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最強格闘王女伝説綾香

 

一章・始動(24)

 

 由香が、動きを止めた。

 なっ!

 葵がそれに気付いたときはもう遅かった。葵の上段回し蹴りは、もう打たれた後であった。

 ブウンッ!

 由香の頭すれすれを、葵の上段回し蹴りが通りすぎた。

 技を誘発されたのは自分だったのだ。そう葵が後悔しても後の祭りだった。どんなに早く体勢を 整えても、隙があるのを消すことはできないのだ。

 しかし、上段回し蹴りを外したというのに、由香は動かなかった。

 そのわずかな隙をついて、葵は体制を立て直し、ジャブを打つ。本当は攻撃しても意味があるとは 思わなかったが、とっさのことだったのだ。

 由香はその攻撃を避ける。反撃する気はないようだった。

 葵はそれを好機と踏んで、今のうちに距離を取った。

 まさか、上段回し蹴りまで避けられるなんて。

 というより、技を避けられたのではなく、技を出すのを読まれたのだ。由香の前に出ると言った 言葉も、葵に攻撃を誘発させるための手段でしかないのかもしれない。

 とにかく、葵は得意の上段回し蹴りを避けられてしまったのだ。それのショックは当てるつもり だっただけに大きい。

 由香がその後攻撃してこなかったのは不思議だが、葵には十分それはダメージを当てていた。

「わあ、すごい蹴りだね。思わずみとれちゃった」

 由香は嬉しそうに葵にそう言った。みとれて攻撃ができなかったなどというわけがないので、 葵は手加減されたのだと思った。というか、手加減以外では、そこで攻撃しない意味がない。

「でも……」

 由香は、にこやかだった。

「見せてもらったよ、ハイキック」

 ゾクッとまた葵は背中に悪寒が走るのを感じた。

 殺気はないのに、由香の言葉や目は、葵をおびえさせる。

 外見どころか、気配さえ強そうに少しも見えないのに、葵は由香が強者だと感じる。

 そして、自分の動きを全て由香に読まれている錯覚を覚える。

 今までこんなタイプの相手はいなかった。葵が今まで目にしてきた強い格闘家とは、何かの一線 が離れている。

 何より、今その得体の知れない強さを持った相手と、自分が対じしているという恐怖。

 今の葵は、相手がどんな強い相手でも、物怖じするようなことはない。しかし、由香はその強い 相手という定義に反するのだ。しかし、それでも由香は強い。

 由香さんは強い、現に、今自分が簡単に手玉に取られているではないか。

「すごいハイキックだね〜、私の知り合いにだってこんなすごい蹴りを打つ人はそんなに多くは いないよ」

 由香は葵のことをベタ誉めしていた。しかし、葵にはそれに言葉を返す余裕がない。

「うっかり知らずにハイキック受けてたら……うーん、寒気がしちゃうね」

 この人は、恐い。

 一撃さえ受けていなに葵だが、この試合中にさえのほほんと会話をしようとする由香を見ていると、 今まで感じたことのない恐怖に囚われそうになる。

 どうすればいい? どうやったら勝てる?

 ……違う、どうやって勝つと言うのだろう?

 無理だ、今の私では、由香さんに勝つのは無理だ。

 葵には由香がどこまで本気なのかは分からなかったが、もし由香がそれなりに本気を出している 状態なら、綾香や、もしかしたら坂下にさえ格闘技能では劣るような気がしていた。

 しかし、格闘技能ではなく、違うもので由香はその2人さえ簡単にしのいでいるような錯覚を 葵はうけるのだ。

 それを何かとはっきり口にすることは葵にはできなかったが、確かに、この由香は強い。それ だけが葵の心に刻まれていた。

 それだけに、また葵は由香に手を出しにくくなる。いくら実力差を攻撃して埋めるしかないと 分かっていても、戦術がない、どう攻撃していいのか。思いつかないのだ。

 一方、見ている浩之としては変な試合だと思っていた。

 由香は試合中だと言うのにニコニコしながらしゃべっている。葵は、それとは正反対に真面目な 顔で隙なく構えたまま由香の動きを油断なく観察している。

 そして、両方とも攻撃が極端に少ない。一度ぶつかり、何発か打撃の応酬を交わすと、また葵から 距離を取る。しかも、由香もそれを追いかけない。

 膠着状態と言うより、浩之にはどちらも膠着状態を故意に作り出そうとしているようにしか見え なかった。

 それは由香の手加減なのかもしれないが、浩之にしてみればそれなりに積極的にやってくれなけれ ば葵の練習相手にならず、あまりいいことではなかった。

 しかし、葵も動かないのを見ていると、恐らく2人とも相手を警戒し、そしてフェイントのかけあい をしているのだろうと勝手に納得するしかなかった。

 2人より格闘経験の少ない浩之は、葵に攻めろとアドバイスなどできず、見守るしかないのだ。

 もっとも、もし浩之に攻めろというアドバイスを受けたとしても今の状態の葵にはそのアドバイス を実行することは不可能なのだが。

 攻める方法がない。

 もちろん、普通にやればそれなりに善戦できるだろうが、所詮は善戦であり、どうやっても由香に 勝つビジョンが見えないのだ。

 由香も、何と言っても攻撃は全て避けたりガードしたりしている。つまり、葵の攻撃が見えている わけで、ラッキーパンチに当たってもらおうというのは不可能そうだった。

 となると普通はフェイントを駆使することになるのだが、それこそ葵にとってみれば恐いこと だった。葵の動きは、今まで全て由香に読まれているのだ。生半可なフェイントの通じる相手では ないことは十分に分かる。それどころか、下手をすればフェイントを完全に読まれてこっちが一撃 を受けることも考えられるのだ。

 攻撃しなければ勝てないのに、攻めても勝てる方法がない。

 葵に残された戦法は、スピードでかく乱することだった。由香の打撃のスピードはそこまで 早くない。動きを読まれればどうしようもないが、単純にスピード勝負をすれば勝てるはずだ。

 そうやってスピードでかく乱して、隙をついて、全力で打撃を入れる。

 葵は無謀なギャンブラーではない。しかし、格闘家ではあった。ここで勝ち目が薄いからと言って 攻撃をとどまる意味を感じなかった。

 葵は、覚悟をきめて、由香に向かって一歩踏みだした。

「終わり!」

 そのとき、いきなり浩之が2人の間に割って入った。

「え、センパイ?」

 葵はあわてた。葵に勝てる見こみがないから浩之がわって入ったのかと思った。

「まだ私やれます!」

 そんな葵を見て、浩之は少し苦笑した。

「時間だよ、葵ちゃん」

「え?」

「5分たったよ。試合は終わりだ」

 葵は、そこではじめに試合時間をきめていたことを思いだし、そして自分の言った言葉を考え、 つでに苦笑した浩之を見て赤面した。

 

続く

 

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