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最強格闘王女伝説綾香

 

一章・始動(48)

 

「お屋敷でベットに寝たまま外に遊びにも行けれない綾香お嬢様を見るのは、私でもつらいもの でした」

 セリオは、練習を続ける綾香と葵から少し離れた場所で、小さな声で浩之にそう教えた。

「つらいって、何がだ?」

 練習を手助けすることもままならない浩之は、セリオの横に座っていた。

「綾香お嬢様は……こう言うのも何ですが、じっとしていられるような御人ではありません」

「何か……どう聞いてもあんまり誉めてるようには聞こえないんだが……」

 セリオは、表情を変えることもなく、首をふった。

「浩之さんは、綾香お嬢様が苦しんでいることをごらんになったことがありますか?」

「そりゃあ……痛がってることはたまに見たことがあるけど」

「違います、綾香お嬢様が、精神的に苦しんでいることをごらんになったことがありますか?」

 浩之はしばらく考えるふりだけした。聞いた瞬間に分かることだったので、考える必要など これっぽっちもなかったのだが。

「ない」

「そうでしょう。しかし、綾香お嬢様には、ただ屋敷でベットに寝ていることが、非常に精神的苦痛 を伴うことだったのです」

「はは、そりゃ綾香らしいな」

 らしい話だ。セリオも言ったが、確かにじっとしていられるような綾香ではあるまい。暇を、 きっと何よりも嫌がるのは、むしろそれが綾香の証拠かもしれない。

「しかし、それほど綾香って暇が嫌いなのか?」

「いえ、綾香お嬢様は確かに不自由ない暮らしをし、悩みなどほとんどかかえていませんでしょう が、それでも精神的には強靭です。暇だと言うだけでそこまで苦しむことはなかったでしょう」

「まあ……確かに我慢しきれなくなったってのは、綾香には向いてない気もするが……」

 綾香は不思議な少女だ。性格にむらがありそうなのに、その実堅固な精神を持つ。まったく力が なさそうなのにその腕力は軽く浩之を吹き飛ばす。そして才能があるにもかかわらず、逆境にも 異常なまでに強い。

 天は、彼女に全てを与えた。そうとしか受け取れなかった。

 その綾香が精神的苦痛を感じる。それはあまりにもおかしな話だった。

 それを一番心得ているのは、セリオのはずであった。綾香が、人間の中では一握りのあらゆる意味 で『選ばれた』者だということを、分かっているはずだ。

「おそらく、前の綾香お嬢様なら、たかが数日の暇なら平気だったでしょう。自分からは決して 望まないとは思われますが、それと我慢できるかは別の話ですから」

「だったら……って、前?」

「はい、綾香お嬢様が、浩之さんに会う前は」

 セリオは、無表情と言うよりは、真面目な顔をして綾香の練習の風景を見ていた。

「綾香お嬢様は、浩之さん、あなたに出会ってしまった。たかが数日、しかし、綾香お嬢様には 永遠にも思える数日だったことでしょう」

 浩之は、その言葉を聞いて、軽く笑った。

「おいおい、それって……」

 まるで綾香が俺のことが好きみたいに聞こえるだろ。

 その言葉を、浩之は発することはなかった。それをある程度予想していたのか、ただ綾香に 聞かれたらこまると思って言わなかったのかは、浩之本人にも謎であった。

「もちろん、葵さんも一役はかっています。綾香お嬢様は、あの葵さんを誰よりも高く評価し、 葵さんを育てることに情熱を燃やしていると言ってもいいでしょう」

 綾香は葵に格闘技のことに関しては、ほとんど何も教えないのだが、ただスパーリングの相手 になっていることで、教えることは十分だと考えているのだろうか?

「そして、やはり何より、浩之さん。あなたの存在は、綾香お嬢様に多くの影響を与えています」

「なあ……セリオ。何で俺にそんな話をするんだ?」

 セリオがただ感傷で浩之にそんなことを言うとは思えなかった。彼女はメイドロボであり、 必要のないものを行うことなど考えられないのだ。

 理由を考えても……せいぜい、綾香が浩之をからかうためにセリオに言い含めたとしか思い つかない。

「それは……浩之さんにそのことを知っていただきたかったからです」

「俺に?」

「はい。浩之さん、今日の綾香お嬢様は少し変だと思われませんでしたか?」

「ん……」

 浩之は今日の綾香の微妙なずれを思い出していた。最後に笑いだしたときなど、殴られたのは 自分なのに、綾香の頭を心配したほどだ。

「……ああ、今日の綾香は変だったな。だが……」

 確かに今日の綾香は変であった。しかし、それがさして重大なことには、浩之にはどうしても 思えなかったのだ。

「俺は気にするほどのことでもないと思ったが」

「それはそうでしょう。綾香お嬢様は、ただ喜んでいただけなのですから」

 セリオは、綾香に向けていた視線を、浩之の方にむけ、じっと浩之の目を見つめた。

「浩之さん、こんなお願いを私などがするのは、筋違いでもありますし、何より私はメイドロボです ので、人間の方にお願いすることなど許されることもないのですが、どうか聞いてください」

「あ、ああ……」

 いつになく、いや、初めてセリオは切羽詰った顔を見せた。

 そして、セリオは大きく頭を下げた。

「どうぞ、いつまでも綾香お嬢様のそばにいてあげてください」

「……」

 浩之は、とっさには返答できなかった。その言葉の意味するところは、少なくとも浩之の人生に おいて小さなものではなかったから。

「私はメイドロボですので、許可さえ下りれば綾香お嬢様に一生お仕えすることも可能です。 ですが、私では綾香お嬢様のお心の糧にはなりえません」

 それはセリオがメイドロボだから? それとも、相手が綾香だから?

「綾香お嬢様は素晴らしい御人です。格闘技も、このまま行けば、世界最強を名乗ることも 不可能ではありません。しかし、だからこそ、その反動は大きい。浩之さんが遊びにきたときの あの綾香お嬢様のうれしそうな笑顔、ただ自分から浩之さんに会いに行けないだけで、表情の沈む 綾香お嬢様を、私は見てしまいました」

 綾香は強い。おそらく、全てを自分一人でかかえることも可能であろう。しかし、それはあくまで 自分を包むあたたかなものを知らなかったからだ。

 あたたかさを知ってしまえば、どんな強い者も弱くなる。

「浩之さん、あなたは、綾香お嬢様にとっての、唯一の弱点です。ですから、綾香お嬢様のお側に 一生いてあげてください」

 浩之は、それには何も言えなかった。ただ、こちらを綾香が気にしていないかどうか目をやるのが 精一杯だった。

 

続く

 

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