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最強格闘王女伝説綾香

 

一章・始動(35)

 

「始めっ!」

 坂下の合図で、池田と中谷の試合は始まった。

 学校も違えば性別も、階級も違う2人だ。まさに合同訓練にふさわしい試合かもしれない。

 ただ、こう言うのも何だが、どうも2人の実力には大きな差がありそうだった。

「せいっ!」

 池田は気合いのこもった掛け声とともに右中段正拳突きをくりだず。

 バシッ!

 中谷はその突きを右腕で受けて池田の側面に回ろうとするが、もちろんそんなことを池田が許す わけがない。すぐにすり足で中谷を正面に捕らえる。

 池田はどちらかと言うとスタンダードな空手のタイプだ。伝統派とも言われる部類のもので、 坂下のようにコンビネーションは使えないが、一撃一撃の精度を上げていくタイプだ。エクストリーム のような異種格闘技ではあまり通用しないかもしれないが、空手の試合ではそれなりに通用するし、 何より池田の実力はかなり高い。

 それに比べ、見たところ同じ伝統派であろう中谷は、明らかに池田よりも動きが悪かった。 実力的に池田に劣っているのは分かっていたが、それにしても動きが悪い。これは単純に試合慣れ していないのかもしれない。

 しかし、坂下は池田に押される中谷を見ていてある人物を思い出した。

 技一つ一つはかなりいいのに、試合になると全然実力を発揮できない。目上の者には礼儀正しく、 人当たりもいい。

 そして、自分を破ったただ一人の後輩、そしてこれからもずっと強くなっていくであろう後輩、 葵。

 今でも昨日のように思い出す、あの最後の一撃。少しだけ動いた、しかし完全に無駄のない 動き。その次の瞬間に胸を貫いた異常な衝撃。

 あれこそ武。あれこそ、理想の技。あれこそ、理想の格闘家。

 ザワリと坂下の肌が逆立つ。あの戦いを思い出すだけで、身体中の血が沸騰するように波打つ。 忘れようとも忘れられることはなく、忘れる気もない。

「せやぁっ!」

 空手の本に載っているお手本のような池田の前蹴りを、中谷は危なげながら避ける。が、反撃は できそうになかった。

 実力の差は明らか、しかし、何故か坂下は中谷に葵と同じ匂いを感じていた。

 なかなか面白い相手ね、だけど池田の相手じゃないか……

 そうは思っているのだが、それでも坂下は池田と中谷との戦いから目を放せない。

 池田は、そうしている間にも中谷を押している。池田本人も、中谷の実力が自分に劣ると感じる ことはできたが、それだからと言って手加減するつもりはなかった。これは試合、手を抜くなど失礼 なことはしない。

 特に池田は、今日は調子がよかった。技も切れるし、相手の動きも読める。中谷には悪いが、 彼が勝てる見込みはないと言ってよかった。

 実際、池田の左の正拳突きが、ガード越しに軽くもないだろう中谷の身体をゆらすのだ。

「せいっ!」

 完璧なタイミングで、池田の右回し蹴りをはなった。

 バシィッ!

 池田の一撃は、中谷のガードをはじき、わき腹に直撃した。わっと周りから歓声があがった。

「……一本!」

 坂下は、その一撃で試合が終ったことを告げた。

 そんなに長い試合ではなかった。時間にして1、2分。勝ったのも、やはり池田だった。

 しかし、池田はまったく嬉しそうではなかった。何も相手が弱かったからではない。勝ちはした が、勝った気がしないのだろう。

 がくっとひざをついた中谷に南渚高校の生徒だけでなく、こちらの女子部員も何人もかけよった。 心配してのことでもあろうが、中谷が見た目はかっこいいので知り合いになっておこうという気の 女子部員もいるということだ。

「ちょっといいか、坂下」

 坂下は、別にそういう気はないがとりあえず声をかけておこうと思って中谷に近づこうとして、 何故か御木本に引きとめられた。

「何、御木本」

「お前、さっきの試合の最後、見たか?」

「……見たわよ」

「まあ、お前なら分かるよなあ。さっきの試合、下手したら池田負けてるぜ」

「……」

 いつもはヘラヘラしているが、やはり確かに御木本も高校生レベルとしてはかなり高い実力が あるのだ。

「ま、池田本人はそれに気付いているのは見りゃ分かるがな」

 御木本はセーフティガードを外し、複雑な表情をして中谷に近づいていく池田を指差した。

 最後の最後、文句の言えないタイミングで池田の放った回し蹴り。しかし、その瞬間、中谷は 試合中には一度も見せていなかった、すごく冷静で、そして熱い目でセーフティガードの下から 池田を睨んだ。完全に、池田の動きを読んでいたとしか思えなかった。そして、握られた右拳。

 しかし、その拳は突き出されることなく、中谷は回し蹴りを受けて負けた。

 あのとき、中谷が拳を突き出していたら、池田は倒されていただろう。そう坂下も御木本も、 そして戦った本人の池田も思っているだろう。

 坂下はふと気になって寺町を見た。

 寺町は、中谷には近づかず、何故かため息をついて肩をすくめた。

 やはり、寺町にも見えていたようだった。あそこで拳を突き出せば、中谷が勝っていたことを。

 しかし不思議なことだが、そんな中谷に寺町は何も言わなかった。今までの行動から考えれば、 勝てる試合に負けた中谷を怒鳴らないわけがないと坂下は思っていたのだが、その予測は外れた。

 ただ、まわりの人垣を掻き分けて近づくと、ぽんと中谷の肩をたたいただけだった。

 反対に、寺町は池田に近づいて話しかける。

「池田さんだったかな、君は強いね。女だからと言ってなめていたみたいだ、あやまるよ」

 急に態度を軟化した寺町に、池田は少し驚いた。

「あ、ありがと。でも、そういうことは坂下に言ってよ」

「坂下さんは君より強いのか?」

「……あんた、ほんとに知らないのかい?」

 ここらの空手部では坂下の存在を知らないのは珍しいことなのだ。何せ坂下は全国にでも届き そうな実力を有しているのだから。

「俺は実は中学では公式試合には出れなくてね。高校では二年になってやっと空手部を作った ばかりで、高校の公式試合にも出てないんですよ」

「なら、坂下と試合してみたら?」

「いいのかい?」

「いいも何も、坂下も試合したいんじゃないかな。ちょっと話通してあげるよ」

 そう言うと、池田は坂下に話をつけにいった。もちろん、坂下はそれを承諾した。

 

続く

 

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