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最強格闘王女伝説綾香

 

一章・始動(36)

 

「坂下、あっちの部長さんがあんたと試合したいって言ってるよ」

 その寺町の申し出は、坂下にとっても好都合だった。むしろここで寺町が言ってこなくても、 自分から試合をするよう頼むつもりだったのだ。

「もちろんオーケーよ」

 坂下は、当然その申し出を一つ返事で受けた。

「やっぱり、坂下だったらそう言うと思ったよ」

 池田も坂下がその申し出を受けないわけがないと思っていたのだろう。意志の疎通ができると いうわけではなく、坂下と池田の嗜好はよく似ているのだ。

 坂下は池田に答えてから、自分で寺町に近づいて言った。

「いいわよ、寺町君。試合受けるわ」

 それを聞いて、寺町はとてもうれしそうだった。

「それはありがたい。副将の方がここまで強いんですから、坂下さんはもっと強いんでしょうね。 楽しみですよ」

 何もいやらしい所のない言い方ではあったが、坂下にはそれが挑発以外の何物にも聞こえなかった 。この坂下を前にしてその自信、ただ知らなかったでは許されないだろう。少なくとも、こちらの 部員は全員そう思った。

「防具はつける?」

 坂下がそう言い返したのは、多分にその寺町の言葉にむかっときたからだった。自分を相手に するなら防具ぐらい必要だ、と坂下は暗に言っているのだ。

 もちろん、坂下は防具をつけないでやるなどとは思っていなかった。だから、寺町の返事は 少なからず驚かされた。

「いえ、いりません」

 ぴくっと坂下の肩がゆれる。もし坂下がその言葉の意味をゆっくり吟味する前に、寺町が 言葉を続けなかったら、坂下は怒鳴っていたに違いなかった。

「というかはずかしながらうちの空手部には防具もなくて、つけ方なんて分か らないんですが。何せ今年できたばかりの実績も何もない部なので……」

 南渚高校の部員達から「何恥ずかしいこと言ってるんですか」とか「そんなこと正直に言わなく ても」などの言葉が飛ぶ。こちらの部員から笑い声があがった。

 な、何かこの人達相手にしているとほのぼのしてしまう……

 殺気をそがれ、坂下は少し怒りを忘れた。戦闘意欲さえそがれてしまいそうだった。

 だが、寺町の次の言葉は、戦闘意欲をかきたてるには十分な言葉だった。

「そのかわり、ルールはフルコンタクトでお願いできますか?」

 別にどうということのない口調だったので、すぐにはまた坂下は返事を忘れた。というかそんな 選択肢があるとは思っていなかった。

 数呼吸置いてから、数人がボソボソと騒ぎ出す。

 さわいだのはこちらの部員と、中谷だけだった。向こうの部員はその言葉の意味がわからなかっ たようだった。

 落ちつきをなくした部員とは別に、坂下は何故か落ちついていた。

「フルコンタクト……ね」

 フルコンタクト。スポーツ化していく空手を、まっこうから否定したようなルール。それはより 空手を野蛮なものに近づける言葉。

 つまり、拳での顔面への打撃を許可する。それがフルコンタクトの真骨頂。

 それがいかに危険なことなのかを、素人はわからないのかもしれない。だが、どう見ても寺町は それを分かっているようにしか見えない。しかし、まったく挑戦的な口調でもなければ、いやらしい 表情でもない。

 実に普通に、まるで好きな食べ物でも選ぶかのように自然にそう言ったのだ。

「フルコンタクトで……いいのね」

 坂下は出来るだけ含むものがあるような言い方で言った。が、それでも寺町は表情を崩さなか った。

「はい、ぜひ」

 そう言われて「危険だから」と断るには、坂下のプライドも闘争本能も低くなかった。

 寺町も、危険なことを分かっていないわけはないのだ。だったら、この挑戦は受けてやるのが 道理。そして、やるからには私も手は抜かない。

 坂下は、拳を握り締めた。

「いいわ、それでいきましょ。ただし、池田と中谷のときと同じように一本先取でいくけど、 いい?」

「ええ、かまいませんよ」

 防具なしでのフルコンタクトを要望してくるのだ。つまり、寸止めなど必要ないと言っている のは明らかだった。だから、3本先取などという生易しいものは必要ない。

 入れば、一撃で終る。

 そして、坂下には一撃で終らせる自信があった。

 まわりに、緊張した空気が流れる。南渚高校の部員も、それが何を意味するのかいまいち分かって はいないようではあったが、まわりの神妙な空気に押されて言葉がなくなる。

「じゃあ、池田。審判してくれる?」

「分かったわ」

 池田も言葉少なげに返して、スッと道場の真ん中に立つ。それを合図にするようにどちらの部員 も坂下と寺町の試合のために場所を空け、その周りに座る。

 坂下は別に体が固まっているわけでもなかったが、軽い柔軟で体をほぐしながら寺町と 向き合う。

 ぴりぴりとしたどこか心地よい緊張感が、坂下を包んでいた。

 そう、それは綾香と初めて試合をしたあの日。

 かわいい顔をして、練習でも信じられないほど強かった綾香と、初めて試合をした日。あのとき の空気に似ている。

 しかし、似ているだけで、及ばない。綾香にはほど遠い。

 綾香は、ただ対じしているだけでも鼓動が早くなるほどの圧迫感がある。それに比べれば フルコンタクトの試合など、たかが知れている。

 この寺町という男も強い、それは感覚で分かる。だが、綾香ほどの強敵であるわけがない。

 これは、せいぜい高校になって初めての公式試合のときの緊張感ぐらいか。

 それでも、きっと昔の葵あたりなら真っ青になったりするのだろうが、あいにく私は緊張感には 耐性がある。

 同じく軽く柔軟をしている寺町は、まったく緊張などしていないように見えた。

 それは、私にプレッシャーがないから?

 私を、強い相手だと思ってないから?

 それとも……この男も、私と同じようにそれが楽しくてしょうがないから?

 どちらにしろ、私をなめているなら、少しぐらい痛い目を見るのは覚悟してもらいたいね。

 坂下と寺町は、どちらともなくかまえた。

 それを合図にするように、池田が腕を上げて、下ろした。

「勝負、初め!」

 

続く

 

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