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最強格闘王女伝説綾香

 

一章・始動(9)

 

 体が、軽い。今なら、何だってできる。

 私は、なのに倒れそうな私を見ていた。

 不思議な、光景だった。

 私の目は、私についているはずなのに、見てもいない部分まで全部見えるような気がした。 まるで、全部の方向から見ているように。

 目の前にいる相手との位置も、まるで定規ではかったようにわかる。それだけでなく、私の 手足の距離も。

 全部、見える。全部、感じれる。

 私の視点から見て、私の体は頭を上げる。

 目の前には私を倒した男が、構えていた。まだ、戦いを終った気ではいないようだ。

 そう、戦いはこれから。私は、今から。

 さあ、これから。

 私は、重いのに軽い体を動かすことにした。

 私の中の、意識? どうなのだろう?

 とにかく、私の中のそれは、はじけた。

 

 だって、私が負けるはずなんてないものね。

 

「綾香ぁっ!」

 浩之は、その場に崩れ落ちようとする綾香に向かって叫んだ。叫んだところで、どうにかなるもの ではなかったが、浩之にはそれしかできなかったのだ。

 綾香が負けるなんて、ありえない!

 当の綾香よりも、浩之はそれを知っていた。綾香は、本当に強いのだ。

 しかし、目の前で綾香は敗北をきっしようとしている。同じような怪物相手に。

 綾香、お前は、怪物なんだろ!?

 浩之は心の中で叫んだ。テンプルにフックがきまったのだ、立ちあがれるわけがなかったが、 浩之は綾香に駆け寄るよりも、綾香が立ちあがることを祈ってその場から動かなかった。

 綾香は、ゆっくりと上体を前に倒していく。まるで重力に逆らうことができなくなったように。

 もう、綾香には、重力に逆らう力もないのだ。

 綾香の、負けだ。浩之は客観的にそれを分かっていたのにもかかわらず、それを認めようと しなかった。

 それはもう希望などではない、願望でしかなかった。

 浩之は、それでも、綾香の姿を目を背けずに見ていた。最後の最後まで、綾香を信じて。その 幻影にすがって。

 ピタリッと綾香の動きが止まる。重力に逆らい、その不安定な状態のまま。

 そして綾香は、スッと頭だけを上げ、修治を見たのだろうか、浩之には分からない。

 ただ、修治の目は大きく見開かれた。驚愕、という言葉をそのまま表情にしたような顔。

 その表情は物語っていた。あの一撃で、決まったはずなのにと。

 そして、修治は後ろに飛びのいていた。

 ブゥンッ!

 風を切る音がして、綾香の大ぶりのパンチは空振りした。

 まったく、洗練されたところなどなかった。いつもの相手に一直線に向かっていく正拳突きと 比べて、それはモーションも隙も大きければ、スピードもなかった。

 少なくとも、浩之にはもう綾香に戦う力が残っていないと思った。あんな綾香のパンチなど、 見たことがなかったからだ。

 だが、修治は後ろに飛びのいていた。カウンターどころか、反撃さえせずに。

 ゼハッ、ゼハッ、ゼハッ

 綾香の、荒い息だけが道場の中に響いていた。見ている浩之や雄三もそうだが、修治でさえ一歩 も動かない。

 ……わざわざ綾香に回復の時間を与えているのか?

 修治がまったく綾香を攻めないので、浩之はそう考えた。しかし、修治はそんな余裕のある顔 ではなかった。

 まあ、確かにあの一撃をくらって立っていられるのに驚いても不思議じゃないが……本当にそれだけ なのか?

 ゆっくりと、綾香は修治に近づいていく。無駄な動きが多く、そしてぎこちない。浩之には、 それはまるで綾香が負けに向かっているようにさえ見えた。

 ゼバッ、ゼバッ、ゼハッ

 変な話だが、規則正しく荒い息が響く。まったく同じスピードで、少しもそれ以上乱れることも、 それよりも落ちつくことなく。

 射程圏外、浩之がまだそう思っている距離で、綾香が動いた。

 ズダァンッ!

 綾香の上段回し蹴りは、修治をガード上からたたいていた。そして、その威力に、修治のその 巨体が2メートル近く横にはじき飛ばされる。

「っ!」

 浩之はあまりの事に声を失った。

 完全に射程外だった。どんな攻撃も届かないと思った距離で、綾香は動いていた。そして、浩之 も驚くほどの瞬発力で、修治との距離を縮め、上段回し蹴りをきめたのだ。

 そして、その威力も恐るべきものだった。綾香の打撃は確かに強いが、あれだけの巨躯の、素人でも ない、むしろ怪物と言っていいほどの男を2メートルも飛ばすような威力は持っていなかったはずだ。

 ゼハッ、ゼハッ、ゼハッ

 綾香は規則正しい荒い息を続けながら、ザッと後に一歩下がった。

 そして、飛んだ。

 スパーンッ!

 修治は、その綾香のほぼ予測不可能な蹴りを、ぎりぎりのところでガードした。しかし、あまりの 威力に、腰と脚を落として威力を殺すだけでは足らず、そのまま体を後転させることで威力を消す。

 タンッと修治は手をついて後転からすぐに立ちあがって綾香と距離を取る。

 打ち下ろすような飛び上段後ろ回し蹴り。まったくふりをつけずに綾香は3メートルほどの 距離を飛んだのだ、それも異常な早さで。

 ここまで来て、浩之にも分かった。修治が、何故あそこまで警戒しているのか。

 綾香の瞳は焦点がさだまっていない。しかし、彼女には修治の動きも、距離も、全て見えている ようであった。

 そして、その荒い息は、体を休めるためではない。無理に、体に酸素を取りこもうとして いるのだ。その尋常ではない動きをするために。

 強い、その一言だった。あの修治でさえ、どうにもできない強さ、今の綾香にはそれがあることを、 浩之は肌で感じた。

 そして、その綾香の強さを一身に受ける男は、笑いだした。

「ふふ、ははははははっ、そうか、これがあんたの本当の強さってわけか」

 綾香は、修治の言葉に何も答えない。相変わらず、荒い息を続けるだけだ。

「んじゃあ、俺も本当に本気出さなくちゃいけないよな」

「修治!」

 今まで沈黙を保っていた雄三が、修治に向かって叫んだ。

「ならんぞ、修治!」

「んなこと言われたってなあ」

 修治は、にやけながらゆっくりと息を吸う。

「こんな強い相手、世の中に何人もいるわけないんだ、楽しませてもらうぜ!」

「やめぬか、修治!」

「……それに、相手さんもやる気満々なんだよな」

 その声に反応したように、綾香がぎこちなく歩きだした。修治も、同じように距離をつめる。

「さあ、これで決着だ。うらみっこなしだぜ」

 綾香と、修治の体が、それぞれの勝利を確信して、動いたと思った瞬間だった。

 激しい音をたてて、修治の体が横にふき飛んだ。

 

続く

 

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