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最強格闘王女伝説綾香

 

一章・始動(32)

 

「お、女〜っ!?」

 この手の言葉は坂下にとっては珍しくない類の言葉だった。ただ、驚いている基準が女が主将を やっていることにか坂下ほどの強さの人間が女なのかということにかの差だ。

 この寺町という男子がどこまで話を聞いているのかは知らないが、おそらくこの驚きかたは女が 空手部の主将であることに対する驚きだろう。

「は、話が違う……」

 ショックのあまりその場にひざをつく寺町を、坂下達は半分面白げに、半分怪しげに見ていた。

「ちょ、ちょっと部長っ」

 あわてて南渚の部員の一人が寺町を引き起こす。しかし、それに気付かないぐらい寺町はショック を受けているようだった。

「みっともないまねはやめてくださいよ、部長」

「……はっ、中谷か。俺は一体……」

「ちょっと、部長。正気に戻ってくださいよ!」

 できの悪い漫才を見ているような気分になって、坂下達はどういう表情になればいいのかをきめ そこねた。

「……ねえ、この人達って空手部の人で、漫才部とかじゃないですよね?」

 森近はかなり失礼なことを坂下に耳打ちしたが、坂下もそれをとがめる気にはなれなかった。 まさにできの悪い漫才そのものだったからだ。

 そうしている間にも、そのできの悪い漫才は続いていた。

「そうだ、練習だな、練習。今日は県でも強豪の空手部との合同訓練があるから……」

 心ここにあらずと言った感じの寺町が、呆けた顔でそんなことを口走っていた。

「部長、だからここが強豪の空手部ですって」

 その部員、中谷は寺町の肩を持ってぶんぶんと寺町の頭をふった。

「先生が言っていたのはここの空手部ですって!」

「し、しかし、先生の話ではその空手部は強豪でとくにそこの部長は鬼のような強さだと」

 ププッと笑いが起こる。もちろん、鬼という表現に対してだ。

「なるほど、そこの顧問はかなりいいセンスしてるな。坂下に鬼なんてぴったりじゃないか」

 残りの部員の心情をほぼ完璧にトレースしてそう御木本が言う。というかそんな恐いことは 命知らずの御木本以外には言えそうもないが。

 それを目撃した中谷はあわてて寺町をたしなめる。

「部長、失礼じゃないですか」

 それは主将を女がやっていることにショックを受けていることなのか、それとも坂下を鬼と表現 したことに対することなのか、はたまた両方なのか。

「いや、これでは話が違う。せっかく県でも強豪の空手部との合同練習で、うちのレベルを向上 させようと思ったのに……」

 坂下は大きなため息をついてから、その下手な漫才に割って入った。

「主将を私がつとめて何か不都合でもあるの?」

 直にそう言われてさすがに寺町も言葉を濁す。寺町が坂下の殺気に気がついているかは別に して、とりあえず正気は戻ったようだった。

「いや……そういうわけではないが」

「それとも何、女子相手じゃあ話にもならないとでも言うつもり?」

 一陣の「恐怖」という風が空手部全員の間に吹いた。片方にはその声の中に含まれる殺気に、 片方はもっと直接的に今までの経験から。

 池田以下部員数名がじりじりと坂下との距離を縮めていく。もしここで坂下が暴れ出したら、 この人数をもってしても止めるのには一苦労だからだ。切れる前に取り押さえたいところなのだ。

 坂下にもプライドが、しかもかなり高いレベルで存在する。こういう言い方をされて黙って おくほど、坂下は温厚でも臆病でもなかった。

 誰もが、その坂下の気迫に押されて、意見を覆すものだと思っていた。

 しかし、寺町の答えはここにいる坂下を除く全員をおびえさせる言葉だった。

「……正直、女子と男子では強さが違いすぎると思います」

「へえ……」

 坂下のどこか楽しげな口調に、みな凍りつく。動けそうなのは、池田と御木本だけだ。そして、 坂下を取り押さえるには、この2人、訂正すると御木本が止めようとはしないので池田だけになるが、 無理と言ってもよかった。

「女子と男子とではまず身体の創りが違う。これは鍛錬とかどうとかで何とかなるものではない。 失礼だとは思うが、俺の正直な意見です」

「……言ってくれるわね」

 それは本当の話だ。男と女ではどうしても差が出てしまう。

 しかし、坂下にはそれを覆す理論がある。いや、理論と言うか、この世に存在する混沌と言うか ……つまり、どうにかなるということを知っている。

「まあ、このさいそれは置いておいて、予定通り合同練習をしたいのですが。言うだけ言っておいて 自分勝手だとは思いますが」

 この寺町という男には悪意はないのを坂下は分かっていた。それに、寺町がそう言うのも分かる。 何せ、今まで寺町は知らないのだ。

 この世には怪物が存在することを。

 そして、怪物でない坂下としても、それを言って理解してもらえるとは思っていなかった。

「いいわ。とりあえず練習は始めましょう」

 坂下はそう言うと、寺町にむかってすっと手を差し伸べた。

「よろしくね、寺町さん」

「はい、ええと……」

「坂下よ。坂下好恵」

「はい、よろしくお願いします、坂下さん」

 寺町は何も考えていないのか坂下の出した手を取って握手をしたが、部員達はその間気がきでは なかった。

「なあ、坂下のやつどーしたんだ? いつもなら1発や2発は食らわせて自分の強さってやつを 分からせるはずなんだが」

 御木本は見た目には本気で心配しているような表情で池田にそう聞いた。

「さあ、私にもわかんないけど、とりあえず分かってることはあるわ」

「何だ?」

「あの寺町ってやつは一命を取りとめて、でも後の命の保証はないってこと」

「……納得」

 付き合いの長い2人には当然のこと、その他初対面の者でも寺町以外は気がついていた。

 坂下の目が、これっぽっちも笑っていないことに。

「それじゃ始めるわよ。南渚高校の人達も並んで」

 坂下はそう言って寺町に背を向けたが、今この瞬間に坂下の後ろ蹴りが寺町を捕らえたとしても、 誰も疑問には思わないだろうことは確かだった。

 

続く

 

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