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最強格闘王女伝説綾香

 

一章・始動(49)

 

 筋肉痛が治ってまだ復帰したばかりだったので、葵は少し考えたが、サンドバックやミット打ち だけではあまり満足できなかったので、おもいきって綾香に言ってみた。

「スパーリングのお相手お願いできますか、綾香さん」

「オーケー、私もちょっとなまってたところなのよ」

 綾香は、軽くストレッチをしながら葵の言葉に応えた。考える間もなく、むしろ即答だった。

「あの、綾香さん。身体の方はもう大丈夫なんですか?」

「あ、平気平気。久しぶりだからちょっと身体が硬く感じるけど、筋肉痛に関しては全快してる わよ」

 そう言ってビシッと拳を突き出す。

 それは、休暇を入れてブランクのある者のスピードのパンチではなかった。まあ、たかが数日 のブランクだから、そんなに変わるわけもないのだが。

 しかし……それは葵の気のせいだろうか? 綾香はそんなに力をこめて撃っているわけでもない のに、その拳はいつもよりもスピードがあるようにさえ見えた。

「てか、実はやりたくてやりたくてうずうずしてるのよ」

 手をにぎにぎとしながらにやけ顔で近づく綾香は、浩之ぐらいは危なく見えた。

「綾香〜、葵ちゃん襲うなよ〜!」

 少し離れたところで、座って二人を観戦しならがちゃちゃを入れる浩之を、綾香はおどける ように威嚇した。

「へーんだ、あんたはそこで指くわえて見てなさいよっ! というか葵、何警戒してるの?」

「い、いえ、別に……」

「ははは、ほれ、葵ちゃんも恐れてるぜ!」

 ゴインッ!

 離れて大笑いをする浩之に、近くにあった小石を投げつけてだまらせて、浩之を介護しようと するセリオを呼んだ。

「セリオ、審判やって」

「しかし、浩之さんが痛そうにして……」

「いいから、ほっといても平気よ」

「はい、分かりました」

 浩之がその場に倒れたまま「無情だ」とつぶやいているが、そんなことは当然聞き入れられる わけもなく、セリオは葵と綾香の間に立った。

「ルールはいつものでよろしいでしょうか?」

 セリオは、2人に確認する。もちろん、それはいつも通り変わらないのだが、セリオは一応 自分がレフェリーをつとめる前には決まりごとのように言う。

「はい、かまいません」

「ええ、いいわよ」

 綾香も葵もウレタンナックルを拳につけて、準備も万端だ。

「それでは……レディー」

 ザッと2人の構える音だけが響いた。

「ファイトッ!」

「行きますっ!」

 葵はその掛け声とともに、綾香に向かって踏みこんだ。

 いつもなら最初はフェイントを入れる。まだ始めたばかりの状態では、反応も体力も落ちて いないので、普通に攻撃すればガードされるのは目に見えてるからだ。

 しかし、ここであえて葵は最初の一撃を狙った。

 ほんの数日、しかし、スパーリングともなれば、そのブランクは大きなものとなる。しかも、 最近は葵も練習はかなり充実している。

 この、最初の一撃、うまくすれば綾香さんを捕らえるかもしれない。

 もちろん、葵にはそんなことを考える暇などないのだが、そういう思惑で一撃目を狙った のは確かだった。

 左のジャブ、ボクシングほどではないが、葵の中では早い部類の打撃だ。

 ワンッ!

 ビュッ

 しかし、そのジャブは、軽く綾香にかわされ、空を切っただけだった。

 ツーッ!

 次に放った右ジャブも、まるで予測されていたようにかわされる。

 スリ……

 パーンッ!

 葵は、自分の体がガードごと後ろに飛ばされるのを感じた。

 左ジャブ、右ジャブ、左ミドル、そうつなぐはずだったが、右ジャブから左ミドルにつながる わずかな隙に、綾香は避けた体勢のまま蹴り上げてきたのだ。

 とっさに腕を入れたので直撃は免れたが、あんなバランスを崩した体勢の蹴りが、葵の身体を 軽く後ろにふきとばしたのだ。

 ダメージも、ガードごしにだが、わずかだがある。葵の奇襲は完全に失敗したと言って よかった。

「まだまだ、いくらここんところさぼってたと言っても、その程度じゃあやられるわけには いかないわねえ」

 綾香はそう余裕ありげに葵を見下ろしていた。

 ……本当に、綾香さんは強い。

 ただのスパーリングなのに、気圧されそうになるほどだ。

 ブランクどころか、前よりも強いのではないかと思えるほどの反応速度に、バランス感覚に、 威力だ。

「じゃあ、次は私の番ね」

 パパンッ!

 綾香は無造作に踏みこみ、ワンツーを葵の鼻頭にたたきこもうとした。葵も綾香の動き からワンツーを読んではいたのだが、反撃できるような隙はまったくなかった。まさにガードする だけで手いっぱいだ。

 筋肉痛は本当に全快しているようだ……筋肉痛……そう、筋肉痛から回復したと言うことは……

 筋力をアップさせるのには、身体の筋肉組織に負荷を与えて壊して、それを回復させる。 すると回復したときは前よりも少し筋力がアップする、この繰り返しだ。

 綾香さんは、前よりも筋力が強くなっているんだ。それだけじゃない、綾香さんは自分と同じ ぐらい強い人と戦ったから……

 葵は、高鳴る心臓を落ちつかせる。まだ疲れるほど闘ってもいない。そう、これはある種 精神的なことだ。

 もっと、もっと綾香さんが強くなる。

 綾香の唯一の弱点、それは、自分につりあう相手がいないこと。葵程度では、対等な練習相手 にはならないのだ。

 葵は、強い相手と練習することで、近づくことができる。しかし、綾香は、自分の力だけで そのレベルを上げないといけないのだ。

 だから、対等な対戦相手は、綾香にとっては最高の練習となる。

 綾香さんが……もっと強くなる。

 葵の中に、自分が追いつけないとか、そんな気持ちは少しも芽生えなかった。いや、そんなこと は頭の中から綺麗さっぱり消えていた。

 綾香さんが、もっと強くなる。だからこそ私は、綾香さんを目標にできる。

 ただただそれがうれしかったのだ。綾香という目標が、上へ上へと上がっていってくれることが、 葵にとってもうれしいことだったから。

 でも、だからこそ、いつか追いつきたい。

 葵は、綾香に向かって飛びこんだ。

 いつか、綾香を超えるために。いつか、綾香を倒すために。

 今は、綾香に倒されに。

 

続く

 

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