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最強格闘王女伝説綾香

 

一章・始動(40)

 

 往々にして後悔というものは先にたたない。

「……しまった」

 だから、そう坂下が口にしたのも当然後の祭りになってからだ。

 完全にKOされた寺町を見ながら、坂下は自分がついついやりすぎてしまったことを自覚した。 もちろん、今更自覚しても仕方がないのだが。

 さすがの坂下も空手をやっていて倒された者はよく見るが、KOされて完全にのびてしまった 者を見たのはそう多くはなかった。自分なら何度か経験があるのだが。

「ちょっと、誰か手伝って」

 とりあえずあまりのことに動けない部員達を呼ぶ。考えてみれば、こっちの部員でも人がKO されるのはあまり見たことがないだろう。

 池田は自分がKOするまで試合を止めなかったのを棚にあげて、やれやれとため息をついていて、 御木本はまたまったく別の理由で肩をすくめていた。

 一番最初に動いたのは、中谷と向こうの一人の女子部員だった。

 中谷はありありとこの人にもこまったものだというのが表情にでていたが、その女子部員の方は ダッと駆け寄ってきた。

「部長、しっかりしてください!」

 どうもただKOシーンに慣れてないだけというわけではなさそうだった。

 空手の技術はまだまだだけど、しっかり青春はしてるみたいね。坂下は心の中でそう意地悪く 考えながら、倒れた寺町の様子を見た。

 まあ、見た感じ放っておけばそのうち立ってくるとは思うんだけど。

 坂下はそう非情にも見える考えで女子部員にゆさぶられる寺町を観察していた。

 KOと言っても、打撃技でのKOではそう簡単に気絶したりしない。基本的には、脚を攻撃 されて立つことができなかったり、脳震盪を起こして意識が朦朧としたり、脚にきていたりする だけなのだ。気絶でKOというのはそう見れるものではない。

 今の寺町は別に気絶しているわけでもなく、脳震盪と脚へのダメージで立てないだけだ。 それが証拠に本人は自力で立ちあがろうとしている。

 本当は、そのまま寝ていた方がいいような気がするけどね。

 仕方ないので坂下は寺町にアドバイスをする。もっとも、意識が朦朧としているはずなので、 言葉が聞こえているのかは微妙なところだが。

「寺町さん、道場の端でしばらく寝ていた方がいいよ。KO受けて歩こうってほど無茶は しない方がいいよ」

 寺町に反応は予測通りない。仕方ないので坂下は池田に力を借りて道場の端まで寺町の巨体を 持っていった。

「にしてもこいつ重いわね」

 どちらかと言うと無造作に両手をつかんで運ぶ池田を、横から女子部員がハラハラしながら 見ている。

 同じように無造作に両足をつかんで運ぶ坂下には、この重さはうらやましくもあった。

 これほど贅肉が少ない体でこの体重なのだ。身体にはかなり鍛えているというのも含めて 恵まれている。坂下も、女子では体格に恵まれている方ではあるが、ここまでの身体を一度は自分の 身体として扱ってみたいものだと思っていた。

 池田が重いと言ったもの、おそらくそういう羨望の目もあったのかもしれない。

 いくら寺町が重いとは言え、坂下と池田にかかって簡単に道場の端に運ばれた。

「誰かタオルと洗面器に水をはって持ってきて」

 坂下はそう部員に命令すると、後の寺町の看護は一番最初にかけよってきた女子部員にまかせた。 せっかくそう多くは経験できないKOシーンだ。看護を邪魔するほど無粋ではなかった。

 一応心配がないと見たのか、中谷は看護には回らずに坂下に話しかけてきた。もしかしたら 彼も気をきかせたのかもしれない。

「どうでした、うちの部長は?」

「……まあ、なかなかね」

 苦戦したと言えば否定はしないが、ネタがばれてしまえばかなりもろい相手だったので、 坂下はそう評価した。

「しかし、さすが坂下さんは強いですね。僕達は誰一人として部長には勝てませんよ」

 あのレベルじゃあねえ、と思ったのは心の中だけにしておいた。

「……ま、考えてみればあの打ち下ろしの正拳を避けるのも一苦労か」

 坂下は確かに避けれたが、あの打ち下ろしの正拳を、こちらの部員でも避けれるのはせいぜい 池田と御木本ぐらいしかいないだろうことを考えると、仕方ないことだと思いなおした。

「坂下さんはあの打ち下ろしの正拳を避けていたみたいですけど」

「何とかね、実際最初はかなり危なかったけど」

 一歩間違えば自分がKOされていたかもしれない一撃だった。もっとも、もう何度やっても今の ままなら負ける気は坂下にはなかったが。

「寺町さんは攻撃のバランスが悪いわね。上下に揺さぶられることがないから、反撃も想定 しやすいし、狙い目も多いわよ」

「寺町と呼んでください、坂下さん」

 横を見ると、まだ足元が完全には落ちついていないながら、寺町が女子部員の肩を借りて 立ちあがっていた。

「聞こえてたんだ」

「一応は。しかし、見事にKOされていまいましたねえ」

 寺町は、まるで他人事のようにそう言って笑った。

「KO受けた後の態度じゃないわね」

「元気そうでなによりです」

 坂下の突っ込みに、中谷が横で大きくため息をついた。

「ここまで完全にやられると自分としてもむしろ気持ちがいいぐらいですよ」

 そうフラフラしながら言われても、みなには説得力がないような気がしないでもなかったが、 情けで見て見ぬふりをしてやることにした。

「しかし、これで余計空手が楽しくなりそうです。何せ女子でもこのレベルの相手が大会に行けば 沢山いるんでしょう?」

「……こんなのに沢山いられたらこまるぞ、俺は」

 後ろの方でつぶやいた御木本の声が、部員の中では一番支持を受けることは明白ではあったが、 寺町は気にした風もなかった。

「自分としてはあのパンチには自信があったのだが……見事に避けられてしまったなあ」

「アレは私もすごいと認めるけど、上段の攻撃ばかりじゃ勝てないわよ」

「そうですか。しかし、下段の攻撃はいまいちパッとしなくて……」

 あの実力でまるで格闘技初心者の者が言うようなことを口にする寺町のアンバランスさに、坂下は 首をかしげないでもなかった。

「とりあえず俺の完敗です。今まで女子だからと言ってなめてかかったのは間違いでした」

 そう言って寺町は深々と頭を下げた。

「……分かってくれればいいのよ」

 どうもその態度にひっかかるものを感じながらも、素直に謝られて坂下もそれを受け入れるしか なかった。

「それで、実はお願いがあるのですが……」

「……何よ?」

「これから、一週間に一度、合同練習をやりませんか?」

 少なくともあがった声は全部否定の声だった。こちらの部員としては、いつもこんなのにかまって られないということで、あちらの部員は当然こんなハードな練習についていけないという悲鳴だった。 中にはおそらく中谷狙いなのだろう、目配せをするこちらの女子部員もいないこともなかったが。

「……嫌よ」

 坂下は別にあまり考えることなく結論を出した。

「こっちの練習だって自分達で何とかしないといけないのに、他の学校の部員までこっちは面倒 見切れないわよ」

「まあ、そこを何とか」

 寺町はそれに何とか食い下がろうとするが、坂下も坂下で必死だった。こんなお荷物を背負う 余裕などこの空手部にはないのだ。

 言い合いを始めた二人を見て、中谷はすぐにそれを止めようとして、中にわって入ろうとしたが、 それを御木本に止められた。

 そして言い合いを続ける二人を横目に、御木本は中谷にこそっと話しかけた。

「あの2人が言い合いを続けるかぎり、俺達は休憩時間ってことさ」

 練習のきついこの部で、一番サボリのうまい男は、そう言って笑った。

 

続く

 

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