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最強格闘王女伝説綾香

 

一章・始動(39)

 

 坂下の突進に合わせるように寺町も踏みこむ。

 来る!

 坂下はとっさに上体を落した。

 バシュッ!

 寺町の打ち下ろしの正拳をすれすれの所で坂下は避けた。

 坂下は、鍛え上げられた下半身でバランスを取り、その上体を落した体勢から 拳をつきあげる。

 しかし、バランスの崩れていた状態から無理やり打ち出したパンチは、打ち下ろしの正拳を 放った後の寺町にさえ避けられた。

 だが、寺町の方もその後に技を続けれる体勢ではなく、一瞬、どちらも近距離にいるのに 空白の時間ができた。

 次の瞬間、坂下のワンツーを、寺町は手でさばいていた。だが体勢十分で打たれたパンチの 後には、坂下に隙がなかった。

「せいっ!」

 隙がないのにも関わらず、寺町はそこに腰を落した力一杯の左正拳突きを打ちこむ。

 坂下には避けるのは簡単だったが、そのせいで距離を取り、2人はまた打撃可能な範囲から 離れた。

 ほんの数秒の攻防で荒くなった息を、坂下は整える。この距離ならばどんなに早く踏みこまれても 息を戦闘態勢にすることができる。

 ほんの少しの攻防だが、それは直撃を食らえばおそらく一撃で終るだろうという打撃の応酬だ、 疲労しないわけがない。

 それにしても、少しうかつだった。

 坂下は不用意に飛び込めなくなっていた。寺町のあの拳を上段にかまえての打ち下ろしの正拳の すごさは分かっているつもりだったのだが、どこか甘く見ていたのだろう。間合いに入った瞬間に 先に打たれる結果となってしまった。

 上体を落としてギリギリでかわしたが、冷や汗ものだった。だいたいあの体勢では、ろくな 打撃は打てない。

 でも、きっとあいつなら、きっと綾香なら、あの上体を落した体勢からでも、有効な打撃が 打てるだろう。

 坂下は練習中に一度綾香に同じ体制からクリーンヒットをもらったことがあった。

 それはまだ綾香も葵も空手の道場に通っていたころ。

 坂下はそのころ上段回し蹴りを一生懸命練習していた。上段回し蹴りは見た目が派手で、人気の ある技ではあったが、もちろん坂下にはそんなことは関係なかった。ただ、その技の破壊力に魅せら れただけの話だった。

 腕の3倍の力があるという脚で、人間の弱点の頭をたたく。その原理を聞いたとき、坂下は 何かぐっとくるものを感じたのだ。

 そして、他の技と遜色ないほどにまで上段回し蹴りを使えるようになってから、坂下は思い 切って綾香に上段回し蹴りを放った。

 それまで、練習でもほとんど見せていなかった上段回し蹴りだ。実際、あのときの坂下は初めて 綾香から勝ちを奪えると思ったほどだった。

 しかし、一度も見たことのないはずの坂下の上段回し蹴りを、綾香は上体を落すような体勢で 避け、坂下の蹴り足はむなしく綾香の頭の上を過ぎ去っていった。

 坂下はもちろんバランスを崩したが、綾香もあまり安定した体勢ではなかったはずだ。だが、 坂下の蹴り足が下に下がるよりも早く、綾香のケサ切りの踵落しが坂下の肩口を捕らえたのだ。

 あの格闘技の天才は、上体を落すようなバランスの取れない体勢から、片足でバランスを取って 後ろ回し蹴りのような格好から踵落しを打ってきたのだ。

 あまりにトリッキーな攻撃だったので、坂下はそれを防御することができなかった。

 坂下が初めて経験したKOだった。

 その後、綾香は坂下にこう言ったのだった。

「上ばっかりで、下がお留守になってたわよ」

 坂下は、自分が上段回し蹴りに固執するばかりに、下への攻撃がお留守になり、目線も上に 集中していたことを知った。

 そこから、坂下は長い練習と思考錯誤のすえに、今の中段回し蹴りにたどり着いたのだ。しかも、 それは単に得意と言うだけで、それに頼ろうという気持ちは少しもなかった。

 あれがなければ、自分は上段回し蹴りにこだわり、空手の道をかなり外れた場所にいたかも知れ ない。手痛い一撃ではあったが、確実に今の坂下を生かすエピソードの一つだ。

 あのころの綾香にさえ自分が及ばないと考えると気が重くなるが、自分は自分だ。自分の方法で 精進していくしかない。

 今の目の前の相手を倒しても、まだまだ追いつくには遠い道のりではあるが……

 ……上?

 坂下は、そこではっと気がついた。寺町は、すべて上段の攻撃、正確に言うと坂下の頭しか 狙っていなかった。坂下もさっきから基本的には頭しか狙っていない。それは寺町の鍛え上げられた 腹筋には、あまりダメージが与えられないことを分かっているからだ。

 だが、寺町は少しも下を、脚を攻撃してこない。基本がボクシングというわけでもなさそうだ。 ちゃんと蹴りも使っていた。

 だったら……もし、それが寺町の苦手な部分なら?

 坂下はよく考えるよりも、実行にうつしていた。

 寺町に向かって飛びこむ。これはさっきと一緒。寺町は、まず必ずあの打ち下ろしの正拳を 打ってくるだろう。読まれてでも有効な効力があるほどにその打ち下ろしの正拳は練られている。

 だが、こっちの方が少し間合いが広い。

 スパァン!

 坂下の渾身のローキックが、寺町の脚にクリーンヒットした。

「ぐぅっ!」

 それでも寺町は力まかせに打ち下ろしの正拳を打つが、脚を打たれてバランスの取れない状態 では、いかに鍛錬してあろうと恐れることはなかった。

 スピードの落ちた打ち下ろしの正拳を軽く手ではじくと、坂下はもう一撃寺町の脚を蹴り あげた。

 がくっと寺町の身体が前にかがむ。いかに痛みを我慢しようと、それでも2発もローキックを 直撃されれば、脚が言うことをきかなくなるのは当然だった。

 確かにその打ち下ろしの正拳は光るものがあった。かなり完成された技だったろう。だが、 全体で見ればまだ完成された空手家ではなかった。

 でも、容赦はしないからね。

 自分の脚を手で押さえ、必死にバランスをたてなおそうとしているその根性は認めるけど、この 私も少しは名をはせた空手家、そう簡単に倒せる相手じゃないのよ。

 躊躇はなかった。むしろ躊躇してしまうことの方が、このまだ未完成の空手家に失礼だと 思った。

 相手が戦闘不能に陥っても、坂下は隙を見せなかった。

 バランスを無くし、落ちた頭に向かって、坂下は脚を振った。

 ズバシッ!

 寺町の大きな身体が、支える力を無くし、道場の床の上に倒れた。

 数人の部員の悲鳴を聞いても、坂下はかまえを解かなかった。

 試合は、まだ終っていない。

 目のはしで、池田が手を上げるのが見えた。

「一本!」

 

続く

 

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