怨みだって、そんな、むやみやたらに長続きなんてしない。
遺恨の長さも努力次第。
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自分が人柱になる、と聞いても、あたしはさほど驚かなかった。
あたしは、尼の母が野党に襲われ、この世に生を受けた。
もともと、疎まれた存在だったあたしが、誰よりも死ぬという仕事に似合っていたということだろう。
母も数年前に流行病で死んでしまったし、父親など、どこの誰だったのかもわからないのだ。
そんなあたしの心の拠り所だったのは、一人の青年だった。
名主の一人息子で、こんな田舎には似つかわしくないほど聡明で、りりしい人だ。こんなあたしを、分け隔て無いどころか、一人の女性として扱ってくれた。
将来の約束はしなかったけれども、あたしはそれでも十分満足だった。
自分が人柱になると言われても、あたしは嫌がりもしなかった。今まで、何もいいことのなかった人生だったのだし、人柱で終わったとしても、何も問題ないと感じていたからだ。
それどころか、穢れたあたしごときを人柱にして、ちゃんと神は静まるのだろうかとさえ思ったぐらいだ。
ただ、唯一、その人のことだけが、心残りだった。
その人は、涙を流して別れを惜しんでくれた。それだけでも、あたしは救われた気持ちになったものだ。
今考えれば、どうして信じてしまったのだろうか、と思う。
名主の一人息子ということは、次の名主ということだ。かなりの発言権を持っているのは間違いなかった。
人柱を選ぶときだって、あたしが選ばれたときに、反対できる位置にいたはずなのだ。
笑ってしまうことに、あたしがそれに気付いたのは、あたしを毛嫌いしていた村の女の一人から、その人が春に祝言をあげると聞いたときだった。
人柱の奉納を明日に迎えた夜だった。
あたしは、女が去って、しばらくしてから逃げ出した。
そのときの気持ちは、今ではうまく思い出せない。信じていた人が、結局自分を弄んでいただけだと気付いたのなら、それこそ人生に絶望して、さっさと人柱になった方が楽だったろうに。
多分、憎んだか、怨んだかしたのだろう。
最後の足掻きのように逃げて、でも、すぐに捕まった。あたしが逃げることを、村人は皆警戒していたのだ。それまで神妙にしていたのに、えらく信じられたものだと思う。
身動きが取れないほどきつく縄で縛られて、結局、あたしは人柱となった。
悔しさなんだか怖さなんだかわからないもので歪んでいた視界には、そのときあの人とか、最後にあたしを惑わせた女とかが、その場にいたのかどうかすらわからなかった。
とにかく、あのときあたしは死んだ。土の中に埋められ、胸の中を泥まみれにして、苦しみながら死んでいった。
その後はもう、存分に祟ってやった。
川を荒らして、田畑を食い荒らす虫を呼び込んで、人の味を覚えた獣まで招き入れた。
でも、すぐにあたしは住んでいた寺の和尚様に封印されてやった。心の拠り所はあの人だけであったけれど、和尚様には育ててもらった恩があった。抵抗はしなかった。
直接的に祟ったのは、多分、かなり短い間だったと思う。しかし、一度悪い方向に転び出すと、物事というものは、加速的に悪い方向に進むものらしい。
驚くことに、あたしは一年も経たないうちに、封印を解かれたのだから、笑ってしまう。
あたしの封印を解いた女が、どういうつもりだったのかは、今でもわからないが、とりあえず、あのときのあたしは、目的を達成することで頭がいっぱいだった。
それこそ笑ってしまう話で、あの人に、もう一度愛していると言って欲しかったのだ。
厄払いのされた名主の家に、女の手引きで入り込めたあたしは、あの人の取り憑いて、四六時中耳元でささやいてやった。
そうすれば、あの人の気持ちが戻ってくると、本気で信じていたらしい。
あの人は見る見るやせ細っていって、夜はうなされ、髪には白髪まで混じって来た。
しかし、あたしはバカだったけれど、現実を見る目はあったらしい。どうやってもあの人の気持ちが自分に向くことはないというのを、しばらくして気付いてしまった。
まあ、でもバカだったので、あの人を独占するために憑き殺そうとして、今度は高名な僧侶に封印されたわけだ。
その後、十年後に封印を解かれたあたしは、その人があの後、村から忽然と姿を消したのを聞いた。
そんなこんなで、あたしは何度も封印を解かれては、また封印されるということを繰り返して来た。
結局、人に対する怨みは徐々に薄くなっていったが、かわりに、人はどうしようもない生物だという気持ちだけが、積もっていった。
横を、息を切らせながら歩く少年にも、同じ感想を、あたしは持っていた。
人とは、どうしようもない生き物だ。この少年など、特にそうだ。
あたしに、まるで恩を着せるように助けたいという人間など、どうしようもないに決まっている。
こう見えても、人生経験は豊富なのだ。この子が、あたしの奥に何を見ているのかはわからないけれど、あたしを見てはいないのには気付いている。
まあ、それでもいいか、と思う自分がいるのも、否定しきれない事実であるのだが。
何かの代用としてでも、こういう目で見られることなど、生きてついぞなかった話なので、舞い上がっているのかもしれない。
残された時間も大してないけれど、どうせ、やりたいことなど、もっとないのだ。
遺恨すら、すでに摩耗しきっている。
かわいい、と表現できるこの少年が満足するまでは、付き合ってあげてもいいか、とあたしは思うのだ。
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「はあっ、はあっ、はあっ…」
僕の息だけが、暗い森の中に響いていた。
体力勝負なところもある退魔士を目指していたとは言っても、僕はの体力は、ほとんど素人と変わりないし、何より、追われているという意識が、僕の体力を根こそぎ奪っていく。
「…休んでいくかい?」
心配そうに、浮いている刹音さんが僕に尋ねてくる。
「大丈夫、です」
息も切れ切れに答えても、何の説得力もないのだけれど、それでも僕は気丈に答えるしかなかった。休んでいる暇はない、こうしている間にも、多分距離は縮まっている。
「それに、しても、全然、外に出られないんだけど」
理由はわかる。結界には、往々にして迷いの森の効果もついて来るのだ。しかも、刹音さんが申し訳ない顔をしながらも、正しい道を教えてくれない。
多分、彼女も迷いの森の効果を受けているのだろう。
強い結界の力は、時として術者自身にも効果を及ぼす。ここまで地脈を狂わせる、強い呪力の結界なら、そうなってもおかしくない。
刹音さんが、わざと僕を迷わせて、森の深くに引きずり込もうとしている可能性も、否定はできないのだけれど。
「別に優が狙われている訳ではないんだろう? あたしは自分一人で逃げるから、優は残って助けを待ってもいいんじゃないのかい?」
「駄目ですよ。光も真一さんも、どう見たって一筋縄でいける相手じゃないんですから」
でも、だからこそ僕なら、裏をかくことができるかもしれない。
九割九分は失敗するだろう。光は、裏技が通じるほど甘い相手ではないし、真一さんに至っては、力の桁があまりにも違い過ぎる。
だからと言って、ここで刹音さんを見捨てる気には、なれない。
何も、刹音さんが困っている訳ではない。むしろ、僕は足手まといなのだから、さっさと別れるべきだ。
それでも、僕は刹音さんを助けたかった。いや、刹音さんと、一緒にいたかった。
こんな地脈がグチャグチャした中で、ここまで完璧に気配を消している刹音さんを見つけるのは、光や真一さんでも難しいのではないかと思う。それを思えば、僕の存在は邪魔でしかない。
助ける、という言葉さえ、方便でしかない。裏をかけるかも、なんて嘘だ。光ですら、僕の手には余る。
「でも、仕方ないじゃないか」
僕は、刹音さんに聞こえないように、小さくつぶやいた。
刹音さんと、一緒にいたいのだ。結果がどうなるのかわからなくとも、いや、状況を悪くするかもと思っていても、今僕にとって、一番大事なのは、刹音さんと一緒にいることだった。
それを、恋、と呼ぶのは、あまりにも簡単な話なのだけれど、僕だって、何の迷いもなく、そんなことを思っている訳ではない。
刹音さんに操られているのでは? とずっと頭の中では考えているし、そもそも、僕自体どうかしているのか、とは感じているのだ。
でも、それでも……。
刹音さんの横顔を盗み見る。まあ、不細工というわけではないどころか、綺麗な部類に入る顔をしていると思う。でも、僕がそれにときめく訳ではない。
ただ、近くにいると、不思議と安心するのだ。それと同時に、守ってあげなくては、と何故か思ってしまう。
女性を守る、なんていうありがたみのない男の性など僕は信じていないのだけれど、それでも、刹音さんに対しては、そんな気持ちが沸き上がって来る。
もっとも、これで、ちゃんと助けられたのなら、それはかっこいいんだろうけど。
世の中、そんなにうまくは出来ていないらしい。
バキバキバキ、と、突然、木々の折れる音が響いた。
この、まったくさっぱり隠密とかを考えない登場の仕方。人間は、ちゃんと殺気を察知する方法を持っているのだ、と初めて僕に分からせた女の子。
守ってくれる男など、欠片も必要とせず。できれば敵対しても、絶対に戦いたくない、相手。
僕は、気を引き締めた。残念ながら、その程度でどうこうできる相手ではないけれど、やるのとやらないのとでは、僕の気の持ちようが、少しばかり違う……気がする。
「……やっと、見つけたわよっ!!」
バキッ、と彼女の前進を邪魔した木の枝が折れて飛ぶ。
あまりに唐突に、そして激しく現れた女の子に、幽霊であるはずの刹音さんも、あっけに取られていた。
僕は、もちろんけっこう混乱しているのだけれど、何とか自分を叱咤して、いつでも逃げられるように、刹音さんの冷たい手を握る。
「さあ、覚悟しなっ!!」
悪霊よりも、よほど凶悪な、神上光は、刹音さんに向けてではなく、明らかに僕に向かって、そう咆えた。
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「……?」
遠くから、激しい霊力の放出を感じて、真一は首をかしげた。
ぎざぎざに切り取られ、混ぜられたような地脈の中では、いかなる真一とて、その場所を正確に感じ取ることは不可能だ。
しかし、真一は大して気にもしなかった。その霊力が、光が放つものだということに気づいたのも大きかったが、真一にとっては、激しい霊力の放出など、注目するに値しないのだ。
光が、意味があろうがなかろうが霊力を放出するようなこと、おそらくは、何かに襲われているだろうことに、もちろん真一の思考はたどり着いている。
それでも、助けに向かうなど、真一の思考の中には生まれなかった。
腕を見た限りでは、光の強さは並ではない。あれに勝てる悪霊など、そうはいないことを、ちゃんと真一はわかっていたのだ。
それに何より、そちらからは、血の臭いがしなかった。
光からは、微かなりとも血の臭いがしていたが、それを感じるには離れすぎている。光と別行動を取っているのは、光と離れた方が、血の臭いがより濃く感じれるからだ。
真一には、光が何のつもりでついて来ているのかわからなかった。おそらくは、遊びか何かだろうと考えている。
しかし、真一には、ちゃんとした理由がある。これは、仕事なのだ。
退魔対象の退魔、それが真一の仕事だ。まずは、それが第一。
第二の目的のために、わざわざ優を連れて来たのだが、はぐれてしまったのでは仕方ない。真一は、何を優先するかぐらいは、いつでも判断できるのだ。
真一は、無造作に手に持った安物の包丁を振る。それで、彼女の前にあった枝や枯れた木は音もなく吹き飛び、道を空ける。
音は、立てない。それは一族が長く培ったものを否定する、彼女の力だ。その新しい力は、追うためのものであって、追われないためのものではない。
それでいい、真一は、追う者であって、追われる者ではありえないのだから。
感じた血の臭いに向かって、真一は向かっていた。ぐるぐるとまわったり、折れ曲がったり戻ったり、まっすぐとは言いかねるが、それでも真一は文句も言わずにそれを追っていた。
ここまで来ると、むしろ相手に弄ばれているのでは、と少しは思うのだろう。真一も、そう思っている。
それとは反対に、確信もある。結局、それでも最後には、相手の所にたどり着くのだということを。
それで、真一には十分だった。
どんな小細工、どんな事前準備をされようとも、真一の勝てない相手はいない。
日本最強の退魔士、御瀬真一。彼女を止めるには、神でも生ぬるい。
もっとも、真一には日本一などとか、そういう類の気負いはない。最強の退魔士であるとかの自負もない。
あるのは、ただ漫然とした事実と、やらなければならない仕事だけだ。
「……邪魔」
それでも、さすがに光の霊力の放出は邪魔だと感じて、誰がいるわけでもないが、口にする。
血の臭いは見失ったりはしないが、離れていてもまわりで蚊が飛ぶようなうっとおしさがある。それで真一が判断を誤ることはないのだが。
そして、真一はそんな雑念でも、確かに見誤らなかった。
真一は目標を確認して、音無く気配なく近づいた。
**********
「さあ、覚悟しなっ!!」
これ以上、光は何を僕に覚悟させるつもりなのか。
至極もっともなつもりの疑問を挟む間もなく、光はクックックック、と笑い出す。綺麗な癖に、三枚目の悪役の笑いが似合うってのもどうかと思う。
「優がこの私から逃げようなんて、百年飛んで三年早いわ」
「別に光から逃げようとしてる訳じゃないんだけど……」
「嘘つかないでよ。優が私から逃げない訳ないじゃない」
即断で否定したのは、事実なのでいいとしても、それがわかっているのなら、追って来ないで欲しいものだ。
しかし、実際どうしたものか。今のところ、光の意識は僕に向いているようなので、横でいまいち何が起こっているのかわかっていない刹音さんが狙われる様子はないのだけど……。
そう思って刹音さんを見たのが悪かったのだろう、光の視線が、刹音さんに向く。
「……何よ、あんた」
まるで道ばたの石ころを見るような目だった。殺気もないが、まったく興味もない目。
「何と言われても……」
刹音さんも、返答に困る。さっきまで、僕が危険だと話していた相手なのに、刹音さんにこれと言った敵対的な反応を示さないのに戸惑っているのだろう。
正直、僕もそれには驚いている。光と言えば、見た相手に噛みつかねば気が済まない狂犬だと今だって思っているのだ。
「あー、幽霊っぽいわね。さしずめ、優を拐かそうとしたってところね。ま、私は用事ないから、優を置いてどっか行っていいわよ」
シッシッ、と犬どころかハエを手で追い払うような仕草で、刹音さんを追い払おうとする。
「いや、刹音さんについているの、僕の意志だし」
僕は、不用意にそんなことを口にしてしまった。案の定、光の表情が一変する。
「……てことは、何? つまり、優は私を置いて、こんなチンケな幽霊と逢瀬してた訳?!」
光は、一瞬で沸点まで上がる、人間瞬間湯沸かし器を地で行く。
根本的な問題を置いておいても、その理論展開はどうかと思うよ。
「そもそも、逢瀬っていつの時代だよ」
その瞬間、僕の頭に、何かがフッ、とよぎった。気がした。
「……ふーん」
初めて、光は刹音さんを視界に入れたような反応をした。それが自分の敵だ、と判断したのか、なめるように刹音さんを眺める。
「な、なあ、優。この子、何か嫌なんだけど」
こそっと僕にそう言う刹音さん。
「その意見には僕も全面的に賛成します。てか光は最悪です」
「そこ、聞こえてるわよ!」
そりゃそうだ、僕は聞こえるように言っているのだし。それぐらいで光が引き下がる訳がないのだから、言わないだけ損だ。
「見た感じ、別に何か悪さできる様子もないけど、とりあえず、あんたって優の何?」
「いや、この子とは、今日会ったばかりだし……」
刹音さんも、まさか戦闘ではなく、修羅場に巻き込まれるとは思っていなかったのだろう、戸惑い気味だ。
「つまり、優とはさっぱりまったく関わり合いがない、ってことでいいのよね?」
「そう言われるとどう答えていいものか……」
刹音さんが困るのももっともである。僕と刹音さんはまったく関係ないのを、僕が無理矢理関係しているのだ。刹音さんには当然、答えようがない。
というか、関係ないなどと答えられると、僕が傷付く。
仕方なく、状況を僕が説明する。
「あー、光。僕は刹音さんを個人的な理由で、退魔させないようにするために、刹音さんと一緒にいるわけだけど。これでいい?」
「……いまいち、状況が読めないんだけど」
光にそう答えられ、そんなことはないだろうが、念のために、僕は自分が言った言葉をもう一度、よく自分の中で吟味した結果。
……確かに、さっぱりわからない状況だった。
致命的なのが、僕が刹音さんを退魔させたくない理由だ。
「そもそも、これを退魔する理由なんて私にはないし」
「……まあ、そうかな?」
光はお金をもらっている訳ではなく、単に僕の付き添いで来ているだけなのだから、仕事を遂行する必要性はない訳だ。さすがは光、責任という言葉を限界まで無視するキャラだ。今まで、これほど光の反社会的な性格をありがたいと思ったことはなかった。
「理解不能なことを残しておくってのは、正直言うと嫌なんだけど、仕方ないわ。優は、理解不能な理由により、この幽霊を、守るために一緒にいると。これで間違いないわね?」
「うん」
「了解」
その後の光の行動と言動は、僕の理解を超えた。
光の霊力が、いきなり吹き出す。それは、矮小な僕など一息で吹き飛ばせそうな、暴力としての霊力。
「じゃあ、私は全力でこの幽霊を消滅させる」
「……はあ?!」
僕の行動も意味不明だったが、光の行動はもっと意味不明だった。
「さ、さっき退魔する理由はないって言ったばかりじゃないか!」
「それは嘘じゃないけど、さっき、私にはその理由ができたのよ。説明必要?」
「当たり前だよ!」
光の突拍子もない行動には、今までも何度も振り回されてきたが、今日のこれは中でも一番と言ったっていい。それほど、僕に理解できない上に、僕にとって致命的だ。
「優が、いるからよ」
理由になってないどころの話ではない。そもそも、光に説明する気がない。
そして、冗談じゃない! 刹音さんを守るどころか、危機に陥らせてどうする!
「それが嫌なら、私を止めるのね!」
それは、お互いに、理由がつかめない、戦いの合図だった。
**********
あたしから見れば、二人の行為は、理解できないものではなかった。
代償行為と、嫉妬。
案外、あたしが幽霊になってから見ることの多かった光景だった。まあ、その渦中に自分が巻き込まれるとは、ついぞ思わなかった訳だが。
どうして、こう静かに逝かせてくれないものかねえ。
まあ、この少年が満足するまでは、または自分の存在が尽きるまでは付き合ってやるつもりではあるのだが、さて、それまで持つものか。
それほどに、目の前の光と言う少女の霊力は強い。というか、桁違いもいいところだ。
……本気で、この子人間かい?
時間ばかりは長かったあたしの人生?を見ても、ここまで霊力の強い人間というものはいなかった。幽霊や妖怪に知り合いはいないので知らないが。
物の怪の類か、何かの化身ならば、納得もいこうものだが。見たところ、本当にこれで人間なのだから、現世というところは怖い。
その殺気は、あたしよりも、優に向かっている。一般人だろうが幽霊だろうが、恐怖に震え上がってしまいそうな殺気を叩き付けられて、一瞬、優の瞳がゆれる。
普通に考えれば、恐怖に負けて、この子はあたしをあきらめるだろう。もともと、何か二人の間にある訳ではないのだ、それでも、私は困らない。
そう思ったのは、あたしの本音。
でも、あたしの幽体の、ありもしない身体は、あたしよりもずっと素直だった。
あたしは、無意識のうちに、優の腕を、ぎゅっと握りしめて、優をすがるような目で見ていた。
目の前にいる、鬼より強いだろう少女を怖がった訳ではないのだ。
ただ、これ以上見捨てられるのが怖かった。
何のことはない、あたしは、この子に、あの人を重ね合わせているのだ。
この子を責めることなどできない。あたしは、長い年月をかけても、あの人にみすてられたことだけに縛られて来たのを、こんなときに自覚してしまった。
何より、ずっと感じてはいたけれど。
あたしは、見捨てられるを怨みに思ったりできなくなっていたのだ。ただ、怖がることしかできなくなっていたのだ。
怨みを持ってなったはずの悪霊としては、完全に廃業した瞬間だった。
あたしを見て、でも、優は違うことを思ったのか、ゆらいでいた目が、しっかりと定まる。
どこか覚悟した目になった優は、呪いのようなものを唱えた。
「『魔女の一振り(マホウノツエ)』!」
呼び出した杖を、素早く手に取る。正直まったくあてにしていなかったのだが、予想よりも戦い慣れているように見えた。
まあ、本人も弱いなりに祓い師だと名乗っているのだから、不思議な話ではないのだが。
それよりもあたしは、優が裏切らなかったことだけが、嬉しかった。
ガンッ!
と、次の瞬間には、杖の一撃で、優は顔面から地面に叩き付けられていた。
「……え?」
その横に、さも当然という顔で、光と呼ばれた少女が立つ。攻防も何もなく、一撃の下に勝負は決していた。
「ふん、優が私に勝てる訳ないでしょ。さあ、覚悟しな」
くいっと少女の口元が歪む。実に嬉しそうだ。あたしが悪霊と呼ばれるのなら、むしろかわてやりたいと思える凶悪さだ。
「ちょっと、光、待ち……」
「優は黙れ」
「ぐえっ」
ぐしゃ、と蛙のつぶれるような音。少女に踏みつけられて、何とか息のあった優が、動かなくなる。
「……私に対抗できる訳ないのに、本当にバカね」
ふうっ、と少女は大きくため息をつくと、今度こそ獲物であるあたしをにらみつける。久しく感じたことの無かった恐怖を、朽ちた自身で感じた。
すっ、と杖を振り上げるのに、あたしの身体はビクリと反応する。それで気を良くしたのか、少女は嬉しそうにしゃべりだした。
「大丈夫よ、あんたが本当の標的って訳じゃないもの。情けをかけるなんて私にしては珍しいけど、泣き叫ぶ優が見られそうだもの、一撃で仕留めてあげる」
……この子、本当に優のことが好きなんだろうかねえ?
会って一時間にも満たないけれど、ここであたしが消滅してしまえば、優はそれなりに心に傷を負うように思えるのに、それを、少女はむしろ喜んでいるようにさえ見える。
しかし、止めようがない。少女の霊力は、桁外れだ。怨念に支配されていたころのあたしでさえ、相手になんかならない。今のあたしなら、なおさら。
望む消滅ではないけれど、それでも、優がかばってくれたことは、嬉しかった。それがあれば、心安らかに、消滅できるとさえ思ってしまった。
ただ、この子のやり方は、苦しそうで、それだけは、やはり嫌だ。
あたしが一歩後ろに下がると、それに合わせて光という少女は前に出ようとして、しかし、動きを止めた。
倒れたままの優の手が、足をつかんで止めたのだ。
思わず、あたしの胸が温かくなる。ここまでなっても、あたしを守ってくれようとする優の気持ちが、嬉しかった。
しかし、それは光という少女にとってみれば、逆効果だったのかもしれない。ギリッと、歯を軋ませる。
「……優、静かに自分の無力をかみしめてれば良かったのに」
再度足を振り上げようとした少女よりも、今度は優の動きの方が素早かった。
「『さくらんぼ結び』!」
がくんっ、と少女の身体が揺れる。その瞬間に、優は素早く立ち上がると、あたしの手を取って、森の奥へと走り出した。
「刹音さん、こっち!」
「あ、こらっ、優、待て!」
少女の方を見ると、慌てたように、足にひっかかった草をむしっていた。
何が起こったのかわからないが、確かにそれはチャンスだった。
「優、今のは?」
「地面に、叩き付けられたときに、地面とキスしたから、むかし研究中に、考えた、実験用の魔法、使ったんだ」
息を切らしながら、優は説明してくれたが、正直さっぱり意味はわからなかった。とりあえず、草を結んで、それに少女がひっかかっただけに見えたのだが。
「大した魔法じゃないけど、それでも、案外、ひっかかるもんだしね」
しかし、それでかせげる時間など、たかが知れている。このまま逃げ切れるとは、とても思えない。霊力もそうだが、杖で殴りつけるのだって、見えないほど速かったのだ。
優の暖かい手に掴まれて、森の中を疾走する。まあ、あたしは飛んでいるので、優みたいに疲れはしないのだけど。
「優〜〜〜〜〜!!」
ただ、後ろから追いかけられるという経験は、幽霊になって初めてのものだ。あまり気分のいいものではない。
「よくもあんなチンケな魔法で!」
かなりご立腹のようだ。確かに、草に引っかかって取り逃がしたとなれば、激怒もしたくなるのはわかる。
しかし、本当にただ逃げるだけで、どうこうできるものではないのに、それでも、優はそれを見ないかのように走る。
まあ、あたしはこの茶番のような逃走に、最後まで付き合うつもりなのだが。
握った手を、思ったよりもずっと暖かく感じているのだし。
続く