける。それは、まるで大きな重火器のようにも見える。
「三秒やるから、とっとと私と優の前から消えるのね」
一秒。
光が次の言葉を言い放ち終えるまでにかかった時間だ。言い放ち終える、ということは、つまり、三秒どころか、一秒すら待たなかったということだ。
「『
杖の先に、赤い光が宿り、光の呪文と共に、一瞬のためもなく、一気に打ち出された。
三秒待てよ!
とっさに心の中でつっこむほど、光は迷いなく魔法を撃っていた。
重火器ではない、杖から放たれたその爆炎の弾は、一直前に、真一さんに打ち込まれた。
パシイッ!
光は、目の前にいる女の顔を、吹き飛ばせる確信があったはずだ。
見たところ、手加減など一切しなかった。最速を求めて、威力は落ちているけど、退魔士なら、そのまま病院で三ヶ月ほど強制休息、一般人なら葬儀屋と墓が必要な威力だと思う。
その爆炎の弾を、真一さんは手で受け止めていた。
「なんっ?!」
言葉にならない声をあげながら、光は素早く目をこらしていた。目視できるわけではないが、霊力の流れを把握するための、癖のようなものだ。
僕も、同じように目をこらし、真一さんの手に霊力が集中しているのを認識した。
霊力で、光の爆炎の弾が爆発するのを止めているのだ。これには光もさすがに驚くだろう。何せ、学長を除けば、教師を合わせても、光は東法で今一番強いのだから。
真一さんは、手にある紅蓮の弾をしばし鑑賞した。
「…おいしそう」
またもや不穏な言葉。
おもむろに、口を大きく開けた。八重歯、と表現するにはあまりにも鋭い、というより、犬歯だけではない、全ての歯が食いちぎるためにとがった、肉食獣など比べものにならない鋭い牙。
シャリッ
爆炎の弾は、そのあるべき爆発という存在をかみ砕かれ、力を無くして消えた。
「
それを見た光は、胸で両腕をクロスすると、もう一つの魔法の媒体、赤い炎の描かれた籠手を呼び出す。
目の前で起きた結果を、呆然ともせずに受け入れ、自分の全力でなければ、この背の高い女には通用しないと判断したのだ。
さらに、銃のように構えていた杖を、取っ手を前にして、棒術のように構える。
「この、化け物め」
そう毒吐きながらも、光はうかつに攻めようとも、魔法を使おうともしなかった。不意打ちのように放った魔法を、素手で受け止められた上に、かみ砕かれたのだ。向こうの霊力が桁違いなのはバカでもわかる。ならば、相手が攻撃を行って、霊力を使った瞬間を狙うしか、ダメージを当てる方法はない、と判断した…のだと思う。
今日まで学生だった者とは思えない、冷静な対処だった。
真一さんは、首をかしげて、光を見つめる。
「…誰?」
「
「ち、ちょっと待った!」
光の自己紹介を、僕は慌てて止めた。例えこれからここで常識無用の戦闘が始まろうとも、言わずにはおれなかった。それこそ、冗談じゃない。
「だから、その件は断ったはずだよ!」
目の前にいる真一さんも怖いが、光の恋人になることだけは願い下げだった。
そんなの、想像したくもない、人生最悪の結果になる。
しかし、僕の反論にも、さっぱり応えた風もなく、光は照れたように身体をくねくねさせた。
「もう、はずかしがっちゃって」
「だから、嫌なんだって!」
と、その言葉で、光の眼光が、ヤクザもかく足るや、というほど鋭くなって僕を睨む。
「とことん私と付き合うのが嫌みたいね、殴るわよ」
「光はそれが目的じゃないか!」
「何言ってるのよ。愛情表現よ、愛情表現」
それこそが問題点なんだと、僕は心の底から思うのだけれど。
二人の漫才、命の危険があるのでこんな漫才はまっぴらだけど、の間に、首をひねっていた真一さんが、急に、ぽんっ、と手を叩いた。
「カミウエのおじいさんの?」
「…何か微妙な表現だけど、そうよ。退魔協会「カミウエ」の会長の孫よ」
光は、祖父の七光りを使う気も、それを隠す気も何もなく、それを素直に認めた。そんなこと、どうでもいいと思っているのだろう。
「で、あんた誰よ。私の優に、ちょっかいかけてくれて、ただで済むと思ってるの?」
「どさくさに紛れて、勝手に所有物にしないで欲しいんだけど」
無駄だとは知りつつも、一応抗議しておく。もっとも、この災厄天災少女が、そんなことを聞き入れる訳もなく、言い返されるか、無視されるかの二択なのだが。
「私は、御瀬真一」
「真一…「
光も、真一さんの名前は知っていた。そもそも、光にとってみれば、これほどのビックネーム辺りでないと、自分とためがはれる訳がない、と思っているので、驚きもしなかったようだ。
「で、秋弓の雇われ社長さんが、何しに来たのよ」
完璧に光に会話の主導権を握られた格好になったが、毒は毒を持って制せ、という言葉を持ち出すまでもなく、真一さんのような大霊指定の相手には、光ぐらい傍若無人の人間ぐらいでないとできないような気がしたので、あえて黙っておいた。
「スカウト? まあ、それならわからないでもないけど、もう退魔士になるような人間は残ってないわよ」
光の言葉に、真一さんは、すっと僕を指さした。
「え?」
突然、また話題が自分に戻ったので、覚悟をしていなかった僕は、一瞬何のことか、わからなかった。
何故か、光の顔が驚愕の物に変わる。
「まさか…」
そんな光を無視して、真一さんは、僕に近づく。今気付いたのだが、真一はレンガの破片の上を歩いても、音一つ立てていない。
…本格的に、この人化け物なのかも。
もう、今更な気もするようなことを考えながら、僕は真一さんの言葉を待った。
真一さんは、やはり、その美貌をまったく揺らせることもなく、淡々としゃべる。
淡々と、僕にとって、物凄く、重要なことを。
「守園、優。君を、雇うよ」
それが、僕の、厳しい現実を打ち破る、やはり結局は、厳しい日常の、序章となった。
続く