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花の魔法使い(♂)
〜wizard of a flower〜

 

2・役立たずの末路

 

 

末路が悪いだなんて、誰が決めた。

あ、それ、多分、私。

 

**********

 

「絶対駄目ーーーーっ!!」

 その序章を、初っぱなから否定したのは、誰あろう、当然僕ではなく、光だった。

「絶対、絶対、絶対に駄目ーーーーーーーーーっ!!!!」

 それこそ、東法中に響き渡りそうなほどに、光は大きく叫んだ。これで誰かが近寄って来る気配がないのは、おそらくは光の日頃の行い、いや、悪行の成果だろう。

 誰だって、暴走中の光には近付きたくなどないはずだ。しかも、卒業式でドロップアウトしてしまった光には、なおさら。

 僕は、現実逃避しかけた頭を中身を、何とか奮い立たせて、光に反論する。

「…光、人の就職を邪魔しないで欲しいんだけど」

 人の話を聞かない光にどれほど叫んだところで、結果が変わるとも思えなかったけれど、一応、抗議を入れておく。いや、そもそも、抗議を何故一応で入れなくてはならないのか、まずそこから詰問したくなってくる。

 しかし、話を聞かない、と推測される真一さんも、その音量には驚いたらしい。

「凄い声。何かの能力?」

 確かに、どんな硬派な応援団だって、こんな大声を出せるとも思えない。そういえば、東法には色々普通の部活はあるが、応援団はない。チアリーディング部はあるので、期待は裏切らないだろうけれど。

 そんな、抗議も勘違いもまったく無視して、光は真一さんにつめよった。

「何でよ、優は、私がカミウエに入れるんだから。邪魔しないでよ!」

 就職できるとしても、光と一緒にカミウエに就職というのは、僕の中ではけっこう最悪に位置する未来だ。絶対に、光がつきまとってくるのは目に見えているのだから。

 ううん、付きまとわれるぐらいならいい。これが、仕事で一緒になったり、出張で泊まり込みなどになったのなら…そう考えると、全身に寒気が走る。

「邪魔をするつもりもないし、私は、学長と話を付けて来ている」

「くそっ、あのババア、あくまで私の邪魔するつもりね。いいわ、どっちが東法最強か、お宮参りついでに決着つけてやるわ」

「それを言うならお礼参りだろ。祈願とかしてどうするんだよ」

「わざとよ」

 さいですか。

 光ならば、他の教師にならできるだろうけど、学長だけは駄目だろう、とあまり平和的ではないことを考えてみたりする。

 現代の魔女、不死に最も近い魔女、と言われる魔法使いである学長相手では、いかに光とて不利はいなめないだろう。

「そもそも、学長以外には、光、反対にお礼参りされるだけのやりたい放題やってたじゃないか」

「ふふふん、そのときは返り討ちよ」

 教育者とて、弱ければ口をはさめるものではない。それが実力主義の場所でならなおさらだ。ついでに、教育者だろうが聖職者だろうが、自分の命は惜しいものである。家族や恋人を残して、例え独身で天涯孤独でも、死ぬのは、やはり嫌だろう。

 このような人災は置いておいて。

「じゃあ、行こう」

 真一さんは、あくまで光と話をするつもりはないようで、自然に僕に近づいて、手をさしのべて来た。

「あ、ちょっと、だから待ちなさいよ!」

 光の怒鳴り声にも、真一さんは反応を示さず、じっ、と僕の目を真正面から見る。

 こんなに美人なのに、その眼差しは、笑ってこそいなかったけれど、まるで子供か子犬のようにまっすぐで、いたたまれなくなって、僕は視線を外していた。

 視線のこともあるけれど…その手を取るべきか、真剣に悩んでいた。

 光のことは、もうまったく一切、問題にはしていない。これでカミウエに行く可能性が無くなることを思うと、思わず小躍りしたくなるぐらいだ。

 しかし、それとは別に、真一さんの手を、素直に怖いと思った。

 近寄り難いほど綺麗だとか、大霊指定人物だとか、さっき見せられた、非常識が裸足で逃げ出すほどの異常識の霊儀技能を見せられたからだとか、理由は色々出せるだろうが。

 そういうのを除いて、単純に、僕の中で、警告が鳴っている。

 身体が、怖いと本能で訴える。

 いや、怖い、というのとは、少し違うか。

 まずい、というべきだろう。僕はけっこう人生において致命的な選択の失敗を経験してきたからこそわかることだけれど、彼女は、まずい。

 その手を取るべきではない。理由はどうあれ、それだけは間違いない。だから、断ろうと思ったのだ。

 真一さんの瞳を、もう一度見るまでは。

 人を喰らう化け物が食い残した血と肉が固まったような、赤黒い色をした瞳を、正直怖いと思った。でも、その怖さにではなく。その目に浮かぶ表情に、凍り付いた。

 彼女は、寂しそうに見えた。理由など、それこそどうでもよくてただ、真一さんの寂しそうな目は、僕の中身をぐちゃぐちゃにかき混ぜた。

 僕は、それを見て、とっさに真一さんの手を取っていた。

 真一さんは、一瞬、驚いた様子を見せて、でも、すぐに無表情になって、僕を引き起こしてくれた。男女が別のような気もするが、小柄な僕など、彼女にかかればわらのような軽さだろう。

 大柄、と言っても謙遜に思えるような長身を誇る真一さんの手は、そんなに大きくは思えなかった。確かに、細く、長いことだけは確かなのだけれど。

 真一さんのどこかすっきりした顔は、まるで聖女のように、いや、ように、などという無粋な真似は控えた方がいいだろう、一点の曇りもなく、綺麗だった。

 僕が真一に見とれたのが気に入らなかったのだろう、今の状況云々をどうこうすることよりも優先して、光がむっとする。

 もちろん、僕としては光の反応など、知ったことではない。事情を知らない人間がこんな僕を見れば、冷たい人間と言うかもしれないけれど、それが僕の本音だ。

 いきなり霊儀技能をぶっ放してくるような人をまともとは思わないけど…

 事実、まずい、と感じてはいるのだけど。

 それでも、光よりはよほどましなのは、見ないでもわかる。例え大霊指定であろうがなかろうが、やはり迷惑さで言えば、光はダントツトップだ。

 しかも、自分を雇ってくれる、と言うのだ。例えそれが大霊指定人物であろうが、おがんでも足りないぐらいだ。

「ありがとうございます。これから、よろしくお願いします」

 光にあてつけているわけではないけれど、少しはそんな意味も込めて、改めて真一さんにお礼を言い、頭を下げた。

 しかし、僕は、それなりに色々と人生経験してきた、つもりだったのだが、それでもやはり、経験が足りないと言わざるをえないのだろう。

「それじゃあ、行こう」

「今から、手続きをするんですか?」

 僕の返事は、端から聞けば、間抜けだったのかもしれない。しかし、本人からしてみれば、それも仕方ない話。まあ、そういう常識的なことを考えるのが、普通というものだと思う。

「ううん」

 しかし、目の前にいる相手は、常識という言葉とだいぶ前に、もしかしたら母親のお腹の中にいたときから、決別した、日本の誇る、かもしれない、大霊指定人物。

 まあ、実際のところ、大霊指定が問題では、ないのだろうけれど。

「これから、現場」

 僕は、甘かった。目の前に問題があるからと言って、違う道で問題が起こらない保証など、どこにもないと言うのに。その、違う道をほいほいと選んだのだから。

 唯一の救いは、逃げ道はなく、仕方なく選んだ、という部分がないでもなく、僕自身の責任とは、言い切れないところぐらいだろう。なぐさめには、ならないけれども。

「ええ〜!?」

 どうせ、責任はなくとも、問題はついてまわるものなのだから。

 

 **********

 

 うっそうと茂る、木、木、木。

 三つつなげば、森になるわけだが、何故森という漢字が、木が横に三つ並んだ形にならなかったかと言うと、狭かったからだろう。

 僕は、そんな現実逃避に、頭の大半を任せていた。

 いや、山の斜面に木が生えれば、下から見ると、下にも上にも木があるわけで、そうなれば、やはり森という漢字は、けっこう完成されたものかもしれない。

 と、もう一度現実逃避をやっておいてから、僕は仕方なしに、現実に立ち返った。

 後ろを見やれば、そこに森はなく、シャベルカーで掘り返された土地があるだけだ。ただ、多少問題なのは、シャベルカーと言わずブルドーザーと言わず、全部完膚なきまでに破壊されていることぐらいか。

 日本での特殊車両の売り上げは、かなり良好だ。そして、それに付随するように、特殊車両の保険料(変な感じもするが、当然車なので保険はある)は、高額である。

 その理由が、今僕の目の前に広がっている光景だ。

「わー、実習で見たことはあるけど、これはまた派手に壊されてるわねえ」

 何故か付いて来た光が、感心しながら、某格闘ゲームのボーナスステージの車ように破壊されたシャベルカーを観察している。

 嬉しそうなのは、光の性格というか性癖の悪い部分が全開している所為なのだろうが、とりあえず、現在自分に降りかかってくる様子はない。ありがたい話だ。

 現実問題として、後ろの壊れたシャベルカーなど、どうでもいい。

 壊れているものを、僕が弁償するわけでもないし、爆発するようなこともなさそうであるし。ガソリンに引火すればどうかわからないけど、火の気などまったくないので、気にすることではないだろう。

 シュカッ

 と、思った矢先に、真一さんは煙草に火をつけていた。

「ま、真一さん、壊れた車のある場所で火を使うのは危ないと…」

「平気、食べるから」

 何を、と聞かなかったのは、納得したからではなく、怖かったからだ。

 真一さんは、目の前の異常な光景に、何も思うところがないのか、さしておいしそうでもなく、煙草を吸う。

 真一さんの格好は、さっきまでの白いニットではなく、膝よりも長いトレンチコートに、その間から見える、黒いハイネック。

 ファッションで言えば、さっきよりも悪くなっているような気もするのだが、所詮ファッションなど、素材で大きく変わるもの。綺麗な女性はどんな格好をしても似合うものだ。そして真一さんは、かなり綺麗な女性である。

 ただ、格好いいのだけれど、吸っている煙草は一ミリグラム、そして火をつけるのは百円ライター。

 真一さん、微妙に安物嗜好なのかもしれない。

 僕は、真一さんが煙草を吸っている間に、森に目を向けた。外見は、普通の森に見える。

「これは…見事な結界ですね」

「わかるんだ?」

 表情にこそ変化はなかったが、真一さんの声に感心したという色が入ったような気がした。

「ええ、まあ」

 相手の強さの見極めは、弱者の基本だ。こう見えても、僕は弱い。偉そうに言うが、はっきり弱い。

 おそらくは、人間の作ったものではない。結界の状態が、理路整然としていない。人間が作る場合、理路整然としていない場合、むしろこんな大きな、小さいとは言え山一つ覆うような結界を展開できる訳がない。

 つまり、相手の怪異が張った結界だろう。

 怪異。人在らざる者、常ならざる物。その総称。

 一般的に言えば、人間に害を及ぼす悪霊、妖怪、怪物などを指す言葉だ。そういう怪異が起こす問題、霊害と呼ばれるものを、解決処理するのが、退魔士という職業。

 少し、退魔士について触れておこう。

 退魔士には、二種類の職業がある。片方は退魔協会、片方はフリーの退魔士。

 退魔協会は、色々な特権や条約によって、国から保護された退魔士の集団。半官半民と呼ばれるように、国が経営しているわけではないのだが、法律的に、通常の企業よりも優先された位置にいる団体。

 それに対して、フリーというのは、退魔協会に所属していない退魔士のことを言う。

 普通は、ちゃんとした組織がある以上、それに属さない者は不利なのだけれど。

 霊害が被害者側の法律違反によるものが多く、そういう場合に、会社の信用とか、後に起こる責任問題などを回避するために、国とは関わり合いにならない退魔士、つまり、協会に属さない退魔士を使う。それがフリーの退魔士だ。人数、能力、金額の面などで、あまり便利とは言えないが、しかし、それでもフリー家業がなりたつほどの仕事はあり、かつ、その多くが、裏家業と言える。

 真一さんが社長をしており、僕が入社するであろう、秋弓霊儀事務所は、七つある退魔協会の一つ。あまり規模は大きくない、総資産で言うと、退魔協会では下から二番目になるのだが、これは能力の問題ではなく、人数の問題だ。

 そう、絶対に能力の問題ではないだろう。

 もし、能力の問題で秋弓が退魔協会として、六番目に位置するというなら、この日本は、いや、退魔士というものは、世界を乗っ取ることさえできそうだ。

 退魔士とは、異能ではあっても、絶対ではない。そもそも、この恩恵(マナ)の薄い日本であっても、退魔士は命がけの職業なのだ。

 知識として知っている怪異。その怪異で、これほどの結界を張る怪異の強さを考えると、煙草で一服している真一さんの図太さは、賞賛に値しよう。

 …いや、緊張感も何も、真一さんには、緊張するような場面ではないのかもしれないけれど。

 少なくとも、煙草を精神安定剤として使っている様子ではないし。あったとしても、それならば、こんな危険な結界の前でという状況がおかしすぎる。

 真一さんの一服が終わる前に、壊れたシャベルカーを堪能し終わったのか、光が近寄ってくる。

「まったく、ここの怪異も無駄なことするわよねえ。せっかく力があるのに、こんな頑丈なものを壊すわ、山全体に結界張るわ。霊力の無駄使いじゃない」

「そうね」

 真一はそっけなく返答すると、携帯灰皿に、煙草の灰を落とす。ガソリンが漏れているとかそういうのを置いておいても、煙草のポイ捨てはしないらしい。常識と言えば常識な話だ。

「それで、あんたは、私達に何をさせるつもり?」

「光は帰ってよ。これから仕事なんだから」

 私達、と言われた瞬間に、僕は反射的に反論していた。例え何と言われようとも、光と同時行動はまずいのだ。自分の身の危険に直結している以上、僕としては言葉尻であっても邪魔をせねばならない。

「そもそも、何で光は来てるんだよ。僕はいいけど、光は色々卒業式後に、お誘いが…」

 彼氏がいるというのは聞いたことがないし、標的となっているのが僕である以上、さすがにそれを尋ねるなんて命知らずなことはしないけれど。

 言葉を止めたのは、自分にアタックしてくるからではなかった。彼氏ではなくとも、遊びに行く友人はいたはずなのだ。

「大丈夫よ、ちゃんとほとんど切れてるし、切れてないんなら、卒業式の後一回ぐらい遊びに行かなくたって同じよ」

 光は、卒業式の卒業生挨拶で、ドロップアウトしているのだ。だから、普通の感覚の人間なら、お近づきにはなりたくない。

 これ以上ないドロップアウト、今までの自分の築いた地位や位置を、あっさりと捨て去るどころか壊しきるような、見事な挨拶だった。

「ま、どうせ人の機嫌をこそこそ伺うようなヤツは、一回や二回こっちが変なこと言っても、聞かなかったことにするわよ。まったく、うっとおしいったらないわね」

 光の口調は、そういう人間を好いているようにはまったく思えないのだが、光が在学中にはそれなりの数の取り巻きを従えていたのは事実で、いまいち光の考え方が理解できない。

「それにさあ」

 光は、つつい、と僕に近づくと、腕を取って、抱きつく。

「ひっ!」

 光の手にこもった力に、僕は情けない悲鳴をあげた。

「私にとっては、優が第一優先順位なんだから、世界敵にまわしたってついて行くわよ」

 この体勢はまずいっ!

 僕は、素早く光から腕を抜いて、とりあえず真一さんに助けを求めるように、逃げる。

 普通の恋する乙女なら、好きな人が悲鳴をあげて逃げていくのを見れば、心から傷付くだろうが、光は恋する乙女かどうかさえ怪しいけど、最低、普通ではない。

「もちろん、世界を敵にまわすなんて、馬鹿はしないけどね」

 常識とか冷静とかという言葉には縁の薄そうな光だが、彼女は、その霊儀能力だけで、三年間のほとんどを首席で過ごした訳でもないし、学長以外が誰も口を出せなかった訳ではない。

 外見や行動からは、予想できないほど、冷静で頭がまわるのだ。彼女が、最終的に首席で卒業しなかったことこそが、奇跡に等しいと言っても過言ではない。

「真一さんも、言ってあげてくださいよ。光はカミウエに就職するんだから、部外者でしょう?」

 真一は、優の行動にも光の行動にも表情を変えず、淡々とつぶやいた。

「バイト代は、出ない」

「上等。別にお金困ってるわけでもないし」

 光は嬉しそうに、ちょっと中指あたりが下品な格好で手を前に突き出した。

「ああ、流されているよ流されてる…」

 僕は頭をかかえた。てっきり、真一さんは光を止めてくれるものとばかり思っていたのだけれど、考えてみれば、それなら最初っから連れて来たりはしないだろう。

「退魔だって初めてじゃないし、ちゃんと役に立つからさ」

 頭をかかえた僕の肩を、光は元気づけるためとは言い難い強い力で叩く。バシバシというよりば、バキバキに近い音がする。

「痛っ、痛いって!」

 そりゃ、役に立つとは思うけどさ…。

 光の腕から逃げながら、僕はそう思った。

 光の強さは、今更念を押されるまでもない話だけれど、一緒に行動したいかと言われれば、もう間違いなく嫌と答える。

 真一さんも、積極的に光を追い返そうという気はないようだから、僕にとっては嬉しくない状況だ。

 僕の味方をしてくれなかった真一さんに、八つ当たり気味に恨みがましい視線を送るけれど、真一さんは、まったく理解した風はなかった。

「簡単に、説明する」

 代わりに、真一さんは資料を取り出して、僕に渡す。

「読んで」

 言葉尻を取るようであれだが、どうも説明する気はないようである。

「ええと…地霊の調査不足、ですか」

「それは口実でしょ。どうせ、わかってる癖に、無視して工事進めた結果じゃない」

「光、それを言うのはまずいよ」

 土地開発には、地霊の調査と移霊か慰霊を行う義務が、企業にはある。

 しかし、退魔協会は半官半民の地位を最大に利用した所為か、料金は高く、そして対応はずさん、という状態だ。

 対応がずさんなのは、この際置いておいて、企業としては、そのバカ高い料金が問題になる。何も対策もなく経費削減を念仏のように唱える企業の上の人間にしてみれば、そんなものに高い金を払ってはいられない。

 だから、退魔士とは名ばかりの、地霊調査を受け持つ人間がいるわけだが、まさに名ばかりの未熟者が芳しい結果を出せる訳でもないし、もし、ちゃんとした地霊調査を行っても、企業はそれを無視して開発を進める。

 結局、案の定、地霊の怒りを買って、霊害のいっちょうあがり、という光景は、日本では別段珍しくもなく、よく海外の世論からも叩かれている。

 しかも、その地霊調査の人間も、口封じと、もとからそういう計画なのだろう、けっこうな額をもらうということで、未来を見ていない目先の欲にかられる若者などは、けっこう狙っていたりもするのだ。

 霊儀関係に就職率の高い東法では、そういう情報も伝わっていた。

 花屋よりはもうかるからと言って、その違法ぎりぎりのことをしようという人間は、しかし東法には一人もいなかった。

 東法という、選ばれたとも言える学校に通っている以上、人並みのプライドはあるし、そもそも、プライドを捨てても、そんな場所に就職しようとする者はいない。何故なら、企業の地霊調査員の死亡率の高さは、十分な説得力を持って、僕たち東法の生徒に現実の恐ろしさを教えてくれるからだ。

「関係ない、仕事をこなすだけ」

 世界の裏を一言で切って捨てた言葉を、真一さんは否定もせずに、さらりと受け流した。最初から、真一さんは誰とも言葉で同じ舞台に立つつもりがないようにも見えるけれど。

「実状はうちも一緒だから、別に文句を言うつもりもないけどね」

 光はカミウエの会長の孫に当たり、普通はそういう世間の醜悪な部分からは、一種隔離されるものだが、光を非常識とは表現しても、世間知らずとは言わない。

 相変わらず、本物の退魔士よりも、よっぽど迫力あるよなあ。

 退魔士よりも退魔士らしい光の様子を横目に、渡された資料に目を通していく。

 その書類は、一枚、二枚、と被害状況と規模の内容を読み進めれば読み進めるほど、頭の痛くなる内容だった。

 資料に一通り目を通してから、こめかみを軽くもむ。目が疲れたわけではなくて、単なる落ち着くための無意味な動きだ。

「えーと、僕、一応は今まで霊害の資料とかも目を通して、それなりに見てきたつもりだったんですが、やっぱり、現実にはあてにならないものですか?」

「?」

 真一さんには、僕が何を言いたいのか、理解できなかったようだ。

「これ、被害多すぎません? ニュースでも見たことがないんですが」

 被害総額も多いが、死んだ人数というものが、二十人近い。霊害では、死人も不思議ではないが、こんな量の死人が出れば、大きなニュースになるはずだ。

 僕の疑問に、光がちっちっち、と指をふりながら答えた。

「そんなの、マスコミさえどうにかしてしまえば、大して広がることなんてないわよ。どうせ、マスコミなんて、企業や政治家の子飼いみたいなもんなんだし」

 夢も希望もないお言葉である。別に僕だって、世界がどこも綺麗なものだとは思っていないけど、こうもあっさりと言われると、一抹の寂しさを覚える。

 しかし、僕はそこでふと疑問を思いつく。

「でも、僕が見たのは、公式の資料だったはずなんだけど」

「そんなの、貸し出すのは当たり障りのない資料に決まってるじゃない」

 光は、バカかお前は、という表情で、僕の疑問を切って捨てた。

「それに、『百円均一百貨店ヒャクエンショップ』が出るほどの霊害でしょ。これぐらいの被害、出てもおかしくないわよ」

「それを分かって、付いて来たの?」

「もちろん。そんなのに、優一人を行かせる訳ないじゃない。危なっかしくて、おちおち遊びにだっていけないわよ」

 真一さんの問いに、何を当然なことをと言わんばかりの口調で、光は答えた。

 光の気持ちを、ほんの少しぐらいはありがたい、と思わないでもないけど、それよりも、冷静な光の読みに、やはり驚かされる。

 真一さんほどの退魔士が出てくるのだから、考えてみれば、あっさりわかりそうなものだ。気付かなかった僕がどうかしているのだろうか。

 『百円均一百貨店ヒャクエンショップ』御瀬真一が出張って来る霊害が、簡単な訳がない。日本の最高峰の退魔士には、当然日本で起こる最悪の霊害をまかされる。しごくもっともな話だ。

 つまり、それを見落としていた僕の立場は。

「あの、僕、正直言って、こんな霊害相手に生きて帰る自信はないんですが…」

 それは、まがりなりにも、首席を取った東法の卒業生ではあるけれど、そもそも首席を取った方法がおかしかったのであり、普通の僕の力は、たかが知れている。東法では、上の下というところだが、退魔士にならない子も多いので、社会に出て退魔士として通用するとは思えなかった。

「…」

「…」

 何を考えているのか、真一さんと光は黙った。

「あ、あの…?」

 二人に黙られると、まあ、真一さんは最初から無口な人だけど、不安になってくる。

 先に結論を出したのは、真一さんの方だった。

「大丈夫。まだ雇用していないから、殉職しても退職金は出ない」

「いや、せめて出して下さいよ。死ぬ気はありませんけど」

 一応、突っ込みを入れておいた。その行為に、真一さんはきょとんとした顔をしている。もしかしたら、突っ込み、という意味さえわからなかったのかもしれない。

 しかし、誰も笑ってはいないけれど、笑い事ではない。僕には身内はいないが、お世話になった学長に、学費ぐらいは返して死にたいとは思う。僕一人の学費でどうこうなるような学長ではないけど、恩を返さずに死ぬ訳にもいかない。

 まあ、簡単に死ぬ、などという言葉が出てくる以上、僕も、まったく現実に死ぬなんて思っていないんだろうけれど。

「大丈夫よ、私が、責任を持って看病してあげるから」

「色んな意味で嫌だし無理だよ」

 光の提案は、死ぬよりもたちが悪い。どうあっても、無傷で乗り切りたいところだ。

「それで、僕は何をすれば? こんな霊害相手では、僕は役立たずな気がしますが」

 真っ当な退魔戦で僕が役に立つとは思えないのは言うに及ばず。

 たまに、地脈から恩恵(マナ)を吸収していたり、本体を複数にわけたりする霊害がいるらしいけれど、地脈の調整などという特殊な状況に対応できるような訓練は、受けていない。

 光がいるから、地脈の調整とかはまかせておけばいいとして、その場合、僕は本当に役にたたない。かと言って、地脈の調整はけっこうデリケートな仕事で、僕には、正直自信がない。

「…」

 真一さんは、少しばかり無言で考えてから、おもむろに口を開いた。

「足手まとい」

「…とりあえず、帰らせてもらいます」

 後ろを向いた僕の肩を、真一さんはつかんだ。獲物を捕まえる野生動物もかくや、と思われるスピードだったのは、間違いない。

「この後にも、仕事がある。そこで役に立ってもらうから」

「はあ、それは?」

「事務仕事。おもに退魔の報告書」

「そんなもの、自分でやってください」

 僕の手が必要な仕事ではない。いや、確かに社長がする仕事でもない気はするが、そもそも退魔自体を社長がする時点で大きく一般の退魔協会とは違うのだから、言っても仕方ない話なのかもしれない。

 僕は真一さんの腕をほどこうとしたが、やっぱりと言うか、真一さんの腕はぴくりともしない。決して腕は太くはないと思うのだが、常軌を逸した腕力だ。

 むしろ、必死に僕が帰るのを止めているようにさえ見える。真一さんは、その心持ちを、言葉少なく表現した。

「面倒」

「…」

 絶句。

 僕の言葉のない気持ちを表現するのなら、そんな一言で済んだろう。

「…いえ、そうなのかもしれませんが」

 まさに、何も言えない、とはこのことだった。そもそも、真一さんに話し合う気がないのは、明白だ。しごくまともなつもりで対応していた僕一人が、バカを見た格好になったわけだ。

 面倒の一言で、命をかけなければならない僕の気持ちには…やっぱりなってくれないのだろう。

 社会人は厳しいという話は聞いていたけれど、実際は、予想以上に、厳しい。

 …社会人が問題なのではないことぐらい、僕にもわかってはいるけれど、それぐらいしか言うことが僕にはなかった。

「大丈夫よ、私が守ってあげるから」

「期待できないよ」

 女の子に守ってやるなどと言われる情けなさよりも、光の方がよほど危険なのだから、期待などできる訳がない。というより、どこに期待しろと?

 僕が観念したのを感じたのか、真一さんが肩から手を放す。

 逃げても無駄なのは、今までの掛け合いで、十分にわかっている。だから、僕は観念するしかなかった。

「ああ、騙された…」

 だから、せめて愚痴をこぼすぐらい、許して欲しい。

 騙された方と、騙した方、どっちが悪いかと言われれば、騙した方だが、どっちがバカかと言われれば、騙された方だというのは、痛いほどわかっているのだから。

 真一さんは、そんな僕を貶すでも慰めるでもなく、まったくさっきと変わらずに淡々と、最後に一言だけ、言った。

「いてくれるだけでいいから」

「存在するぐらいしか、できることはありませんからね」

 負け惜しみというか、精一杯の努力で、僕は皮肉を返すのがやっとだった。

 でも、それは仕方のないことだと思う。だって、そのときはまだ、その言葉の意味を、まったく理解できなかったのだから。

 

続く

 

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