作品選択に戻る

最強格闘王女伝説綾香

 

一章・始動(37)

 

 坂下も、フルコンタクトの経験はある。

 普通の練習は組み手ともなれば防具などつけることはまずないし、坂下の通っている道場も フルコンタクト制の道場だ。こう考えると、むしろ公式の試合以外はほとんどフルコンタクトで やっていると言ってもいいだろう。

 葵との試合も、フルコンタクトだった。拳にナックルはつけたが、後は防具も何もつけずに、 もちろん頭部への攻撃もゆるされていた。

 だから、もちろん坂下はまったくフルコンタクトを恐れていなかった。今自分からつっかかって いかないのは、様子を見るためだ。

 恐れないのと油断しないのはまったく別の話だ。この寺町は、油断できる相手ではない。

 技の型一つにとっても、その体にしても、かなりの鍛錬をつんでいるのは一目瞭然。そんな 相手に油断する暇などない。

 坂下は左手を前に突き出すような格好で構え、ジリジリとすり足で寺町との距離を測る。オーソ ドックスな左半身の構えだ。

 それに対し、寺町の構えは高い。高いと言うのは、腕がわきよりも浮いているのだ。通常、 構える場合はわきを相手から隠すように腕を持っていくのだが、寺町はその常識をまったく無視した 構えだった。

 この場合、常識を無視しているということは、そのまま素人だということを示す。奇抜な発想が 有効な世界ではない。確実な修練こそが、身を結ぶ世界だ。しかし、寺町が素人のわけがなく、 坂下はおそらく寺町が自分の攻撃を誘っているのだと判断した。

 打撃系の格闘技でよく起こるのはフェイントのやりあいだ。それは上級者になれななるほど 顕著になっていく。坂下も、この寺町がやってくるであろうフェイントに神経を集中させた。

 スッと寺町の奥の方の腕、右腕の拳をにぎったまま頭より少し上の位置まであげる。

 打撃を打つような格好ではない、坂下がそう思った瞬間だった。

 寺町が坂下に向かって踏みこんだ。坂下は、細心の注意をはらい、それが本命なのかフェイント なのかを見極めようとした。

 ズバシィッ!

 坂下の小柄でもない体が後ろに飛んだ。

 部員達が息を飲んだ。審判をしている池田でさえ、あっけのことに何も言えなかった。

 坂下は、ピリピリとまだしびれるガードを、ゆっくりと解いた。

 普通の空手の構えで寺町は坂下を見ていた。その目は、真面目とは程遠いものだった。

 そこには今まで合同練習の学校の空手部が女性主体の部で、さらにそこの主将が女だったことを 知ったときのショックを受けた様子など、まったくなかった。

 その目は物語っていた。よく、この一撃を止めたと。そして、彼女が強敵だと認識したことが はっきり分かる目。

 寺町の目は、笑っていた。実に楽しそうに。

 不思議と腹は立たなかった。むしろ、ゾクゾクするものを感じていた。

 頭の上辺りからの、拳がまっすぐ顔面を狙って打ち下ろされる綺麗な打ち下ろしの正拳だ。 それも、必殺の気合いが入っていた。それ一発で試合を、KOできめようと、いや、きめるつもりで 打ってきた一撃だ。

 おそらく横から見ていた部員達にはその拳の軌道が綺麗な直線に見えたはずだ。まるで無駄の ない、最短距離を通って相手にくらいつく拳。モーションが読まれやすいとか、そんな野暮なことを 全て排した、美しい一撃。

 両腕でガードし、後ろに身体を逃がしてさえ腕がしびれるような威力だ。それを何の躊躇もなく 顔面に叩きこもうとしたのだ。

 舐めてたのは、私の方かもね。

 坂下は、クンッと素早く寺町との距離を縮める。さっきはふいをつかれたが、あんなモーション の大きいテレホンパンチを何度も受けるほど坂下も甘くはない。

「けぇいっ!」

 気合いとともに蹴り出された寺町の前蹴りを坂下は右に避けると、左拳を寺町の顔面に 躊躇なく叩きこんだ。

 バシッ!

 わっと部員達から歓声があがる。どこから見ても見事な一本だ。

「一本!」

 審判をしていた池田もひいきではなく、それが完全な一本だと思った。実際、綺麗に坂下の 拳は寺町の顔面にヒットしたのだ。

 だが、それなのに寺町は手でその池田の判定を制した。

「待った、まだ決着はついていない」

「何を言ってるのよ。今さっきのは文句なしで一本よ」

 自分の判定に文句をつけられたからではないが、池田は少し声のトーンを落として言った。 池田から見れば今のは確実に一本だった。それなのに潔く負けを認めない寺町の態度に腹立たしさを 覚えたのだ。

 負けないように努力するのはいい。だが、負けを潔く認めないのは池田の美意識にひっかかる のだ。

 坂下としては、まさか審判に文句をつけてくるような相手ではないと思っていたので、 いぶかしげに首をかしげただけだった。

 だが、寺町はむしろ堂々とした態度だった。決して負けを認めずに審判に文句を言うような 表情ではなかった。

「綺麗にパンチが入ったじゃない」

「パンチは入ったが、俺はダメージを受けてない」

「あ……」

 そこで池田は自分が一つ見落としていることに気付いた。

 基本的にフルコンタクトは相手にダメージが入らないと勝敗がきまらない。アマチュアボクシング のようにパンチをあてた数できまるようなものではないのだ。だが、池田は考えてみれば、 フルコンタクトと言うはっきりしたもので審判をするのは初めてだったので、仕方ないことだった のかもしれない。

「なるほどね……」

 坂下も、寺町の言葉に納得してまた構えなおした。坂下も場所が空手部ということもあり、 葵とやったときのような完全KO制などとは違うものだと勝手に思いこんでしまっていたのだ。

 完全KO制かどうかは別にして、寺町はダメージをあてて初めて勝敗がきまることまで含んで フルコンタクトを指定してきたのだ。

「ごめんごめん、そこまで考えてなかったわ」

 池田も素直に自分の非を認めた。それもそうだ、フルコンタクトでただあてただけの打撃で 勝敗がついてしまうならフルコンタクトの意味がない。

「いいですよ、フルコンタクトを指定したのは俺ですし」

「そう言ってもらえると助かるわ。じゃあ、もう一回仕切直しするわよ」

 池田の提案に、坂下と寺町はうなづくとお互いに距離を取った。

「じゃあ気を取りなおして……勝負、始め!」

 失念と言ってよかった。坂下にとってはそれはかなり寺町に対して失礼なことをしたという気持ち があった。

 向こうは真剣にやってきているのに、自分が遊び半分のような攻撃をしてしまった気がした。

 だから、これはそれのお詫びも含めて。

 坂下は、うかつとしか言い様のないタイミングで寺町との距離を縮めた。

 私の……一番の得意技。

 モーションが大きいとか、次の攻撃につなげれないとか、そんなことを無視したシンプルで 美しい一撃。

「せいやぁっ!」

 全力の……中段右回し蹴り!

 ズバシィッ!

 

続く

 

前のページに戻る

次のページに進む