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最強格闘王女伝説綾香

 

一章・始動(43)

 

 軽く流すなどという言葉を信じれるような状況ではなかったので、浩之はそれなりに覚悟して いた。

 柔軟一つ取ってもあれだけのことをするのだ。これからのことを甘く見ろと言う方が無理という ものだ。

 そして、浩之の予想は方向性としては正解であった。

 が、甘く見過ぎていた。

 そしてその予想の外れは次の筋トレにまで続いた。

 後に残ったのは全身汗だくで倒れたまま、ぴくりとも動かない浩之の姿だった。ただ唯一荒い 息だけで、浩之がまだ死んでいないことが分かるぐらいだ。

「さて、一応軽くだがこれで筋トレは終わりだが……」

 自分の横で動かなくなった浩之を見て、修治は肩をすくめた。

「これでもいつもの半分程度しかやってないつもりなんだがなあ」

 そしてその光景を別に顔色を変えるでもなく眺めていた雄三が突っ込む。

「修治も甘いの。わしはいつも通りでいいと言ったろう」

 いや、突っ込みと言うよりは追い討ちのようだ。

「んなこと言って、じじい、本当に浩之がいつもの練習についてこれると思ってたのか?」

「そんなこと、思っているわけがなかろう」

「……ひでえじじいだ。死んだら絶対地獄行きだな」

「なに、お前に先に地獄へ行ってもらって露払いはさせておくさ」

 実になごやかな会話に浩之は突っ込みを入れたい衝動にかられたが、残念ながら今の状態では しゃべるどころか指の一本さえ動かせそうになかった。

 というかこの2人、俺がついてこれないのを分かっていて……

 しかし、別にそれに関して2人を怨む気は浩之にはなかった。自分は強くなるためにここに 来たのだ。手加減されることの方が問題であって、厳しいこと自体は何も問題ないし、間違っても いない。

 そういう意味では、修治は本当にギリギリのペースで練習をしてくれたのではないだろうか。 無茶にもほどがあり、まったく身体が動かない状態ではあるが、何とか自分はここまでやりきれた のだ。

 ……まあ、やりきれたとは大きくは言えない状況かもしれないが……

 身体のどの部分を取っても、自分の思い通りに動いてくれる場所はなかった。そのうち心臓さえ 止まるのではないかと思えるほど激しく動き、息をしようとすればそれだけで痛い。

 ここまで来て、自分が意識を保ってられることの方が不思議なぐらいだ。

 ……というか俺も何でこんな状況で冷静に考えてるんだ?

 息が苦しくて、まさに心臓が口から飛び出してしまいそうなほどなのに、頭だけは何故かクリア な状態だった。身体中を走る痛みにも、何故か侵されず、意識だけが残っているのだ。

 もっとも、この状況では意識が残っていることの方が腹が立つが……

「おーい、浩之、意識あるか? あるなら指一本でもいいから動かしてみろ」

「それでは痙攣してるのと判別がつかんではないか」

 雄三のもっともらしいのかただばかげてるのか分からないような言葉を言われ、修治は何故か 納得したようだ。

「よし、それなら意識があるなら少しの間息止めるってのはどうだ?」

「それでは死んだのと判別つくまい」

 ……前言撤回、死んだら怨んで出てやる。

 まるで動けない自分をかっこうのおもちゃにしているような2人に、浩之は殺意を抱いた。 が、殺す前に自分がこのまま死んでしまう方が早かろうと自分自身で思ったりしていた。

「ま、冗談はさせおき、意識はあるだろうから聞いときな。正直、お前がここまでついてこれる とは思ってなかったぜ。俺としてはランニングの途中で根をあげる予定だったんだが、まさか筋トレ に最後までついて来るとはな」

 感心しているような声ではあるが、どこか小バカにされているような気がして、浩之は素直に 喜べはしなかった。むしろこの状況で喜べる者の精神状況の方が問題があるだろうが。

「俺はてっきりある程度辛くなったら自分からさっさと根をあげるもんだとばかり思ってたんだが 、結局柔軟中に一度聞いてきただけで、後は何も言わずに筋トレまでついて来るとは、正直まったく 予測してなかったぜ」

 浩之は「もう限界だ」という根をあげたい状態だったが、残念ながら声が出ないので、おとなしく 修治の言葉を聞くしかなかった。

「俺もじじいもお前の自主性を少し疑ってたんだが、見なおしたぜ」

 自主性も何も、ここまで来たのだからやる気がないわけがないではないだろうが。

 浩之の心の声は、修治には届かない。届いても恐いが。

「お前には才能がありそうだったからな、余計にな」

 修治はそれだけ言うと、自分はさっさと練習に戻っていった。薄目を開けて見ると、どうも受け身 の練習を始めたようだ。

 身体が動けば、俺も続きをやるんだが……

 ほんの少ししか休んでない状態では、身体はこれっぽっちも回復していないようだ。もっとも、 ここであんな受け身の練習などしていては胃の中のものどころか、内臓までぶちまけそうだが。

 ……そういや俺、ここまできつかったのに吐いてねえなあ。

 浩之がぼうっとそんなことを考えていると、横に立っていた雄三が突然浩之に向かってかどうか は知らないが、話を始めた。

「修治は確かに体格はいい。だが、極端な話、それ以外の才能と呼ばれるものを一つも手にせず 生まれてきた」

 バァンッと、修治が受け身をする音が道場内に響いていた。

「修治がまだ幼かったころ、ほとんど格闘に関する才能は持ってなかった。あいつの母親、 つまりわしの娘だが、女であったり、才能がなかったからのう。それと同じかと思っておった」

 浩之が見ていても分かった。修治は受け身の練習をしているだけではなかった。受け身を取った 後、または取りながら相手に攻撃する練習をしているのだ。

 頭から床に突っ込みながら、手をついて受け身を取りながら、相手の後頭部に蹴りを入れる。 今やっている受け身をシミュレートするならこんなところだ。

 その姿が、才能がないとはまったく思えない。だいたい、綾香と対等以上に闘える男が、 才能がないわけがないではないか。

 だが、雄三の言葉は続いた。止める手段が浩之にはないとも言うが。

「あいつは才能ではなく、今までの努力でここまで来た。だからの、才能があるお主が根性なし だと思っていたとしても悪く思わんでやってくれ」

 根性なしだと思われてたのか……

 そんなことを感じる暇もないほどに身体を酷使していた浩之にとっては今更どうでもいい話 だったりもする。

「実際、お主は見た目よりも根性があるようだ。普通の人間は動けなくなる前に根をあげる ものだぞ」

 浩之は言葉が出るならこう言いたかった。

 今度からは先にそうするよ。

 そうしてしばらくの間、修治が受け身を取るのを、浩之はじっと見ていた。

 もちろんそれは、ただ動けなかったというだけなのだが。

 

続く

 

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