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最強格闘王女伝説綾香

 

一章・始動(26)

 

「……何か嵐の去った後って感じだな」

「ええ、そうですね」

 浩之の比喩に、葵は苦笑しながら同意した。

 由香が去ってみると、いつもは思わないのにここが非常に静かに感じたのだ。

「まあ、まがりなりにもプロと戦えたんだし、よしとするか。葵ちゃん、参考になったかい?」

「え、それが……」

 葵は小声になった。

「由香さんが強いのはわかったんですけど、参考になったかと言われると少し……」

「はは、正直だな、葵ちゃん」

 浩之は笑って葵の言葉を容認した。だいたい、浩之にとっても、由香が強いということ以外、 何も有益なことは覚えられなかったのだ。

「しかし、プロレスラーってのは全部あんなのなのか?」

「さあ、由香さんが特別なのかもしれませんけど、何とも言えないです」

 2人は由香との戦いを思い出して少し寒気を感じた。由香が強いということは分かっていても、 それを生かせない。まるで実力を出すことができないのだ。と思うと別に強さを見せつけられて負けた というわけでも、浩之は少しはそうだが、ない。

 正体がまったくつかめないのだ。終ってみてもまったく戦った気がしない。

 だからこそ、葵が最後に無茶を言ってもう一度再戦しようとしたのだが。

「由香さんの強さの正体は全然つかめませんでした。唯一分かったのは打撃のダメージを流さずに ガードして反撃を狙っている部分だと思ったんですけど……それも、後半戦には攻撃を避けられるように なってましたし……正直、戦術もつかめませんでした」

「葵ちゃんでもか……」

 葵は確かに頭で考える方ではないが、それにしたって浩之とは経験が違う。何よりあの綾香を いつも相手にしているのだ。並の相手の戦術ぐらい読めても不思議ではない。

「私では全然だめでしたけど、綾香さんがいてくれれば、何かわかったかもしれません」

「あ、綾香か。まあ、今日はさすがに来るのは無理だろうな」

「え? 綾香さんどうかしたんですか?」

「あっと、葵ちゃんには俺が行った道場の話まだしてなかったな」

「組み技系の道場を探すって言ってましたけど、あれのことですか?」

 浩之も今日葵に会ったらまず話そうと思っていたのだが、葵から先に由香のことを話しだしたので 今まで忘れていたのだ。

「ああ、それのことだ。昨日行ってきた。セバスチャンの紹介らしいな」

「セバスチャンさんと言うと……綾香さんの家の執事さんですね」

「ああ、葵ちゃんは何度か会ったことあるんだっけ?」

「はい、お話しはしたことがありませんけどけっこう会ったことありますよ。よく綾香さんの試合 とかに一緒に来てましたから」

「ふーん、なるほどな。で、そのセバスチャンの紹介で行った道場なんだが……そこにいたやつが また強いのなんのって……」

「そんなにですか?」

 葵は少し体を乗り出してその話を聞く。やはり強いという言葉には敏感に反応するようだった。

「ああ、俺の攻撃は一発も入らない上に、相手の一発で俺はKOさ。修治って言って、そこの師範の 孫らしい。20ぐらいじゃないかな、体もかなり大きかったぜ」

「センパイが相手にならないいいですか……」

 さっき浩之が由香に余裕で負けたのを葵は覚えてないようだった。と言うより、葵は浩之の強さ にある意味幻想を抱いているのかもしれない。

「で、そいつが綾香を挑発してなあ……」

「えっ!?」

 葵は驚いて大きな声をあげた。

「綾香さんを挑発したんですか? そんな恐いこと……」

 本気で葵は恐がっているようだった。浩之よりも綾香との付き合いの長い葵だ。挑発を受けた 綾香の恐ろしさを今まで近くで見てきたのだろう。

「で、結果綾香とその修治ってやつが戦うことになったんだが……」

「……その修治って人も、すごい恐いもの知らずですね」

 もしかして綾香のやつ葵に今まで恐怖植え付けてきたんじゃないのか?

 そう浩之が疑うほど、浩之には葵はおびえているように見えた。

「あの戦いは……言葉ではうまく言えないな。あれは葵ちゃんにも見せたかったな」

「そんなにすごかったんですか?」

「ああ、すごかった。綾香もすごいが、修治はもっとすごかった。あの綾香を追い詰めたんだぜ。 葵ちゃんには信じられるか?」

「綾香さんを!?」

 葵が驚いた今日出来事の中で、その話を聞いたときの驚きが一番大きかった。

「そんな、綾香さんを追い詰めるなんて、全国クラスの人にだってそうそうできないんですよ!」

「ああ、だが修治はやってみせたよ。綾香の渾身のストレートを避けて、その腕を取っての 一本背負い。あんなのできるやつがいるなんて、世の中は広いよな」

「……それで、綾香さん負けちゃったんですか?」

 ゴクッと葵はつばを飲みこんだ。葵にとって綾香は軍神に近いのかもしれない。葵は一度も綾香 の負けるところを見たことがないのだろう。そして、これからも負けることはないのではないかと 葵は本気で信じているのかもしれない。

「……負けそうだった。あの綾香が、負けそうだった。修治のフックが綾香のテンプルを捕らえて、 俺は全然信じられなかったが、綾香が負けるんだなと思った」

「嘘です!」

 葵は、力をこめてそう叫んだ。

「嘘です、綾香さんは、負けません!」

 目に涙をいっぱいにためて、葵は浩之の次に出るだろう予測される言葉を否定した。

「絶対……そんなことありません。綾香さんは、私の知ってる中で、一番強い人なんです……」

 浩之は、ぐしぐしと半泣きのまるで子供のような葵の頭をだきしめてなだめる。

「大丈夫だよ、葵ちゃん。綾香は負けなかったから」

「本当……ですか?」

 葵は浩之の胸に抱かれたまま恐る恐る浩之に聞いた。

「ああ、綾香は負けなかった。もうその一撃できまったと思った瞬間から、綾香は反撃に転じたよ。 しかも圧倒的な力を持って」

 浩之は目を閉じれば、あの光景を完全に思い出すことができた。あの規則正しい荒い息、まったく 洗練されていないぎこちない動き。そして、異常を通りこしたあの身体能力、速すぎる攻撃。

 全てが、浩之が初めて体験したものであり、あんな強烈なものは、おそらく二度と見ることは できないだろうし、それでも浩之の記憶から抜けることは死ぬまでないであろう。

 あの、陳腐な言い方なら人間を超越したのではないかとさえ思われる綾香を。

「セバスチャンは『三眼』とか言ってたな」

「さんがん……」

 その奇妙は響きのある言葉を、葵は小さく言い返した。

「ああ、三つの眼って書くそうだ。いや、言葉なんかどうでもいいのかもな。とにかくアレは……」

 アレは……そう、アレはまるで。

「アレは人間じゃない、怪物だ」

 その美しき怪物に、浩之は少しの間思いをめぐらせていた。

 

続く

 

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