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最強格闘王女伝説綾香

 

一章・始動(45)

 

「ん〜っ!」

 綾香は思いきり背伸びをした。身体全体の筋肉が、求めていたように伸縮をする。

 痛い部分はほとんどない。完調と言ってもよかった。

「よ〜し、絶好調ね」

 そう言って綾香は2、3発ほど拳を繰り出す。その細い腕からは想像できないような音をたてて、 ジャブが空間を過ぎ去っていった。

 関節や筋にも違和感はない。この数日の休養で少し身体が硬くなっているのは感じたが、それも 動かしているうちに消えていくだろう。

 うれしそうに身体を動かす綾香の横で、セリオが口をはさむ。

「はい、もう監視の必要はないと思われます」

 横で冷静にそう言うセリオを、綾香はじと目で睨んだ。

「ほんと、セリオのおかげでこの数日間全然自由に遊べなかったからね〜」

 綾香の皮肉にも、セリオはまったく表情を変える気配はなかった。もとから表情はほとんど 変わらないのだが、変わるとしても実際に変わらなかったと思われる。

「もとはと言えば綾香お嬢様の行った無茶が起こしたことで、それ以上悪化させないように 見張るのが私に与えられた役目でしたので」

「いいじゃない、たかが筋肉痛ぐらい」

「その筋肉痛のせいでお風呂に入るにも一人でできなったのはどなたでしょうか?」

 痛いところをつかれて、綾香は一瞬だけ押し黙る。

「……ちぇっ、全部私が悪いのね。ポストが赤いのもお爺様の機嫌が悪いのも私が美人なのも ぜーんぶ私が悪いのね」

 いいがかりをつける綾香だったが、セリオはそれでも冷静だった。

「どさくさにまぎれて自慢しないでください」

「……ほんと、セリオって冷静よねえ」

 綾香は苦笑しながらしみじみと言ったが、セリオはいつも通り落ち着いたものだった。

「私はメイドロボですので」

「その突っ込み176回目」

「いえ、249回目です」

「……数えてたの?」

「いえ、あてずぽうです」

 ……セリオとしては、一流の冗談のつもりなのだろうか?

「正確には391回目です」

「ほんとに数えてたのね……」

「メイドロボですから」

 セリオの392回目の言葉を聞いて、綾香は肩をすくめた。

「ま、でもこれで葵達の練習にまざっても文句ないわよね?」

「綾香お嬢様、今日は習い事がいくつか予定に入っていますが」

「そんなのパスパス!」

 綾香はそう言うと、ダッと駆け出した。セリオも、それを追うように走り出す。普通の女の子 なら綾香にはついてはこれないだろうが、セリオは高性能のロボットだ。何とかついてくることはで きるだろう。

 遠くで、セバスチャンが自分を呼ぶ声がしたが、当然綾香は立ち止まらなかった。セバスチャン から逃げるのが目的なので、当たり前ではあるが。

 しばらく走ってから、綾香は立ち止まった。少し遅れるようにセリオも追いつく。

「さすがセリオねえ、私のペースにもついてこれるんだ」

「負担がかかり、ジェネレーターが熱を持つのであまり走りたくはないのですが、見失うと やっかいなので」

「じゃあ、さっそく葵達のところに行くわよ」

「はい、習い事はキャンセルにしておきます」

「そうしてくれると助かるわ」

 話の通じるお目付け役にそう言うと、綾香は浩之達がいつも練習している神社に向かった。

「綾香お嬢様があの愛好会で得れる技術は何もないと思われますが」

「……本気で言ってる?」

 セリオの言葉に、綾香の声が少しトーンを落としたが、セリオは別段変わった様子もなかった。

「いいえ」

「ならいいわ。それに、一度だけ使った葵の崩拳。あれはまだ私にも使えないわよ」

「崩拳に関しては、サテライトサービスでも有用な情報は得ることができませんでした。その実物 さえ見れば何とか分析ができると思うのですが」

「さすがにあれを分析するのはセリオにも無理だと思うけどね」

 分析できる程度のものなら、すでに技自体を見た綾香が分析している。しかし、その技を真似る ことは今もできていないのだ。

 打撃の極致、崩拳。その「一撃必殺」という理想の世界を、一度なりとも葵は見ているのだ。 それは、綾香にはどうしても克服しなければならない場所だった。

 いつのころからだろうか、自分が「誰よりも強い」ことにこだわり出したのは。普通なら、 もう裏切られるはずのその夢を、綾香は今だに満たしているのだ。

 だからこそ、負けることを、人に劣ることを誰よりも怖がる。

 そして、それは例え葵が崩拳を自在に使いこなすようになったとしても、譲るわけにはいかない ものなのだ。

 「勝者」という言葉を譲るほど、綾香はまだ年を取っていない。

 あの技の謎をとき、自分のものにするまでは、あの神社には通わなくてはいけない。

 もっとも、当然それだけの理由で通っているわけではないのだが。

 浩之も多分いるだろうしねえ。

 むしろ、とってつけた小難しいことよりも、こちらの方がより切実な理由かもしれない。

 好きな男子となるべく一緒に過ごしたいというのは、普通の女子高生としてはまったく間違った ものではないだろう。

 ただし、そんないじらしい気持ちは、綾香にはまったく似合いそうになかったが。

 成績優秀、容姿端麗、そして運動神経抜群で、自信と才能の塊の綾香には、恋愛事など似合い そうにもなかった。

 が、本人にとってみればただ「自然に」行動しているだけなので、その行動が乙女チックだろうが 親父くさかろうが、知ったことではないのだ。

 筋肉痛で動けない2、3日は浩之がわざわざ毎日訪ねて来てくれたが、動けるようになってからは 会っていない。単純に、早く会いたいと言う綾香の気持ちが足を速めさせた。

 身体も動かしたいし、浩之にも会いたい。それに、格闘技の練習をするのは久しぶりだ。

 気持ちが急くのが自分でもわかる。早く神社につきたくて、歩いているのか走っているのか 分からないスピードになっている自覚もあった。横目にセリオが走っているのが見えた。

 綾香が神社についたとき、最初に聞こえてきたのは、平和そうな浩之の悲鳴だった。

 

続く

 

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