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最強格闘王女伝説綾香

 

一章・始動(25)

 

「もう5分もたっちゃったんですか?」

 葵にとってはまだ1分も戦っていない気分だった。浩之が、葵が由香に勝てそうにないと思って 嘘をついたのではないのかと思ったほどだった。

 しかし、そんなわけはないので、葵の気がつかない間に時間が過ぎていたことになる。

 まだ、少しも戦ってないのに。

 それが葵の素直な気持ちだった。確かに、勝てる見こみはほとんどなかったが、まだやりたい という気持ちは大きいのだ。

「あの、由香さん、よろしければもう1セット……」

 葵は無理を承知で由香にそう頼んでいた。負けるにしても、納得がいかなかったのだ。

 しかし、由香は笑いながら葵の要求を拒んだ。

「だめだよ、葵ちゃん。試合ってかなり体力消耗するんだから。とくに異種格闘技なんて全然 しないんでしょ?」

「そ、そうですけど……」

 いつもならききわけのいい葵だったが、今は納得できなかった。由香の言っていることは正しいが、 まだ少しも反撃してない、もっと言えば由香の戦術を見ていないのだ。

「でも、まだこんなに私元気ですし、これだけだと由香さんが来てくれてるのにもったいない なって……」

 自分がわがままを言っていることが分かっていても、葵は食い下がった。由香を恐いと思ったが、 その試合が終ってみるとまだ戦いたいと思ってしまうのだ。

 こういう押される場面で、何度も努力をすることによって、葵はここまで強くなってきたのだ。 強い相手というのは、葵にとっては心地よい障害なのだ。

「まあまあ、私も一応プロレスの仕事もあるしそれ以外の仕事とか、練習とかしてるとそんなに 来る暇はないけど、また暇があったら来るから」

 久しぶりにあった友人達が別れをおしんでいる。浩之にはこの2人がそう見えた。葵の話によると、 今朝会ったばかりらしいが。

「ん? 由香ってプロレス以外にも仕事があるのか?」

「あ、別に仕事って言っても道場の掃除とか、炊事とか雑用とかだけどね〜。もう新人って わけでもないけど、そういう仕事しないでもいいようなベテランでもないし〜」

 考えてみれば由香がプロレスラーなら、こんなところで高校生の相手をしている暇などない はずなのだ。プロを名乗るからには、練習量も並半端なものではないはずだ。

「実を言うと、今日はちょっと友達に無理言って来てるから、あんまり付き合ってあげれないんだ。 ごめんね〜、葵ちゃん」

「いえ、それだって、私のわがままですし……」

 ただ、浩之から見ると由香はまったく無理をしていないとは言わないが、半分それを口実に 試合を避けようとしているようにも見えた。

 これはただ浩之がそう見えただけで、由香に試合をしない理由もないのだから、単なる言いがかり みたいなものだった。

 いや、むしろ試合をもう一回しないのは葵ちゃんにとって有利なのかも……

 葵と由香は試合中に、攻めあうことは少なかったが、由香の表情は余裕で、葵がどこかあせって いたのは浩之にも分かっていた。

 もとから葵は試合中に余裕のある表情をする人物ではないが、それにしても余裕がなかった。 つまり、由香に押されていた。

 クリーンヒットは一発あったが、葵の攻撃は少し避けられたもの以外はすべてガードの上から であり、由香の様子を見てもダメージを受けた様子はなかった。それに対して、由香の攻撃は一度 葵のガードにあたった以外は全て避けられている。打撃や体のスピードから言えば、葵の方が由香より 速いのだ。それに、葵はいつも綾香のあの異常な速さを体験している。スピードの面では、葵は 由香に勝っていた。

 だが、押していたのは由香だった。浩之が見ても、由香の方が押していた。どうして由香の方が 押していたのかは分からないのだが、ただ葵が押されているのだけは浩之にも分かったのだ。

 あのまま戦っていたら、葵が勝つにしても、無傷とは言えないだろう。異種格闘技を経験させる ことを考えて浩之が葵と由香との試合を了解したのに、それで葵が怪我などをしてしまったら本末転倒 もいいところだ。

 そういう意味で、ここで由香が再戦を望まないのは、結果的に葵の利益になると浩之は判断した。 由香が何故それを回避しようとしているかは別としてだ。

「葵ちゃん、由香も忙しいようだし、今日は一回でも相手してもらったことでよしとしようか」

「はい、そうですね……」

 葵は残念そうだったが、自分のわがままをずっと通せるような性格ではなかったし、由香だけで なく浩之にもそう言われて引き下がるしかなかった。

 葵は、改めて由香に頭を下げる。

「由香さん、今日は本当にありがとうございました」

「いいって、葵ちゃん。今日は私も楽しかったしね〜」

 そう言うと由香は葵の手を取ってぶんぶんとふる。

「今度うちの興行のチケット送るから見にきてね〜」

「はい、必ず行かせてもらいます」

「浩之君も葵ちゃんに手出したらだめだよ〜、つかまるよ〜」

「なっ……」

 浩之はその由香のどう見てもおちょくっている言葉に一瞬ピクッときたが、とりあえず心を 落ちつけて言い返す。

「あんたも、夜に出歩いて未成年と間違われて補導されないようにしろよ」

「夜に歩いたくらいで今時補導されたりしないよ〜だ。それに若く見えるのは女の子にとっては いいことだもんね」

 由香はそう言って浩之の言葉をたたきふせる。

「あ、あの、と、とにかく、本当に今日はありがとうございました。勉強になりました」

 葵は一瞬2人のペースに流されそうになったが、何とかそれに持ちこたえて、由香にそうお礼 を言った。

 由香はにこやかに、浩之はしぶしぶと言った感じで言い合いを止める。どうも由香にかかると 浩之はペースを乱されるようだった。

 結局、由香はすぐに帰るようだった。本当に友人に雑用をおしつけてここに来たらしい。

「また来たいけど、いつになるかわかんないから、来るときは電話するね〜」

「はい、お待ちしてます」

「じゃあ、今日はこれで〜、2人ともバイバ〜イ」

 由香はビッと手を上げると、軽く別れの挨拶をして帰っていった。はっきり言って軽い。

「また来てくださいね〜」

「2度と来るな〜」

 2人の別れの言葉は、どちらも本音であった。とくに浩之のは。

 

続く

 

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