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最強格闘王女伝説綾香

 

一章・始動(28)

 

 浩之は、綾香の部屋にいた。何も綾香に誘われて、というわけではなく、綾香の看まいに来た のだ。

 セバスチャンが少しもしぶることなく綾香の部屋に通してくれたのは、浩之にとってはかなり 驚きだった。話によると、どうも綾香は体が痛いぐらいでは大人しくしてくれないらしい。今日も 何度も部屋を抜け出そうとし、それを止めるもの面倒なので、このさい浩之に話し相手をさせる つもりのようだった。

「綾香お嬢様に手を出したら、分かっておるよな、小僧」

 セバスチャンはヤクザが裸足で逃げ出しそうな形相でそう言ったが、浩之にしてみれば何て無理 を言うんだこのおっさんはという気分であった。

 綾香を襲ってしまわない自信がないわけではなく、まったくその反対を突っ走れるというものだ。 はっきり言って全身筋肉痛であろうと綾香に浩之が勝てるわけがないのだ。そんな恐いこと、浩之は 拳銃を渡されてもしたくなかった。

 葵にはああ言ったが、本心半分、冗談半分といったところだった。実を言うと、一人で綾香の 看まいをしてみたいと思ったのが一番の理由なのだ。

「へー、葵が勝てなかったんだ」

「おいおい、そう言うと葵ちゃんが負けたみたいじゃないか。葵ちゃんは確かに勝ってはないけど 負けてもなんだからな。単なる引き分けだぜ」

 綾香の物言いを浩之がそう否定した。

「でも、押されてたんでしょ?」

「あ、ああ、確かにそうなんだが……」

「何よ、歯切れが悪いわね」

 綾香はそう言いながらベットから体を持ち上げる。

「いだだだだっ!」

「綾香、まだ寝とけって」

 浩之はベットから上半身をあげようとした綾香を止めて、ゆっくりと細心の注意をはらいながら 綾香をベットに寝かせた。

「綾香は昨日『三眼』なんて無茶してんだ。今日1日ぐらいはおとなしく横になっとけよ」

「うー、だって、暇なんだもん」

 綾香はじたばたと暴れようかと思ったが、体が痛かったし、何より浩之がやさしくベットに綾香の 体を横たわらせようとしているのがくすぐったいが心地よくて、やめておいた。

「だから俺がわざわざ部活後に話し相手として来てやったんだろ」

「そういや、浩之が私の家に来るのってこれが初めてだっけ?」

「ん? いや、一度先輩に連れられて来たことはあるが、そういや綾香の部屋に入るのは初めて かもな」

「かもなって、浩之が忍びこんでいないかぎり、浩之を部屋に入れたのは初めてよ」

「さすがに来栖川の屋敷に忍び込む勇気は俺にはないな」

 その気になればそれぐらいはやってしまいそうな感もある浩之ではあるが、とりあえず記念すべき 初めての綾香の部屋に入るにあたって、実は浩之は感慨深げに思っていたりする。

「で、どう? あこがれの綾香様の部屋に入った感想は?」

「誰があこがれてるって?」

「あはは、冗談冗談。でも、本気でどう?」

「そうだな……ちょっと感動してたりする。考えてみれば俺も女の子の部屋になんかあかりの部屋 ぐらいしか入ったことないしな」

「あれれ、浩之ってけっこう奥手なんだ」

「奥手というか……普通、不特定多数の女の子の部屋に行く機会なんてそうそうないぞ」

「……まあそうか。むしろ多く行ったことのある方がおかしいのか」

「だろ。そいつってよほどの女ったらしか家庭教師のバイトしてるかだぜ」

 綾香はにんまりと笑う。

「浩之は女ったらしだから女の子の部屋に入るなんて日常茶飯事かと思ったのに」

「誰が女ったらしだって?」

「浩之。今日も私が部活に顔出さないことをいいことに葵にあんなことやこんなことを……」

「人聞きの悪いこと言ってんじゃね〜よ!」

 浩之はそう言いながらもベットに寝かした綾香の体にシーツをかけてやる。

「しかし、思ったよりも普通の部屋って言うか、金持ちの女の子の部屋してるな」

「どんな部屋よ、それ」

 綾香の部屋はかなり広くて、置いてあるものも高そうではあったが、基本的に上品でシンプルな 家具に統一してあり、ケバケバしさとは無縁のものであった。

 それよりきっとスポーツジムのような部屋なのではないかとも思ったぐらいだが、部屋に置いて ある格闘技に関連しそうなものは雑誌や本がいくらかあるだけだ。道具の類は鞄の近くにころがって いるウレタンナックルぐらいだろうか。

 ただ、片付けてあるのにどこか小奇麗な感じがしないのは、あはりこの部屋の持ち主のせいなの かもしれない。

「バーベルぐらいは置いてあるかなとか思ったんだが」

「そういう道具って全然部屋には持ち込まないわよ。ちゃんと運動するにはその専用の部屋が あるんだから」

「お、それを聞くと金持ちなのかなとか思うな」

「実際金持ちなの、うちは」

「いや、そうだろうけどな。綾香といるとそんな実感わかなくてな」

「ひどいわね〜、それじゃあまるで私がびんぼ〜みたいじゃない」

 浩之と綾香はそうやって2人で冗談をかわしあう。何度もやってきたことだし、多分これからも 何度もするだろうけど、きっといつまでもあきないだろう。そう2人とも思えた。

 そして最近は、そういう会話の中でポツンと2人とも何も話さない短い時間ができるように なった。そのとき、綾香と浩之はいつも目を合わせる。そして、またちょっとだけぎこちなく、 そして少しだけ嬉しそうに、話をまた始めるのだ。

「……ありがと、浩之」

「き、気にすんなよ」

 しばらく、2人は顔を赤くして無言になった。綾香などは、自分の言った言葉に自分が顔を赤く してしまったことにいらだちさえ覚えたほどだ。

 でも……たまには、こういうのも悪くないかな?

 甘えれるときは徹底的に甘える。綾香の持論であり、つい最近まで実行される機会のなかった ことであった。

 甘えるなんて行動、浩之に出会わなければ、この先そのことを経験できたかどうか不安になる ぐらいだ。

「よくセバスチャンが浩之を屋敷の中に通したわねえ。しかも私の寝室まで」

 でも、こうやって恥ずかしがっている時間さえ2人にはもったいないような気がして、綾香は いつもの表情でそう話題を出した。

「ああ、どうもお前が安静にしないんでこまりはててたみたいだぜ」

 浩之も、そうやってお互いに顔を赤らめるのは2人らしくないと思って、その話題に普通の 表情で答えた。もとから息はあっているのだし、合わせるのは簡単だった。

「だって、ほんとに暇なんだもん」

「つってもその体じゃあ普通に歩くこともつらいんじゃないのか?」

 体を起こそうとしただけで強がりの綾香が痛がるのだ。普通に歩けるとは思えなかった。

「……正直言うとね、かなり。とりあえず医者は単なる筋肉痛って結論を出したからおおげさな 看護とかはまぬがれたけど、動くだけでもかなり痛いわ」

「じゃあ、しゃべるのもか?」

「……うん、一応しゃべるだけでも痛みはあるよ。というか浩之の方を見るために首を横に向ける だけでも痛い」

「だったら、今日は帰ろうか?」

 綾香の心配をしてお見舞いに来たのに、綾香の状態を悪化させては意味がないと思い、浩之は 立ちあがる。

「いいから、そこにいて」

 綾香はそんな浩之を、やさしく引きとめた。

「暇なのはほんとのことだし、その由香ってプロレスラーについても話聞きたいしね」

「そんなのまた後でもいいだろ?」

 浩之はだだをこねる綾香をそう言って諭す。もっとも、それぐらいでおとなしくなるような綾香 でないのは十分承知はしていたが。

「やだ、今話して」

「あのなあ……子供じゃないんだぜ」

「話してくれないと……今から暴れてやるわよ」

「……お前、それって痛いのは自分じゃないのか?」

「でも、浩之止めるでしょ?」

「まあな。わざわざ看まいに来たのは綾香が痛がるのを見るためじゃないからな」

「だったら話してよ。浩之がそれの話してくれるんなら今日は静かにしてるから」

「……しゃあねえなあ」

 浩之は、あの葵と由香の戦いを思い出した。

「あれは……正直、俺にもよく分からない試合だった」

 浩之は、そう話を切り出した。

 

続く

 

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