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最強格闘王女伝説綾香

 

一章・始動(46)

 

 神社いっぱいに浩之の悲鳴は鳴り響いていた。

「いででででっ!」

「……平和ね」

 叫ぶ浩之を見ながら、綾香はぽつりとつぶやいた。

「私にはそうは見えないのですが」

 悲鳴を平和と言うには、浩之の悲鳴は真にせまりすぎていた。いや、どちらにしろセリオに とっては平和な光景ではないのだろうが。

「そうかな、あの浩之の悲鳴を聞くと、ああ、もう春だなとか思わない?」

「いっこうに思いません」

 セリオの無表情のつっこみにも、綾香は少しも気おされた様子はなかった。むしろ生き生きと さえ見えるほどだ。

「セリオにはこの日本人のわびさびの気持ちがわからないのかな」

「少しも分かりませんし、間違っています」

「つれないわねえ、物の例えってやつよ」

 綾香は文脈がまったくあっていないようなことを言いながら、悲鳴をあげる浩之とオロオロ する葵に近づいた。

「だめよ、葵。初めてはやさしくやってあげないと」

「あ、綾香さん! よかった、来てくれたんですね!」

 綾香の冗談は、葵には通じるどころかまったく相手にもされなかった。綾香はいじけたように地面 にのの字を書く。

「いいのよいいのよ、どうせ私なんて……」

「何いじけてるんですか、センパイが大変なんです!」

 その場には硬直した浩之がいた。顔は引きつり、声も出ないようだ。

「どう、浩之。初体験の感想は?」

「バカなこと言って……いででででっ!」

 綾香は浩之の肩を軽く握っただけだったのだが、浩之の痛がりは尋常ではなかった。

「どう、痛い?」

 綾香は浩之の肩から手を放してから、にんまりと笑って聞いた。

「こ、こいつ絶対サドだ……」

「何か言ったかな、浩之?」

 綾香がまた手を伸ばしてきたので、浩之はブンブンと首を振って否定しようとしたが、その 動きをしようとしてまた痛みでじたばたともがいている。

「……面白い見世物ね」

「綾香さん、センパイどうしてしまったんですか? 今日来てからずっとこの調子なんです」

「ずっと?」

「はい、私が来てからずっとこの調子で……私一人だとおろおろするばかりでどうにもできなくて…… 救急車呼んだ方がいいでしょうか?」

「あ、それは必要ないって。単なる筋肉痛だから」

「え?」

 綾香はそれの証拠とばかりに浩之の手を取ると、ブンブンと動かした。

「いだだだだだだだっ!」

「……ね?」

「『ね?』じゃねえ!」

 浩之は残っている渾身の気力をこめて体を動かして綾香の手から逃れた。

「人が筋肉痛で苦しんでるのに、お前は鬼か!」

「何よ、ちょっと遊んだだけじゃない」

「遊んだだけって……綾香が筋肉痛のときはあんなにやさしくしてやったろうが」

 そう言われ、ぽっと綾香はわざとらしく顔を赤らめた。

 浩之は「何やってんだこいつは」としか思わなかったが、綾香も浩之にそんな姿を見せるために 顔を赤らめてみたわけではない。

「あの、何かあったんですか? 確かセンパイは綾香さんのお見舞いはいらないって……」

 浩之がジト目で睨むと、綾香はそっぽを向いて口笛を吹いていた。

 俺が綾香を見舞いに行ったときは、やさしくしたかどうかは別にして、少なくともこんなに こまらせはせんかったぞ。

 浩之は心の中で綾香の理不尽な行動に悪態をつきながら、手早くフォローする。

「ああ、葵ちゃんは止めたけど、俺は綾香の無様な姿を笑いにちょっとな」

「そ、そうなんですか」

 葵は見るからにほっとした表情だった。もしかしたら、さっきの言葉で綾香と浩之の間に何か あったのかとかんぐったのかもしれない。

 実際何もなかったし、葵は素直な性格なので、いいわけをすぐに聞いてくれたが、下手をすれば あらぬ噂をまねくような冗談は、綾香がするにしては少し浅はかすぎるような気がした。

「筋肉痛ってことは、昨日は道場行ってきたのね」

「……」

 浩之はじっと綾香を見た。

「どうかした?」

「……いや、何でもない。ああ、昨日はこってりしぼられてな、今日はこのざまだ」

 そこにいるのはいつもの綾香だ。何も変なところはなかった。だから、浩之も自分の思い過ごし だろうと思った。

 綾香が変だとは別に思わなかった。葵の表情にも変化がないところを見ると、単なる自分の杞憂 だと浩之は判断したのだ。

「ま、きつそうなのはあの強さ見れば一目瞭然だけど。でも、よく今日は来れたわね。てっきり 始めの数回は家でへたばって学校にも行けれないと思ったのに」

「……ついて行ったと言っても、筋トレまでで、しかもいつもの半分ぐらいしかやらなかったらしく てな……」

 浩之は、そう正直に告白した。もちろん綾香に笑われることは覚悟してだ。

「そんなところだと思ったわ。もっとも、最初に無茶しても身体壊すだけだから、それでいいと 思うけどね」

 今度はからかいもしない。

 浩之は、微妙な綾香のズレを察知した。最初はからかわれない部分でからかわれ、次は からかわれるべきところでからかわれない。

 微妙な変化だが、浩之にはわかった。綾香は、おかしかった。

 もっとも、それは本当に微妙な、付き合いの長いはずの葵でさえ見落とすような微妙な変化だ。 単に理由もなく機嫌が悪かったとか、その程度で説明がつくレベルの話なのかもしれない。

「それに筋肉痛は身体を治してるから起こるってセバスチャンも言ってたでしょ。今日は練習は あきらめて、葵の補助だけ……できそう?」

「……無理かも」

 強がるには嫌気がさすぐらいに痛がってきた浩之は、素直にそう言った。

「いいです。センパイ。今日は私一人でも練習するので、休んで身体を治してください。センパイ が筋肉痛になるぐらいですから、すごい練習だったんですよね」

 葵はそう笑顔で言って自分は練習のために柔軟を始めた。

 しかし、その葵の行動は浩之の中の何かをひらめかせたようだった。

「いや、やっぱり手伝った方がいいよな、ここは」

 

続く

 

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